ASD 知能が高くてもそれだけで生きていくことは難しい

発達障害

ASDは知能が高くてもそれだけで生きていくことは難しい

ASDは知能が高い人が多いというイメージとは

わたしがこのブログ以外で配信しているYouTubeの方に、いつも見てくださっている視聴者さんから

「アスペルガーは知能が高いという記載をよく見かけるのですが、これだけは違和感があります

というコメントを頂きました。確かにASDの中にはずば抜けた知能を持つ人や、その事で得意を活かした仕事に就き、社会に貢献している方もいます。ただ、そういった方はごく一部だということも現実です。

それでもその他のASDの中には、ウェクスラー式知能検査の成人用のWAIS(通称ウェイス)または、児童版のWISC(通称ウィスク)などで検査をした時に、何かの数値がずば抜けてとまではいかなくても、平均を上回るという人も多くいます。

ただ、ASDには高い平均以上のものもあれば、平均以下のものも同じように結果として出ることもあるのです

グラフで見てみると、平均とされる点数付近を上下の差が少ない角度も穏やかな線ではなく、折れ線グラフのような形になります。

全ての検査の合計点から出た結果に平均以上の数値が出て、一般的に知能が高いと言われるものに当てはまるのであれば、ASDの場合は数値が高く出た部分がかなり高かったから、という人が多いと思います。

ただ、一般的に“知能が高い”というイメージはどういうものでしょうか。“知能が高い”とだけ聞くと、将来が約束されたような万能な人のイメージはないでしょうか。

ASDの特性があるという自覚が何となくあったとしても、ASDの知識がそれほどない頃に、このような一般的なイメージそのままで生きていくと、わたしはどこかでつまづいてしまうのではないかと思っています

勉強ができてもそれだけでは上手くいかないことだらけ

わたし自身もASDと診断された同じ頃に、WAIS(ウェイス)の検査を受けました。その結果は、視覚を使っての処理速度の数値は平均以上でしたが、聴覚情報の点では平均以下でした。平均したIQは125でした。それでもこの数値は、本当にただの目安でしかないと思ってます。このことからもわたしには、耳からだけの記憶や情報処理が努力では平均に持っていくことは出来ない、ということがわかります。

それでも学生の頃は、自分のスタイルで勉強すればなんとか点数は取れていました。そのことでわたしの親も

「この子は頭がいいんだから、なんでも上手くやっていける。」

そう思っていましたし実際、わたしにそう話したりもしていました。この言葉を鵜呑みにしたまま社会に出た時、わたしは一瞬で打ちのめされました。確かに勉強は出来るのかもしれない、知能検査でも平均を上回るのかもしれない、だからと言ってわたしが飛び込んだ現実社会というものは

  • 広く浅く付き合えるコミュニケーション能力だったり
  • 協調性だったり
  • 物事に対する臨機応変な対応や、臨機応変な対人関係だったり

そんな、わたしがもっとも苦手とすることで溢れていました。しかもこういった“大多数の人より出来ないところ”を多く求められたりもするのです。

当時はパティシエとして働いていたのですが、視覚と動作が反映されるケーキのデザインだったり、上手く仕上げるための生地の状態の見極めだったり、そういう仕事はどちらかというと得意な方でなんとか出来ていました。ただ

職場でのチームワークや付き合いの浅い人たちとの飲み会、お昼休憩での雑談、これらのことが苦痛過ぎていつの間にか、普段出来ていた仕事も出来なくなっていったり、会社に行くこと自体が苦痛になっていったのです

頭が良くてもそれだけでは生きていけない、どれだけ努力しても上手く出来ないことがあるのがASDだと思っています。もちろん、一部のASDの人ように知能が高く、その部分に特化した得意や能力を存分に活かせる職場に就ければ、問題は起こりにくいと思います。

ただASDの中には、育ち方が原因で抱えてしまった二次的な問題があったり、ASDだという自覚すらなかったり、自己肯定感が低く失敗ばかりの自分を責め続けていたり、こういった日常生活をギリギリ送っている、というようなASDも少なくないと思っています。

ASDの自分のままで生きていきたい

ASDには能力の差が大多数の人たちよりも大きいことで、隣にいる人が簡単に出来る作業や楽しそうにしているコミュニュケーションが、どうしたって出来ない、苦痛だと感じる程のものだということはよくあります。

そうだとしても、そのことが出来ないからと言って見様見真似の努力で何とかしようとし、自分を無くしてまで周囲に合わせすぎてしまっては、自分が壊れてしまいます

このことを理解した上でわたしは自分自身の経験から、ASDの自分のままで生きていく上でここは大切だと思っているものがあります。それというのが

自分の得意を知ること、伸ばすことと同じくらい、自分の苦手とするものは何なのかをしっかりと把握しておくことです

ASDの特性があって知能が高かったとしても、全ての項目において満遍なく出来るという訳ではないのです。この部分を把握しておかないと自分にとって大事な選択を簡単に間違えてしまいます。自分に合った生き方の選択は何なのか、そして得意・不得意を探ることが大切だと思っています。

