ASD 基本的には「一人が好き」

感覚過敏

ASDにとってのコミュニケーションとは

ASDはコミュニケーションが苦手な人が多く、わたしもその中の一人です。その理由としては

  • 自分の思いをうまく言語化できない
  • 興味のある事をずっと話し続けてしまう事で相手との会話が成立しなくなってしまう
  • 逆に相手が話している内容に興味を持てないと全く話が聞けない

といったものがあります。だからといって、実はコミュニケーションが成立しない場面ばかりではありません。ASDにとって感覚的に“話しやすい人”という人達がいることもあって、その時にはお互いに楽しいコミュニケーションも成立します。この“話しやすい人”というのはわたしの場合、大体において同じような特性を持ち合わせた人、ASDやADHDの要素がある人の場合が多いです。その他の人であれば例えば興味が一致した時、こういった場面でもコミュニケーションに困ることはありません。

“話しやすい人”という人がどうして同じような感覚や特性をもった人に多く見られるのかというと、多数派の人たちにとってのコミュニケーションに対する“目的”と、ASDのコミュニケーションに対する“目的”がそもそも違っているからなのです。多数派の人達の目的が、人と人との交流、何気ない雑談をするその時間自体、または自分以外の人に思いを共感してもらいたい、というものがあるとすれば

ASDにとってのコミュニケーションは基本的に“情報交換”です

情報交換という目的を果たすための会話が雑談でありコミュニケーションであり、そういった時間が楽しいのです。逆に、何でもない世間話のような会話を楽しむことのほうが難しかったりします。コミュニケーションにおいて何を優先させるかが、ASDと多数派の人達とは違ってくるのです。実はこの様なASDのコミュニケーションの取り方は、子供の頃の遊び方から既にはっきりと見て取れたりもします。

子供の頃から現れる「ASDの遊び方」

ASDのわたしは、子供の頃から一人で遊んでいることが多く、それが全く持って普通でした。友達に誘われれば一緒に遊ぶことはあっても、自ら数人に声をかけて一緒に遊ぼうと誘ったことはなかったと思います。とにかく

  • 一人遊びが好き
  • 他の誰かと遊びたいと思う時の相手は決まって同じ
  • 1対1で遊ぶスタイルを好む

というものでした。

一人で遊んでいても特に寂しいという気持ちはなく、逆にこのような遊び方がマイペースさを保つことができる、そのことで必要な目的を果たしている、という感覚があって、わたしにとっては心地よかったのだと思います

そうではない数人(大体4〜5人以上)の子供たちの中に入ってしまうと、どう振る舞えばいのか、情報が交差する中でどのタイミングで何をどう話せばいいのかがわからなくて、いつも周囲の子供たちの様子を伺い続けては黙り込み、とても疲れてしまっていました。

実はわたしの息子も、5歳になった頃にASDの診断を受けています。今思い返すと息子が2歳の頃からわたしと同じ、ASDらしき様子は見て取れていました。それは、一緒に公園に出かけて行った時、遊具に他の子が一人でも遊んでいると入っていけず、遠くからずっと眺めている状態で誰もいなくなるまでじっと立ったまま。いなくなるとゆっくりと遊具で遊びだします。一緒に遊ぼうと誘われても、いつも戸惑った表情で結局は一人で遊ぶことをしていました。

遊具も楽しいけれど、出来たら他の子とも一緒に遊びたいという感覚はあまりなく、自分の目的である“好きな遊具で遊ぶ”ということが最優先で、そこが満たされていればそれでいい、という感覚なのです

もちろん成長するに従って他の子とも遊ぶことをしたりもしますが、その時の心情には

  • 本当はあまり気乗りはしないけれど周囲に合わせて一緒にいる
  • 遊びの内容自体に興味を持ったから、自分の気分でただちょっと遊んでみただけ
  • 同じことに興味を持っている、その事について話せるお友達だからこそ一緒に過ごしている

というものがあってとっている行動とも考えられます。

基本的には一人が好き

ASDはコミュニケーションが苦手だといっても、その事自体に無関心というわけではありません。冒頭でもお伝えしたように、相手との会話が弾む時の様に、苦痛だと感じない時もあるからです。ただ

自らその相手との関係性を築こうとするのか、と言われれば「それとこれとは別」といったとてもドライな感覚も持ち合わせているのです

どんな場面においても“浅く広くは求めない”という特性上のものも関係しているかもしれません。

例えば興味を持つ人が現れたとしても、その人と何か一緒にやってみたい、チームを組んでみたい、という感覚はあまり生まれません。会えれば嬉しい、でも自ら誘って交流しようと動こうとはしない。どこかはっきりとした、自分と他人との境界線があって、その人の領域に入りたいとは思わないし、自分の領域にもできれば入ってきて欲しくない、というようなところがあるのです。基本的には一人が好きなのです。

