ASDは“自己完結”が先行する
ASDは常に自己完結の人
自己完結とは
何かの物事について、全て自分自身の中だけで考え、納得したり決着する
ということです。実はASDのわたしには、自己完結の部分が子どもの頃からあります。それは当たり前のように普段からあるもので、自分でも無意識のところで起こります。
例えばよくあったのが子どもの頃、家族でお出かけをするといった時でも
(あの場所に行くんだったら、○時には用意を終わらせて、○時には出発しないと…)
そうやって勝手に一人黙々と頭の中で計画を進めていきます。そしていつの間にかそのことがイメージとして膨らみ、さらには家族も登場させたストーリーを展開させ、その結果どうなってしまうかというと、突然当たり前のように、自分の計画通りにいっていない家族に対して
「○時には出ないといけないのに、どうして用意が出来てないの?!」
というような発言をしてしまったり、自分自身も勝手にイライラしたりしてしまいます。相手からすれば、「言われているような時間を約束したわけでもないし、一緒に計画した訳でもないのに、何をそんなに怒ってるんだろう?どうしてそんなことを言われなくてはいけないんだろう?」というような気持ちになると思います。
それでも相手の状況や考えは全く無視した状態で、しかも自分の発言が当然だと思ってしまいます。もっと酷ければ、自分勝手に決めたことに合わせられない人に対して
「普通はこうするでしょ。」
というような、まるで見下したような態度をとってしまう場合も中にはあります。このように
自分の中で自己完結してしまうと、当然のように、そのことに関わっている人たちも自分と同じ感覚だと思ってしまうのです
一人を好むASDには特に起こりやすい
ここからはASDの特性と、自己完結の結びつきを見ていきたいと思います。
ASDは子どもの頃から一人を好む人が少なくありません。そのことに関係する特性上の行動としては
- 集団で遊ぶことが苦手で、一人遊びが好き
- マイペースを崩されることを嫌う為、相手に合わせることをしなくていい状況を自ら作る
- 家族であっても自分が関心のない人に対しては興味を持てない為、それほど交流を好まない
このような特徴がある為に、必然的に“一人の時間”が増えたりします。ただ、ASD的には一人の時間が心地よかったとしても、その時に同時に発生しているものがあります。それというのが
- 何をするにも自分で考え、決めて行動しないといけない
- 相談するということが考えからなくなる
ということものです。この思考がいつの間にか自分の中で普通になり、自己完結ということを意識していなくてもしてしまうのです。このことが原因で、わたし自身が大人になってからよくやってしまっていたことがありました。それというのが
事後報告が多い
というものです。例えば
- 体調が悪くても一人で我慢してしまう
- お付き合いをしている人に何の前触れもなく別れを切り出してしまう
- 仕事で問題や悩みを抱えていても、上司に伝える頃には辞める決意で話してしまう
といったものです。悩みを周りの人に話すことは迷惑になると考えてしまうのです。相談することは頭になく、自分の中だけで、自分にある困りごとへの解決も、相手の気持ちや考えもさえもどんどん勝手に進行し、結論にまで到達します。その結果
相手に伝える頃には結論のみの“事後報告”となるのです
こだわりの強さが自己完結を強固にする
そしてもう一つ、自己完結を強固にしてしまっているものがあるとすれば、それは
ASDにある強いこだわりの部分です
この強いこだわりの部分で自己完結が当然のような態度として現れてしまう中には
“人の気持ち”よりも“自分の納得”に意識が向きやすい
という特性が関係しているからだと思っています。自己完結した内容というのは、ASDが自分で納得したものです。この“納得”という部分にこだわってしまうからこそ、自己完結が先行した内容を話したことで相手が困惑していても、その相手の気持ちよりも自分の中の結論を優先してしまうのです。
自己完結が先行してしまうASDとどう付き合うか
自己完結が先行してしまうASDであっても、付き合い方のポイントを抑えれば気持ちよく付き合える、ということもあります。そのポイントとしては
- 曖昧な表現や感情だけを伝えるということをしない
- 伝えたいこと方が完結で具体的であること
- お互いに関心は持っているけれど、必要以上に干渉はしない
- 求められていないアドバイスはしない
- ASD側が思ってもみなかったアイデアや解決策を伝える
というものです。結論だけ伝えられてしまった時には、具体的にして欲しいことをはっきりと伝えます。例えば
「こういうことが起きる前に、わたしにも一言相談してください。」
「力になりたいから、一緒に考えさせてください。」
このように、「どうして話してくれなかったの?」というような、今更どうにも出来ないことを話し合うよりも、多少きついと感じるような表現でもいいので(逆にその方がASDには伝わりやすいです)具体的に“して欲しいこと”を伝え、そして“相手に関心を持っていることも伝える”というものです。
わたし自身、社会人になってからも自己完結の人で、そのことで自分自身を不器用な人間だと責めていたこともありました。ただ、そんなわたしが自己完結してしまう前に、その過程を話せたり、お互い気持ちよく付き合える人たちというのは、ポイントとして挙げた特徴を持っていた人たちだったと思います。
ですのでどちらかというと男性や、女性であってもどこか男性的なサッパリしたわかりやすいタイプの人が多かったように思います。こういった特徴を持つ人たちと付き合うことをしていく中で、それまでずっと、自己完結な人で生きてきたわたし自身も
自己完結してしまう前に人の意見を聞いてみたり、頼ることをしてみることも大切なんだ
という気持ちも生まれました。不安よりも安心感が大きくなった、というところも大きかったと思います。
ASDはどうしても自己完結が先行してしまいます。それでも、どうして自己完結が先行してしまうのか、という理由とASD自身の自覚、そして、付き合い方のポイントさえわかれば、慣れるまでに少し時間がかかったとしても、いつの間にか問題ではなくなっていることに気づく日がやってくると思っています。
最後に
ASDは少数派であるために、少数派同士というよりも、多数派の人たちと付き合う状況の方が多くあります。ただ、その時にどうしてもすれ違ってしまうこともあります。その原因の一つとしては
少数派は少数派の考え方や感覚が普通であり、多数派は多数派の考えや方や感覚が普通であるから
というところを、お互い無意識的に持っているからだと思います。
どんな人でも生まれた時は、自分自身が普通です
ただ、そのことがいつの間にか、多くを占める方が普通とされ、その普通を少数派であるASDは押し付けられて育つ、または少数派の感覚がおかしいと言われ排他される、という現実もあります。
それでもやはり、生まれ持ったものの中には、努力ではどうにもならないところもあります
だからといって、我慢しながら関係性を築いていくのではなく、お互いに普通だと思っていた付き合い方をすり合わせ、試行錯誤を繰り返し、新しいスタイルを築いていけばいいと思っています。それでもどうしても無理な関係性もあると思いますが、お互いに思いやる気持ちがあれば、それほど難しいことではないと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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