ASD 辿り着いた職種は「個人プレー」

感覚過敏

何を優先し、何を選択すればいいのかが分からなかった

わたしは今こうしてASDについてのブログやYouTubeを始める前までは、10年以上パティシエとして働いていました。専門職ではあったものの、その雇用形態は会社員であり、一つの大きなチームに属しているというスタイルでした。当時のわたしが今とは全く違う職種であるパティシエの道にどうして進んだのか。考えられるのは、わたしの実家は和菓子と洋菓子のお店を営んでいたということもあり、今思えばその影響が大きかったこと、そして田舎だったこともあり、その他の選択肢があるという経験がわたしには少なかったからこそ、進んだ道だったかもしれません。

今となってはもう一度パティシエをしようとは全く思えないほど、自分には不向きだとわかっているのですが、それでも製菓の専門学校までは何とかやり過ごせていたし、お菓子を作ることが楽しいと感じられることもありました。

それが就職して仕事に就いた途端、日常生活をまともに過ごせないほどのストレスを抱えるようになってしまったのです。学校というある程度逃げ道があった環境の中で、多少のことは何とかカバーできていたことができなくなっていったのです。

  • たくさんの人とコミュニケーションが上手く取れないにも関わらず、取らなくてはいけない
  • 毎日20人ほど集まって終礼しなくてはいけないことが苦痛でたまらない
  • マイペースさを完全に無視して過ごさないといけない
  • 威圧的な上司がたくさんいる

当時19歳、こういった逃げ道のない日常が夜も眠れないほど辛かったにも関わらず、親に相談しても「辞めずに頑張りなさい。」「頑張れば何とかなるから。」と言われたその言葉を、字義通りに受け取りやすいわたしは真面目に受けてしまい、それこそ休まずに頑張り続けてしまいました。結果的には体調も、そして精神的にも完全に異常をきたしてしまいました。何が自分に起こっているのか、こんなに頑張っているのにどうして他の人と同じように上手くできないのか、いろんなことが全く分からない状況に取り残されたまま、結局は逃げるように仕事を辞めることしかできませんでした。そしてその後も同じようなことの繰り返しで、職場を転々としました。

もし、の話をするとすれば。当時のわたしにASDの自覚があって、そして子供の頃から特性から起こる困りごとを相談できる環境を過ごしてきたのであれば、わたしはパティシエという仕事を選択しなかったと思います。それがどうしてなのかというと

自分の得意・不得意がわかっていて、更にどういった環境が適しているかを優先し、選択すればいいかもある程度わかるからです。それは好きや嫌いという感情の部分だけではなく、自分に不向きな環境を選択しないという“消去法”で物事を考えられるからです。

二次障害に陥るほどの選択をしてしまったのは、当時のわたしが何の自覚もないまま、ただ単に「好きかもしれない」「まぁこれでいいや」なんてとても曖昧な考えで、仕事を選択してしまっていたからだと思っています。

本来の自分と社会とのミスマッチがどうして起こるのか

わたしが初めて発達障害外来を受診した時、とてもつらい状態でありながらも、主治医の先生に今後の仕事についても相談をしていました。自分に残された働き口はパティシエしかないと思い込んでいた、というよりも、思い返せばこだわっていたからこそ、他の選択肢があるかもしれないという考えにすら至らなかったわたしは、働く意思はあってもその状況に戻ることを考えるだけでも苦痛だと話すと、先生からこう言われたのです。

「パティシエってチームプレーでしょ?そんなの無理だよ。どうしてもやるとしたら、お菓子教室のような、あなたが自分で動いてやるスタイルの方がいいと思うよ。というよりももっと、あなたに向いてる仕事が他にも絶対あるよ。」

この一言はわたしにとってとても衝撃的でした。何が自分を苦しめているのか、果たしてこれまで経験してきた環境以外の選択肢はないのか、というところにあっさりと答えをもらったように感じたからです。

わたしは自身の経験から、ASDである本来の自分と社会とのミスマッチがどうして起こるのかは、選ぶ職種、そして職場環境が自分の特性とマッチしていないからだと思っています。

