ASDは特徴的な会話の仕方をする
ASDのわたしには、特徴的な会話の仕方があります。それというのが
話の内容があっちへ行ったりこっちへ行ったりする
というものです。特徴的だと言っても実はそのことを、わたしは特に疑問に思ったこともなく、ずっと普通のことだと思っていました。ただ、わたしが自然のままで話をしていると、「相手がきょとんとしている」「え?何の話?」「何で今その話してんの?」そう聞かれる。そんな場面をあまりにも多く経験しすぎた頃にこう思ったのです。
「他の人たちは急に話が変わったりしないな…。これって変なんかな…。」
何だか自分以外の人たちがとても上手に話しているように見えました。それからというもの、注意していろんな人たちの会話の様子を観察していると、会話が滞りなく流れるように交わされていて、明らかに自分とは違う話し方だということを発見したのです。その瞬間に何だか自分のことが「会話下手」だと思うようになってしまい、劣等感のようなものまで発生してしまっていました。
実はこのように感じたのは、そもそもわたしの中では、突発的に思い付いたものを急に話し出しているというような、話がすっ飛んでいるという意識はなかったからこそ、おかしなことを言っているという自覚がなかったからなのです。逆にどうして相手に不思議そうな顔をされるのかがわからなくて、混乱していました。
実はこのASDに見られる、会話の内容があっちに行ったりこっちにいたりしてしまう、という現象には原因があったのです。何も考えていない、相手のことを無視しているというような生理的なものではなく「脳の現象」。それが
ASDの記憶は「線」ではなく「点」の状態で保存されている
というものだったのです。
軽いフラッシュバックが頻発している?
ASDのわたしの頭の中では何が起こっているのか、どうして相手との会話の中で突然、何の脈絡もないような話が思い付いてしまうのか。この現象を探ってみた結果
記憶というものは過去から未来へ、今この状況から少し先まで、という見えない「線」で結び付けられているとすれば、ASDのわたしにとってはその結びつきが、定型発達の人たちほどしっかりと結びついていないからだということがわかりました。
もう少し詳しく言うと、それはASDの人たちによく起こると言われている「フラッシュバック」が大きく関係していると思っています。フラッシュバックと聞けば一般的に、トラウマ的な記憶があって突然その嫌な記憶が鮮明に思い出されては苦しめられる、というものを想像するかもしれませんが、ASDに起こるフラッシュバックは少し違っています。ただ、トラウマ的なフラッシュバックが無いと言っているのではなく、それもあってのものなのですが、少し違っているとはどういうものなのかというと
強いフラッシュバックに加え、それほどでもない軽いフラッシュバックも日常的に頻発している
というものなのです。ちなみにその軽いフラッシュバックの中身はというと、嫌な記憶というよりも、本当にどうでもいいようなことがほとんどです。ただ、軽くてもフラッシュバック的な現象には変わりないので、それこそとても鮮明に、今起こっているかのように頭に浮かんできます。何かのきっかけで、例えば会話の中の相手が発した一つの単語に反応してそれは起こります。ただ、その瞬間に軽いフラッシュバックとして起こる記憶の景色には、相手との会話の中の「単語」がきっかけで映し出されたりするものなので、自分の中では繋がっているような感覚すらあるのです。
このことに加え、浮かんだ記憶は強く意識に張り付くような感じがあって、それが厄介なことに自分の力ではなかなか取れません。だからこそごく自然に、頭に浮かんだものを無意識的に話し出してしまうのです。ASDのわたしが、相手に対してすっ飛んだ話をしているという意識がそれほどなかった、というのはこういう現象があったからなのです。
過去から未来へと緩やかな「線」で結び付けられているのではなく、常に記憶は「点」のように断ち切られていて、バラバラに散りばめられている記憶がどこからともなく飛んできます。
