ASD 学校生活はカオスな世界

発達障害

ASDにとって学校生活はカオスな世界

混沌とした中での毎日

ASDのわたしにとって、それは保育園の頃からそうですが、学校生活というものには本当に馴染めませんでした。毎日行き渋り、重い腰をあげ、重い足を引きずりながらとぼとぼと通うのが、わたしの当たり前にあった一日の始まりでした。

わたしの中で学校というものは、決して楽しい場所ではありませんでした。

  • 一日中うるさくて
  • 無秩序で混沌とした

カオスな世界がわたしにとっても学校そのものでした。

ASDから見た学校生活のカオスとは

大多数の子どもたちは、学校生活に対して、ASDほど懸念を抱くことはありません。いじめにあっているとか、深刻な問題を抱えている子どもたちについては、ここでは別のお話として、そうではない、毎日普通に学校に通えている子どもたちについては

宿題や苦手な授業がちょっと面倒だったり、テストが嫌いだったり、友達と喧嘩してしまって嫌な気分になったり、このくらいはあったとしても、そんな中でも楽しいことの方が多かったりするからこそ、何とか過ごせるのだと思います。

ではASDのわたしが、どうしてそこまで学校というものがカオスだったのか。その理由を挙げてみます。

感覚過敏・予測不可能な時間・標的

感覚過敏

聴覚過敏・嗅覚過敏・視覚過敏、これらがあるわたしにとって、一歩学校に入ると聴覚過敏の為、子どもたちの遊ぶ声が、とても大きな音として耳に刺さります。子どもたちの声もそうですが、先生の大きな声も苦手で、それらの”音という音”にまず疲れ切ります。

その状態に重なるように、嗅覚過敏から、下駄箱の臭い、給食のご飯の臭い、こういった特定の苦手な臭いに触れる度に、気分が悪くなってしまうのです。視覚過敏はどうだったかと言うと、教室の中にたくさん貼られている、色が沢山ある、文字がたくさんある作品だったり、先生が張った何かだったり、とにかく目から入ってくる情報が多過ぎても、疲れていました。

予測不可能な時間

わたしは休み時間が苦手でした。特にお昼にある長い休み時間は、毎日何をすればいいのか決まっていない中で、常に予定外のことが起こる時間だったからです。

親友とゆっくり過ごせたりする時は良かったのですが、突然、担任が遊びを計画して、その遊びに強制的に参加しないといけなくなったりすると、休憩時間なのにとても疲れる時間として過ごさなくてはいけませんでした。

標的

ASDは、ASDに対して母性本能のようなものを感じ、大切にされることもあれば、その独特な雰囲気やマイペースさから逆に目立ってしまい、そのことが気に食わない人からは”標的”にされることもあります。

わたしにとって、この”標的”が一番きつかったかもしれません

それは保育園の頃から始まりました。毎日行き渋り、泣きじゃくるわたしを送った母親が、わたしを送り届けて帰り、母親の姿が見えなくなった途端、当時の先生から多くの園児の前であざが出来るほど叩かれたり、気分が悪くて食べれない給食を、掃除の時間まで残され、ほこりまみれの中で泣きながら食べ終えた後に、園庭に引っ張り出され、怒られながら給食のトレーを洗わされたり。

小学校に入ってからも、絵を描いていたら急に後ろからおもいっきり叩かれ、「下手くそ。」とみんなの前で言われた事。丁寧に掃除をしていたら、そんな掃除の仕方をするなと怒鳴られ、こけてしまうくらい叩かれた事。

その度に悲しさと悔しさで、涙をこらえるような毎日でした。ただ、その頃に唯一救われたのが、わたしを大切にしてくれていた友達でした。わたしは、特定の先生には標的にはされやすかったのですが、友達には恵まれたと思っています。

今でこそ”標的”にされることは無くなりましたが、それはその頃に

  • ASDが持つ、負けず嫌いの精神で何とか乗り越えたり
  • 理不尽で差別的な大人がいることを学んだり
  • そういう大人がいる中でどう立ち振る舞うべきか

こういう事を逆に学んだからかもしれません。それと同時に、支えてくれた友達から、大切にするべきものの視点を教えてもらったことも、大きかったかもしれません。

カオスな世界が全てではない

そこからの学びはいつか活きてくる

ASDのわたしにとって、毎日通わなくてはいけない学校はカオスの世界でした。

他の子どもたちが、たくさんの友達同士で遊んだり、先生と上手く付き合っていたり、授業や休み時間を楽しんだり、楽しいことが80%の子に比べ、わたしはその逆の

屈辱・誤解といったような否定的な感情が80%を占めていました

そしてその時間は、とてつもなく長く感じられるものでした。ただ、今思えば

逆にわたしのことを理解してくれる先生に出会った時のよろこび

友達からの思いやり

そして、そういった辛い時間にもいつか終わりが来るということ

こういったことを学び、後のわたしの生きる糧にさせてもらったように思います。

今は、わたしの子どもの頃とは時代も変わり、学校側もASDに対応していたり、先生自らが取り組んでくれる時代に変わってきていて、随分とASDの子ども達には過ごしやすい環境も増えてきているのではないかと思っています。

だからといってまだまだ、偏見や差別的な見方は残っているのも現実だと思っています。状況をしっかりと見ていきながら、安心しきることなく、親はASDの子どもたちに、アンテナを張ってあげて欲しいと思っています。

そして学校側や関わっている大人とコミュニケーションを取りながら、親子で主張するべきところは主張し、ASDの子どもたちが親の手を離れるまで、共に歩んで行ってあげて欲しいと思っています。

最後に

ASDが自分の世界から一歩外の世界に出るだけで、それは学校だけに限らず、カオスだと感じられる状況は、いろんな場面において感じられます。

心理学者でASDについても研究されている、トニーアウトウッドが

”心の休み時間”

ということを言っていました。それは、ASDの子どもたちに限らず、ASDの大人であっても必要だと思っています。混沌とした社会の中で生き抜いていくために

  • 安心できる空間
  • 心許せる人
  • 頑張り過ぎない自分

こういったことを意識しながら、心が疲れ切ってしまう前に”心の休み時間”をうまくとるようにしていくこと、そしてなるべく自分に合った環境に身を置いていくことが、ASDにとっては大切だと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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