障害者雇用であれば配慮もありますが、一般雇用となると個人レベルで配慮してもらえることは難しくなります。わたしの場合は、チームワークや臨機応変な対応が常に求められることが困難だったにも関わらず、その環境に従うしかなかったからこそ、結果的には続けられませんでした。
その他にも例えば、真面目にコツコツと仕事をこなし、ある程度の成果を出してきたからこそ管理職になったとしても、その状況をよろこべる人ばかりではない、というものもそうです。管理職になったために仕事のパフォーマンスが落ちた、という人もいます。やはりそこには、個人の特性が大きく関わっていて、管理職に求められるチームワークを高めるリーダーシップが取れる人もいれば、そうでない人も当然いるからです。だからこそ本来目指したいところは、タイトルがつかなくても昇級できる、という環境があれば、ASDの人はもっと働きやすくなるのではないかと思います。

こういった自分の特性と社会との間に起こるミスマッチを防いでいくためにも、先ず自分にはどういう特性があるのか、どういった環境が適しているのかを理解することは、とても重要だと思っています。

辿り着いた職種は「個人プレー」

わたしは主治医の先生の一言に衝撃を受けてから、わたしに適している環境を探り始めました。それと同時に、10年以上続けてきたパティシエという仕事に戻るという考えをあっさりと手放しました。手に職があるのに勿体無いと言われたりもしましたが、そんなことはわたしにとってもう既に重要ではなかったのです。それからはとにかく自分に適さない職種を消去法で選択し、そして更にわたしが苦手とする環境を特性と照らし合わせながら、避けなくてはいけないものをいくつか挙げてみたのです。例えばその中には

・苦手な音がたくさんある環境

→“聴覚過敏”が影響していて苦痛を感じる

・多くの人とのコミュニケーションが必須

→対人関係、コミュニケーションに困難がある

・数人で連携をとりながら仕事を進めるスタイル

→他者にペースを乱されたくない

というものが出てきました。こういった結果から辿り着いたのが

「個人プレー」ができる環境作りをする

というものでした。数人が集まるチームプレーを求められる仕事に就いている以上、ストレスから解放されることはないと確信したわたしは、とにかく自分一人で取り組めるスタイルを目指し、そこをぶれさせないような環境作りに動いたのです。

ASDに求められるのはソーシャルスキルの改善ですが、それは多くの人と上手くコミュニケーションを取れるようにしていくものではなく、コミュニケーションをとりながらもその環境を最小限にとどめる、というものでもあると思っています。苦手な部分を上手くコントロールする、または捨てる、ということをしながら、自分にある今の社会ではデメリットとなる部分を最小限に抑え、得意なところに集中投資する、ということです。

わたしは個人プレーのスタイルを確立してから、大変だと思うことはあっても昔のような強いストレスを抱えることはなくなりました。その上、辞めたいと思うこともなく逆に、できればずっと続けていきたいとまで思えるようになったのです。マイペースに進められる、見通しが立てられることで不安もなくなる、そして多数派の人たちとの直接的なコミュニケーションがなくなったことでストレスからも解放された。こういった環境が出来上がったことで、やっと自分に出来ることを見つけられたと感じています。このような心境は、これまでのわたしには全くなかったものです。

ASDにとって「一人で働ける環境」は仕事をする上で大切だと思っています。ただ、このことが会社組織の中でも個人に合った環境を用意することができれば、たとえ個人プレーを確立できない少数派の人たちがいたとしても、その能力を活かすチャンスの場は増えていくと思っています。まだまだ難しい問題ではあるかもしれませんが、どんな特性を持った人たちであっても、生産性の高い仕事ができる環境が確立されていくことを願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

コメント

  1. トミー より:

    ロココさんの記事をいくつも読ませていただきました。私はASDで境遇がロココさんとよく似ています。わたしはロココさんと逆に集団の一員として人と接することができないものかと考えています。ホワイトノイズをしっていますか。私は人と接する対策として、ホワイトノイズを聞きながらその場にいると楽です。よかったらホワイトノイズについて調べたうえで試してみてください。

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