実はこのことは会話をしている時だけではなく、一人で過ごしている時でも意識の中で起こるので、常に考えがあっちへ行ったりこっちへ行ったりします。こういった一人でいる日常的に起こる軽いフラッシュバックの方は、会話の時のように“何かの単語に反応して起こる”というものではなく、何もない状態でも突発的に起こることがほとんどです。例えば一人で車の運転をしている時、キッチンで料理をしている時、そんな日常的な何気ない場面であっても、「幼稚園の時、あの自動販売機でよくお父さんのタバコ買いに行ってたなぁ。」なんていうような、今の状況と全く結びつく要素のない記憶が、突然鮮明に浮かび上がってきたりします。それは自分の中の年代を超えて、バラバラにやってきます。ただ、小さくではあってもフラッシュバックのような鮮明なものなので例えば、やらなくてはいけない作業があった時、または会議やセミナーなど、相手の話を集中して聞かないといけない状況で起こると、厄介なのです。その瞬間浮かび上がった記憶の方に意識持っていかれてしまうために、今優先させるべきことが完全にフリーズしてしまいます。こういった状況になると後々
「…あれ。今、何話してたか全然聞いてなかった…。」
「えっと…。今、何やろうとしてたんだっけ。」
というような困った状態になることも起こります。
ASDは「解離」しやすい傾向がある
これまでの内容をまとめると、ASDには相手がいない状況でも、突然過去の記憶が鮮明に蘇ってきては、まるでタイムスリップしたかのような状態になることがある。しかもその中には、一般的に見られるトラウマ的な強いフラッシュバックの時もあれば、どうでもいい記憶が頻発している状態の時もある。ただ、主にASDの人の話がすっ飛んでいると感じられる時というのは後者の方、どうでもいい記憶が何かのきっかけで、軽いフラッシュバックのようなものとして発生した時が多いと感じています。
ただ、どうしてこのようなことが起こるのか、という疑問には実は説明が付きます。それというのはそもそも
ASDは「解離」しやすい傾向があると言われているのです
「解離」とは一般的にどういう状態を指すのかというと
「解離」
意識や記憶などに関する感覚をまとめる能力が一時的に失われた状態。本来は一つにまとまっているはずの意識や記憶、知覚などがバラバラになることを指します。
ASDの人と話していると話がすっ飛ぶと感じる、でもそのことを本人はおかしなことだと思っていないように見える。または突然ぼ〜っとしては黙り込む。このような場面にいるASDに隠されていたのはまさに「解離」の状態だと言えるのではないかと思っています。
実はわたしはASDだと診断される以前から、会話をする中でいつも気をつけていたことがありました。相手と話していても、その話の流れと関係のない話題を突然話し出してしまう。「解離」してしまうことで相手との間に謎の空気が流れてしまうことに気づいたわたしは、ある一言を練習したのです。それが
「めっちゃ話変わるけど、話してもいい?」
というものです。多数派の人たちからすれば、当たり前の一言かもしれませんが、突然話の内容が変わることをおかしなことだという認識がそもそもないASDのわたしからは、このフレーズを敢えて意識しておかないと、自然に出てこないからなのです。実はこのフレーズは、多数派の人たちが使っているのを見て真似したのがきっかけでした。そして、実際に使ってみると謎の空気が生まれない、なるほどこうすればよかったのかと実感できたのです。
ただ、それは全くの自然体のわたしではありません。慣れてくればほんの少しの意識でできることでも、常に意識していないといけないというものは、とても疲れるので、本当はない方がいいというのが正直なところです。というのも、わたしと同じ少数派の人やASDの息子と話しているときには、話がすっ飛んでもそのことがお互いにとって普通なので、そこに「違和感」は発生しないのです。そのままの自然な自分で少しのストレスを感じることもなく、会話を楽しめます。多数派の人たちの会話の流れの中にあるグラデーションのようなものが「線」で繋がれているものなのであれば、少数派のASDの人たちの会話の中にあるグラデーションは「点」で存在するものだと言えるのかもしれまん。
だからこそ、お互いにとっての理解というものは本当に必要だとわたしは感じています。少数派の人たちは多数派の人たちを知る、多数派の人たちは少数派の人たちを知る、というよりも本当は一人一人それぞれに違っている、という理解と認識が広まれば、他の誰かに合わせて生きていくのではなく、誰でも自然のままで生きていけるのではないかと思っているからです。わたしはASDだからこそ、少数派だと言われている側の発信しかできませが、少数派であることは決して「欠落」ではないということを知ってもらい、違いがあるもの同士受け入れあえる社会をつくっていければと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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