わたしの場合で言うと、仕事でもプライベートでも、自ら他の誰かと何かを一緒にやりたいと思った事はありません。常に一人遊びが好きだった子供の頃の感覚が、今でも残っているのです。ただ、何かを一緒にやりたいとは思わなくても、家族のように付き合っている親友、心を許している人に対しては逆にいつも大切に思っていたり、会いたいと思う気持ちもあるのです。

ASDにとっての「基本的には一人が好き」という感覚は、“何かを一緒にやるかやらないか、チームを組むのか組まないのか”などという状況に発生するものであって、どんな人にも会いたくないし一緒に居たくない、というものではないのです

もちろん全てのASDがそうだとは言い切れません。同じASDだと診断を受けていても10人いれば10通りと言える程、一人一人に違いがあるからです。ですので参考にできそうな所だけ上手く見て頂ければと思います。

いろんな人と対人関係を築くことには興味がない、ただ大切な人とだけ繋がっていたいだけ

わたしは以前、パートナーと子供たちだけで里帰りをしたので、10年振りくらいに何の予定もない一人だけで過ごせる日が4日間与えられました。何の予定もない、自由に時間が使えるとすれば、自分だったらどう過ごすだろう?と考えてみてください。例えば、1日〜2日は一人でやりたいことをしながらゆっくりと過ごし、他の日は友人を誘ってお茶かランチでもしてみようか、またはいつもとは違う事を何かしてみようかな、そう考えた方もいるのではないでしょうか。では、ASDのわたしはどう過ごしたかというと

他の誰かに連絡を取ることは一切なく、一人の時間と空間を確保することを優先し、ずっと一人、わたしの家で過ごしていました

しかも自由に過ごしていいはずの一日でも、いつもと同じルーティン、いつもと同じ時間割で淡々と過ごしていました。せっかくの休みだから誰かを誘って出かけようという発想はなく、一人で過ごすいつもの安定したルーティンが心地よくて、その中に自由な時間が出来れば、ただひたすら“自分一人で、自分のやりたい事で埋め尽くす”というものでした。それに加え、わたしには聴覚過敏もあるために「静かな場所で過ごしたい」という意識もありました。慣れていない場所、音の多い場所は普通に立っているだけでも疲れます。こういった特性上のことからも“自分の家が唯一安心できる場所”だったからだと思います。ちなみにこういった感覚のことは理屈ではない為、避けるしかない事の方が多いのです。このようにASDのわたしは

コミュニケーションを取る事は嫌いじゃない、ただ、いろんな人達と対人関係を自ら築いていきたいと思っているのか、と言われれば“その事自体に興味が向かない”、出来れば一人静かに過ごしたいといった感覚があるのです

これだけいうと、ASDはとても冷たい人のように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。もちろん付き合いの浅い人達とのコミュニケーション自体が苦手で避けてしまう、というところもありますが、自分にとって大切な人とだけ繋がっていられればそれでいいという思いが深く、常にその部分を無意識的に優先してしまっているからかもしれません。

ASDの人達は実はとてもシンプルで自分に正直な生き方をしている、そう言えるとも思っています。わたしがわたしと同じ感覚を持ったASDやADHD傾向のある人と付き合いやすいのも、その一つに“裏表がない人”だという事がすぐにわかるからです。本心ではそう思っていなくても相手に合わせて話をしたり、共感したように見せることで相手を楽しませたりする、という事も対人関係を築く上で大切なことかもしれません。ただ、わたしにはそれが上手く出来ません。やってみたとしても、頭の中はいろんな情報でいっぱいになり、心身ともに疲弊してしまいます。だからこそ、同じような感覚を持ち合わせた人とは話しやすいのかもしれません。

社会の中で対人関係を築くことはもちろん大切ですが、その対人関係を築くということがASD当事者、またはその傾向があれば、他の人達がするように自分はどうしても上手く出来ない、ということもあります。だとしても場合によっては

相手に上手く話を合わすことが出来なくても、その時の言動はとてもストレートで正直な意見だからこそ伝わる、逆にそういった人だからこそ信用できる、という事もあると思います

対人関係でもそうあるように、“日々の過ごし方についても、そのスタイルは全ての人に共通して同じではない、一つではない”ということは言えると思っています。こういった事実からもASDにとって、それぞれに合った“無理をしない環境づくり”というものはとても大切だと思っています。そうやって一人一人に合わせた理解と柔軟な発想、そして環境が出来ていくことをわたしは願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

コメント

  1. REIKO より:

    私も多分ASDです。昔から友達が少なく、高校は同級生との関係が構築できないまま卒業し、大学は行かなくなり中退しています。社会人になっても上司からパワハラを受けたりしました。HPの文章大変参考になりました。ごく一部の大事な人とつながりたい気持ち、共感しました。幸い、私も数人の大事な人がいます。それで良いと思えました。

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