わたしが思う、そのために自分に出来ることがあるとすれば

まずは自分を認めて受け入れる

その上で苦手なことが大半を占めるような環境にいないかどうかを見直し、出来る部分からでも環境を整えていく

必要であれば苦手を補ってくれる人と一緒にやっていく

というものです。そして出来れば、些細な失敗が多かったとしても一人で抱え込まずに、何でも早期発見・早期治療の意識で、どんなに小さな悩みであっても相談しながら一つ一つ解決していくことだと思っています。

ASDの取説のようなものの中にある、知能が高い人が多い、得意なことを伸ばせば大丈夫的なものだけでは不十分だと思っています。間違ってはいませんが、一般的なイメージが溢れる中では逆に、間違って捕らえてしまうと危険な一言になってしまわないかとも思います。だからこそ大切なのは、漠然としたイメージを自分に当てはめるのではなく

自分を理解し、そして自分だけのスタイルを目指し、ASDの自分のままで生きていく

というところではないかと思っています。他の人と同じように何でも出来るような意識で飛び込んだ先の環境が、自分の能力以上のところだったとしたら失敗や叱責続きで、自分には何も出来ない…と落ち込んでしまうこともあると思います。ただ、落ち込む必要なんてないのです。

自分の能力にあった環境を選択してこなかっただけなのです

自分の特性と職場で求められる能力にギャップがあり過ぎるということなのです。じゃあ自分が出来る楽だと思える仕事を選べばいいのか、という感覚的で曖昧な選択をするということではありません。

余計なストレスや持たなくてもいいネガティブな感情がなるべく発生しない、出来れば得意なことに集中出来る環境を選ぶ、苦手や出来ないところは補ってもらえる、または相談者が身近にいる環境を作っていく、ということです

大人のASDの人の中には、子供の頃からの育ち方で既に自己肯定感低く生きている、または二次障害を抱えているという方もいると思います。そうだとしても、そんな自分にOKを出してあげる、その上で自分で納得した選択を一つづつしていけばいいと思っています。

他の人が出来ても上手く出来ないところがある、それでも得意なことや凄く熱中出来るものもある、それが自分なんだと受け入れて生きていけばいいと思っています。

世の中はASDに限らず、苦手を補いあい、得意を伸ばし合うことで生きやすい社会になっていくと思っています。その為にも本当の意味でのASDへの理解を持ってもらうこと、そしてASD自身が自覚していくことは大切なことだと思っています。

最後に

わたしはASDだと診断されていない、そして自分にはASDの特性があるということなんて、何も知らずに生きていた頃のアルバイトや就職先の選択の仕方というものは

  • ちょっとやってみたいかも
  • 給料がいいから

たったこれくらいの選択肢で決めていました。いろんな仕事を経験しましたがその中でも、パティシエの仕事が一番長く続いていました。その事がどうしてだったのかは、技術がある程度身についてきた頃に、仕事の段取りなどでマイペースさを確保していくことが出来ていたからだと思います。それでも感覚過敏や突然の臨機応変が取り巻く環境では、常にストレスを伴っていました。

その他の仕事では、実は一日で逃げるように辞めてしまったものがあります。それというのが

学習塾の加入をお願いするテレアポでした

この時もただ単に「時給もいいし、ただ電話をかけるだけなら簡単そう」そう思っただけで選択しました。ところが実際その業務に就いてみると、とんでもなく出来なかったのです。当時の実際のわたしの行動と合わせてASDの特性で見てみると

全く知らない人のところに何度も電話をかけるということのハードルの高さ→“一歩めのハードルが高過ぎる”“相手の反応によって臨機応変な対応を求められることの苦痛さ

アルバイトは一生懸命働いているのに、社員の人たちはダラダラと過ごしていることがイラつく→“強すぎる正義感と真面目すぎる仕事へのこだわり

与えられた仕事の説明が曖昧すぎて理解できていないのに質問することが出来ない→“相談することが苦手”“自己完結で乗り切ろうとしてしまう

このようなものです。当時はお試し期間のたった6時間程度だったと思いますが、帰る頃には座って電話していただけなのに歩くのがやっとな程疲れ切っている上に、ものすごくストレスも抱えました。その上、こんなことも出来ないと自分を責めるのです。

ASDだという自覚がない、特性も把握していないとなると、同じような失敗を繰り返してしまうこともあります。しかもその回数が増えれば増えるほど、外の世界に出ていくことが怖くなってしまうこともあると思います。そうなってしまわない為にも、ASDの特性があるのであれば自分を知ることにじっくりと時間をかけて、自分を理解してあげて欲しいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

コメント

  1. 浅川誠一 より:

    あるある軽度発達障害あるある一般人と変わらないからよけいにたいへんだ。こだわり強いひとりはんせいかいあるあるだ。

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