”場面緘黙(ばめんかんもく)”
というのをご存知ですか?
今回は、子どもたちに起こる”場面緘黙”について、そしてその時、親は、周りに関係している人たちは、どう接していけばいいのかを書いていきたいと思います。
実際わたし自身がこの”場面緘黙”という言葉を知ったのは、わたし自身がASDと診断されてからのことでした。
正直、こういう症状があるのか…あの頃のわたしは”場面緘黙”だったのか…と衝撃を受けました。
確かにわたしの子どもの頃を思い返してみた時
ある場面になると、急に言葉に詰まる・言葉が出てこない
ということはありました。実は大人になった時も、それは少しありました。ここで
場面緘黙になってしまう時、それはどういう時なのか
を挙げてみます。
- 不安が強い時
- 慣れない場所や人に会う時
- 緊張している時
こういう時に話せなくなってしまうことがとても多いです。ここで
”場面緘黙”をお伝えする上で、理解していただきたい大切なことがあります。
それが何かと言うと
わざと話さないわけではないのです
それはどういう感じかと言うと
どうしたって声が出てこない
これです。
例えば、ある子が学校や幼稚園得でお返事が出来ない、挨拶が出来ない、お話をしてくれない、そうなったとしても、親のしつけの問題じゃない、わざと話さないんじゃない、拗ねてるわけでも、反抗しているわけでもない。
これが、子どもたちにとってとても辛い”場面緘黙”なのです。
実は、この言葉を知っていながらわたしは、ADHDの次男の場面緘黙に気づかされるまでなんと、半年以上の月日を費やしてしまっていました。。。
実際にADHDの次男に起きた”場面緘黙”とは
普段とても元気で暴れん坊、多動や衝動性もあった次男でしたが、4歳になってからやっと保育園に通いだしました。その保育園は、朝、園の玄関で先生が毎日待っていてくれて、朝の挨拶をするのが日課でした。それがどういうものかと言うと
「〇〇くん、おはようございます!(園児と手をパチンとハイタッチ後、ぎゅっと先生が抱きしめてくれる)。」
挨拶・ハイタッチ・ハグ
これが朝の日課でした。
ただ、毎朝。園に行くまでは元気におしゃべりもする次男。そして園に入る前には
「先生からかくれんぼするから、ママ抱っこして!。」
そう言っては、わたしの肩に顔をうずめて、楽しそうな様子。ところが、いざ先生の前に立つと…
「…。」
急に無言になり、固まる次男。。。
先生がどれだけ挨拶を促そうと、冗談っぽく「朝のご挨拶しよっか!。」と言ってくれても
「……。」
次男は立ち尽くしたまま、一言も発しません。それをわたしは何も考えず
「ほら、おはようございます言ってみよ?。」
などと、先生と一緒になり次男に言ってみるも、やはり言葉は出てこない。実はこんな毎日を半年以上も続けてしまってました。。。
その後、わたしの発達障害の主治医から”場面緘黙”の話があり、本当にハッとしました。
次男に半年以上も場面緘黙であることを理解せず、挨拶を促していた…
わたし自身も場面緘黙を経験しておきながら、その辛さを知っていながら、我が子の場面緘黙に気づいてあげれなかったことを、本当に深く反省しました。。。その後、すぐ次男にこう言いました。
「朝の挨拶さ、もうパッチンだけでいいからね。ごめんね、難しかったよね。また、言えるようになったらでいいから、明日からはパッチンが挨拶だよ、後はママが代わりに言ってあげるからね!。」
そう伝えると
次男はゆっくりと無言のまま
わたしにぎゅっと抱き着いてきました。。。
辛かったんです。場面緘黙は辛いんです。
話したくても声が出てこない、それが幼いと自分でもどうしてなのかがわからない。朝のほんの少しの時間だったとしても、ちょっと悲しい気持ちで、毎日毎日…園に入っていく次男を思ったら、やりきれない思いでいっぱいになりました。。。
次男のその後
保育園の先生にも”場面緘黙”のことを伝え、次男の挨拶はハイタッチとハグだけにしてくれました。それが今の次男の挨拶なんだと、先生方も理解してくれ、やさしく対応してくださってます。次男もそんな毎日に
朝の挨拶時の顔はちょっと明るくなってきました。
”場面緘黙”の事実を知らないでいたら、そして周りにも理解を求めないでいたら一番苦しんだのは次男だったでしょう。このことから、やはり特性を知ることは、本当に大事なことなんだと実感しました。
ちなみにわたし自身の経験から、場面緘黙は年齢と共になくなっていくこともあります。実際わたしの子どもの頃で言うと、電話をかける時も(番号を押してかけて、相手が出ても黙ったままでした笑)、かかってきた電話を取ったとしても、全く話せなかったのが何年も続きましたが、はっきりとした記憶ではありませんが、小学生に上がるころには、話せていたと思います。
このことから、専門的な治療うんぬんはわたしからは言えませんが、ただ、”場面緘黙”というものがある、そしてそれは、話しなさいだとか、ちゃんと言いなさいだとか、そう言われるのは辛いだけ。
親や周りの大人が出来ること
それはというと
話せない辛さ・声が出てこない辛さ
その気持ちによりそってあげて欲しい
これだけは、はっきりと言えます。
正直、ここだけでいいんじゃないかとも思っています。
最後に
発達障害の中にあるいろんな壁が、自分の前に立ちはだかる時、これは子どもの頃からたくさんあります。それを本当に幼いうちから、子どもたちは一つ一つ乗り越えていくのです。
癇癪やこだわりの強さ、多動性や衝動性、これらに親は疲れ切ってしまう時もありますが、それ以外のところで子どもたちは、そんな自分で生きていくために、頑張っている時がたくさんある、という事実もあります。
親のメンタルとのバランスが難しい時もありますが、一つ一つ、いろんなことを乗り越えようとしている子どもたちの後ろからそっと、支えてあげられる親でありたいと、わたしは思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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