ASD 認知の歪みはなぜ起こる?無意識的に持っている「自分の考え方=相手の考え方」とは

発達障害

自分の考え方が基準だった身内との日常とは

ASDが無意識的に持ってしまう「自分の考え方=相手の考え方」というものは、一言でいってしまえばそれは

認知の歪み

というものです。それがどうして起こってしまうのか、ASDの特性がどう関係しているのか、というところを今回は探っていきたいと思います。

わたしにはASD傾向がとても強い身内がいました。とにかく常に自分の考え方が基準であり、それを周囲にも押し付けようとしたり、これは正論だと堂々と主張したりしては、わたし自身よく悩まされたり傷ついたりもしていました。ただ、本人的には自分の考えを押し付けているなどという自覚はありません。

それが全ての人に共通してあるもので「当たり前であり普通のことだから」という認識だったからです

わたしが子供の頃から、そして大人になってからも見てきた身内自身が持つのその「基準」の中には、例えば

人に何かをいただいた時には「出来ればすぐに、当日中には必ずお礼を言う」

約束をした時間には絶対遅れないようにする

というものがありました。ただ、これだけ見れば少し厳しくもあるけれど、特別変わったことではないと感じるかもしれません。ではどういった場面で「自分の考え方が基準」という思考が強く出ては悩まされていたのかというと

自分にある基準を“自分以外の人が守れなかった時”です

とにかくイライラしては無理矢理にでも実行させようとしたり、出来ない相手を下に見ては罵ったりもします。忙しくてお礼が次の日になってしまったとしても許されない、または約束の時間に連絡なしに5分でも遅れようものならその理由を厳しく問いただす、ということが度々起こり関係している人を巻き込んでしまうのです。他人には表面上そういった感情を隠していたとしても、家族には自分の思うように振る舞ってしまうこともあります。

子供だったわたしは自分の考え方よりも、ASD傾向の強い身内の考え方を優先するようにと、影響を受けていた部分は大いにあったと思います。そういった環境の中でわたしは結果的に、自分の思考を無くす、隠すという事が多くなり、大人になってから精神的な面で辛い経験をした時期もありました。ただその後、ASDであるわたし自身にも同じような所があると気づきます。それは子供の頃からの経験を照らし合わせながら、ASDについて学び始めてからのことでした。

特性を知ることで気付けたこと

ASDのわたしには子供の頃から

  • 強いこだわり
  • 物事に対しても人に対しても興味関心には偏りがある
  • 完璧主義
  • 咄嗟に自分の考え方や感情を優先してしまう

こういった特性があることを特に何の疑問も持たずに、それがわたしにある「普通」だという感覚で過ごしてきました。どちらかというと、自分以外の人の考え方や感情に触れた時には、全く理解できない、というよりもそもそも興味を持てない、というところから自ら理解しようとしてこなかったことの方が多かったと思います。ずっと無意識的にどこかで

自分が思うこと、感じること、考え方が当然目の前にいる人も同じ

という感覚が無意識的にあったと思います。ただ、それでは相手を苦しめてしまうこともある、という事をわたしはもう随分と大人になってから、それこそASDだという診断を受けてから気づいたのです。診断を受け、何がきっかけで気付かされたのかというとそれはASDの特性の中でも目立ってあった

「強いこだわりがある」というものを知ったからです

ASDの強いこだわりというものは日常生活の中にとても細かく、そして沢山紛れ込んでいます。ただそのこだわりについてわたしはずっと、自分以外の人にも当然あるものだと思っていたのです。それこそ改めて考えたこともなかった感覚だったものが、わたしにパートナーや息子が出来てから、そしてわたしにあるASDの特性を知ってから

無意識的にこだわりを押し付けている

それが当たり前だと相手にも強要しようとしている

という自分を発見したのです。発見した時はかなりショッキングだったことを覚えています。ただ、わたし自身が対相手にしていたことも、身内との間にあった理解できなかった色々も、点から線へと繋がった瞬間でもありました。押しつけや強要すること全てが性格的なところからではない、ASDの特性が関係していてそうなっているという理由があったんだと理解してからは、自分自身のことも、そして身内のこともゆっくりと受け入れることが出来たのです。

