ASDが暴言を吐く本当の理由とは
ASDの基本的な特性とは
ASDには様々な特性があります。もちろん一人一人、微妙に違いはあって、複雑なものではありますが、大枠、といいますか、基本的な特性は同じように持っていたりします。その、基本的な特性の中のどれかがいつも準備をしていて、状況によっては、プラスに働いたと見える時、マイナスに働いたと見える時があります。その特性の中にあるものというのは
- 決められたことには真面目にコツコツと取り組む
- こだわりが強く、興味関心にも偏りがある
- 子供の頃から変わらず素直なまま
- 人より物を優先する
- 正義感が強い
- 意味のないコミュニケーションが苦手
- 慣れ親しんだルーティンを好む
というものがあります。この特性はいつも表裏一体の状態にあると思っています。
例えば、興味をもった物事があったとすると、とにかく自分が納得するまで、とことん追求することをします。ASDにとってそのこと自体は、決して何か問題がある訳ではなく
逆にその追求の深さがあって、他の誰もが驚くような結果を導き出したり、個性的な作品を作り出すことが出来たりします
ただ、そのことの為に、人とのコミュニュケーションを優先しなかったりもするのです。
”人と会うことよりも自分のやりたいこと”
このように優先順位が、”自分のこだわり”になったりして、自分自身にに向きやすくなります。こういうことが多いと、付き合いが悪い、社交性に乏しい、などと言われてしまうこともあります。
先程あげた特性の部分でもある”人より物を優先する”というのも似ていて、このこと自体、マイナスな印象を持たれるかもしれませんが、そうでもないのです。
例えば、他人とチームを組まずに、一人孤独に何かに取り組んでいたとしても、協調性を感じられないような行動をとっていたとしても、そこには、他の誰かと一緒じゃないと心細い、または、誰か一緒に取り組んでくれないとやる気が起きない、といった感情は大体においてありません。ということは
どんな環境にいても、他の誰かと一緒ではなくても、たった一人で最後までやり遂げることが出来たりします
このように、その時、周りにいた人たち、その場の状況、これらでプラスに見られるか、マイナスに見られるかを判断されることも多くあると思っています。
ASDは、二次的な問題を抱えていない状態だと、基本的な特性に加え、マイペースに一日を穏やかに過ごす、ゆったりとした人がほとんどです。ただ、それぞれに違うのが、何かのきっかけで沸き上がってくる、感情の持って行き所なのです。
暴言を吐かれた経験から
ASDの中には、割合的には少ないですが、感情的になりすぎると、とても信じられないような暴言を吐く人がいます。実は、ASDだと診断された訳ではないのですが、わたしの身内にもASD傾向が強く、そして暴言を吐く人がいて、とても大変だった経験があります。
ただ、その本人は普段は比較的、穏やかで、外の世界に出ると慕われる事も多いのですが、内弁慶という感じの、タイプ別で言うと”尊大型”に当てはまる人だったと思います。
この”暴言”と言うものは、根拠のない内容を真実だと疑わないものが多く、そのことを怒鳴り口調で、本人の気が済むまで吐くことをします。わたしはこの暴言に対して、わたし自身がASDだったこともあり
- 嫌な記憶として”記憶の貯蔵庫”にたくさん仕舞い込んでいた
- 字義通りに受け取る特性から、吐かれた暴言が全く謂れ無い発言だったとしても、真実なんだと思い込んでいた
このように、精神的ダメージの大きいものでした。同じような経験は、カサンドラ症候群と呼ばれる人の中には、ある方もいると思います。ただ、実はこういったASDの暴言に関して
基本的な特性が関与していることがわかったのです
ASDが暴言を吐く本当の理由とは
ここで、発達障害でも有名な本田秀夫先生が書かれた書籍の中から、内容の一部をご紹介したいと思います。
自閉症スペクトラムの人たちは、人に攻撃するということをあまり積極的にはしない場合が多くて、自分の中でわき起こった怒りを、自分の一番発散しやすいやり方で発散するだけなんですよね。だからその発散の仕方が、例えば、いかにも人に悪態をつくようなセリフを吐くことによって発散できる場合には、そういう言葉を言ってしまうわけです。(中略)