自分以外の人の感情や考え方が分かりにくい

ここからはASDの特性が「自分の考え方=相手の考え方」、認知の歪みという部分にどのように作用しているのかを、もう少し深掘りしてみたいと思います。

ASDにはそもそも「経験のないことを想像することが難しい」という一面があります。それは行動を伴う経験もそうですが、考え方や感情の面であっても経験したことがない、自分の中にインプットされていないものに対してはそれまでの経験から咄嗟に想像力を働かせて応用する、ということはとても難しいのです。こういった一面に加え

自分の考え方そのものに強いこだわりを持っている

完璧主義だからこそ自分の考え方は完璧だという自信がある

という特性上のものがあって自分の考え方が基準になり、更には相手にまでその考えがあって当然だと強く刻み込まれてしまうのです。そしてもう一つ挙げるとすればそれは

他人の考え方に興味がない

という思考が先に立ってしまう、というものもそうです。自分以外の人には自分とは違った考え方がある、ということ自体に興味を持てないのです。ただ、このことは常にどの人に対してもそうだという訳ではありません。例外があるとすればそれは「興味を持った人」に対してです。興味を持った人に対しては、その人が話す内容、感覚的なもの、感情、考え方まで逆にとても熱心に知ろうとします。他の人には難しくても、興味のある人に対してはすんなりとその人の考え方を理解できたりもするのです。

だとしても、興味関心に強い偏りがあるが故に興味を持てる人もそう多くはありません。だからこそ、普段から関わっている、それほど興味を持っている訳でもない人たちに対しては、相手の感情や考え方が分かりにくい、というところから無意識的に「自分の考え方=相手の考え方」という思考でコミュニケーションを取ろうとしてしまうところはあると思います。

「認知の歪み」を治すためには

ASDに限らず、本当は誰しも少なからず認知の歪みは持っていると思います。ただ、わたし自身も含め肌感覚で、特にASDには目立ってあるのではないかと感じています。だとしても、必ずしも治さないといけない部分ではないとも思っていますが、その歪みの部分で自分も辛い状況に置かれている、関係している人との間にこじれが生じている、というのであればその時には“治す”という取り組みをしていくことは大切だと思っています。その認知の歪みを治す方法としてわたしから一つ提案したいのは、とてもシンプルだけれども実は気付きにくいところでもある

認知の歪みがあるということを「自覚」するというものです

自分以外の人の考え方や感情を理解しようとすること自体が、ASDには難しく感じる時があります。その事をより難しくさせているものがあるとすればそれは、もともとある特性に加え、ASDだという自覚がないまま大人になり「自分の考え方=相手の考え方」という法則を無意識的に持ってしまうからだと思っています。その法則が原因で相手を傷つけてしまっては人間関係がこじれてしまい、結果的に相手も、そして自分自身も寂しい思いをすることも出てきます。このような出来事を防ぐためにも、自分にはASDの要素があるからこそ、自分の考え方が全ての人にも当然あるという意識を持ってしまっているという事実を先ず自ら「自覚」することだと思っています。

自覚し、認知の歪みの部分を受け入れられれば、そのことで起こっていた問題を解決できる手段の一つだということにも気付くことが出来ます。わたし自身も実際、わたしにあった認知の歪みを自覚してからは、逆にASD要素が強く理解に苦しんでいた身内に対しても、ゆっくりとですが受け入れられるという事が出来ました。それは相手に合わす、というものではなく特性を理解した上で関係性を築いていく、というものです。

もう手遅れだという関係性もあるかもしれませんが、それがただ単に相性だけの問題ではなく、ASDの特性が絡んだ認知の歪みからだったと理解した上で話し合うことが出来れば、修復可能な関係性も出てくるのではないかと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

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