放送禁止用語のような言葉を使う人もいるんですけど、そういう場合も、言葉の意味もわかっているし、それを使うとどうも社会的には良くないということもわかっているのですが、それを言うとちょっと気持ちがスカッとする。だから、相手に対して攻撃するというよりも、自分がスカッとするために言っているようなところがある。
本田秀夫 2016
わたしはこの事実を知った時に、とても納得した、ある出来事を思い出しました。それというのは
暴言を吐いた本人は気が済むまで言うと、言った内容を覚えていない
というものです。当時は、これは真実なんだと興奮し、強い口調で発言をしたにも関わらず、その後の本人はケロッとしていて、後でその内容について触れても
「そんなこと言った覚えなんてない。」
という返事がいつも返ってきていました。どうして覚えていないのか、というところに正直、憤りを感じていました。ただ、そのことがASDの特性からきているもので、わたしに向けてのものではなく、自分自身の発散の為だとすれば、覚えていないことにも納得できたのです。
だからといって、そういう人だからということで敢えて、再び関係性を築いていきたいかというと、そうもいかないとは思います。やはり、暴言の内容そのものが相手に向けられてたものではなかったとしても、言葉というものは時に、心に刺さったままになってしまうものです。
ただ、吐かれた暴言を後生大事に持ち続けていたわたしでしたが、捨て去ってもいいんだと思えることは出来ました。この事実と経験から
- わたしと同じような経験がある方にとっては、ASDから吐かれた暴言の内容は忘れてもいい、ということ
- そしてわたしと同じASD当事者やASD傾向のある方で、自分の中にある怒りの発散のために暴言を吐く、という選択をしているのであれば、自覚して他の発散方法に変えてみる
この両方の理解と自覚は、大切だと思っています。
ASDであってもいろんなタイプがあり、フラットにASDだけの特性の人もいれば、わかりにくいレベルで二次的な問題を抱えている人もいます。暴言についても、その本当の理由が発散の為だけのものなのか、精神疾患的なところからのものなのか、その部分の見極めは難しいということもあります。
そうであっても、熱のこもった思いやりのある発言ではない、ただの暴言からの内容というものは、忘れ去ってしまっていいものだということが、今回の事実からも言えると思いました。
最後に
ASDのことを学ぶ中で、ASDがこれ程までに複雑で、同じASDと診断されていても、一人一人に様々な違いがあることに、いつも驚かされます。
今回の内容のように、普段は穏やかで似たようなASDの特性を持ち合わせていながらも、感情的になると暴言を吐く人、逆にそのようなことがほとんどなく、誰に対してもいつも丁寧で、どちらかというと感情の起伏があまりない人など、いろいろです。
ただ、ASD自体が少数派であるために、ある1人のASDと出会うと、その人からのASDの印象というものが、強く残ってしまうこともあると思います。その時に、ASDとは全員こういう人なんだ、という感覚を持つことは、少し待って欲しいと思っています。
定型発達の人たちの中にも、それぞれ違いがあるように、ASDだと言われている人たちの中にも、それぞれ違いがあるからなのです
大枠は同じであっても、その細部は違っている、というものだと思っています。結局は一人一人、どんな人であっても”その人にだけしかないものがある”という見方を持つ、ということは大切だと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
コメント
はじめまして。いつも興味深い拝見してます。会社の事務員が同僚の育休で仕事量を増やされる事になったのですが、いざその場になるとできません人を入れてくださいと言って怒り出しこのクソ会社がと暴言を言ってしまいました。でも当の本人は覚えていないようなのです。その後会社側も怒って仕事を取り上げて本人はうつ病で休職になっています。なんとか救ってあげたいですが。仕事のルーティン変えられるのも嫌だったんですかね。