診断が生き方に何をもたらしたのか
わたしがASDだと診断を受けたのは、40歳の時でした。今になって、40歳以前のことを思い返すと、どうやって生きてこれたのかと思うほど、どこに行っても、何をしてても、常に生きづらさというものがついて回っていて、何が本当の自分でどういう自分でいるのが正解なのかということばかりを考えていたように思います。特に自分でも説明がつかずに悩んでいた事と言えば
- 物心ついた頃から大きな音が異常に怖いと感じるのに、それはわたしだけ。周りの友達や大人たちは花火大会も耳を塞がずに楽しめる、運動会のピストルの音も、お誕生日会を盛り上げるクラッカーの音も全然平気で。でもわたしには恐怖以外の何者でも無い、どうして平気でいられるのかがわからなかったり。
- 特に思春期になった頃からの、幼馴染以外の女子のグループがとにかく苦手で(具体的には4人以上の集まり)。その中にいる時には早く一人になりたいと思っていても、そう正直に言えるような状況でもないのはわかっていて。グループで集まっている女の子たちが楽しそうに過ごしている中にいては、いつもどこか「着いていけない空気感」を一人だけ感じていたり。
- 就職してからも、周りのペースに合わせて臨機応変に対応することが、とてつもなくストレスだったり、仕事終わりに職場の人たちと飲みにいくことが、全然楽しいと思えなかったり。ただ、そういった場で他人とコミュニケーションを取ることが、得意ではないにしてもそこまで苦痛ではない人たちの方が多いと肌感覚でわかっていたからこそ、わたしが感じている、付き合いで行かされるようなコミュニケーション自体を常に避けたい、と強く思っている本心を隠すようになったり。
このように、とにかく周りにいる人たちが楽しそうにしている状況、少しの我慢で何とかなる状況が、多くの場面でわたしには真逆な状態、強いストレスを抱える状況がありすぎて、常に孤独感のようなものを感じていました。
診断を受けるまでは、このようなモヤモヤした生きづらさを誰かに話すこともできずに、というよりも、上手く説明できなかったからこそ、うつ状態になったり、適応障害になったり。その辛さから逃げるために、ずっと自分をどこかに置き去りにして、見て見ぬ振りをしているような状態だったと思います。ただ、このことが一変した時というのが
ASDだという診断を受けた時でした
初めて聴覚過敏という言葉を知り、チームワークが苦手だということも知った。その他にもこだわりの強さや個人プレーを好むという傾向がある、それらのわたしが持っていた特性を一気に吸収したのです。そして本来のわたしとして初めて話し合えた先生にも出会えたことで、それこそ何十年分の溜まりに溜まった問題に対して
「あぁ、だからそうだったのか…。」
そう答えが出たのです。診断はわたしの取説だったのです。それを手に入れたことですごく生きやすくなったのは事実で、それからは生き方自体も圧倒的に変わったと思います。
自分を知ること・受け入れることの大切さ
今思えば、わたしをASDだと診断してくれた先生との出会いが一番大きかったかもしれません。診断を受けるまでは訳もわからず、とにかくこのしんどさから抜け出したいという思いだけで心療内科に足を運んだりしていましたが、いつも診察は数分で終わり何の解決もされないまま。出口のない暗いトンネルをずっとトボトボと一人で歩いているような感じがしていました。
そんな中、当時今の主治医の先生と出会いASDだとわかってからは、わたしの生きる道がやっと少し照らされたように思ったものです。しかも診察時間は毎回1時間。こんなにたっぷりと時間をかけて、今の状況をなんとかするにはどうしたらいいのかと、真剣に向き合ってくれる先生は初めてでした。先生の元に通うたびに、ASDとしての自分の生き方に答えをもらい、助けられたような感覚までありました。
それからというもの毎月1回主治医の先生の元に通いながら同時に、わたしは発達障害についての勉強を始めました。発達障害って何?というところから始まり、わたしっていったい誰なんだ、本当の自分はどこにいるんだ、そんな疑問だらけのスタートから猛ダッシュするように、とにかく知識を詰め込んでいたように思います。それもきっと、興味関心が発達障害に向いたことで、過集中状態に入っていたのかもしれません。
そして学びを進めると同時に、わたしの2人の息子たちについても見えてきたものがありました。結果的には息子たちも発達障害だという診断を受けたのですが、この診断についても正直、本当に良かったと思っています。
発達障害の知識がなかったら、受け入れていなかったら、主治医の先生の助けがなかったら、息子たちの可能性を潰し、生きづらさの中で何もわからずただ時間をやり過ごすだけのような、わたしが歩んできた道と同じ道を歩かせてしまっていたかもしれません。
何をやっても上手くいかない、そのことを努力でなんとかしようとすればするほどストレスは溜まり、怒りとなっては周囲の人を攻撃してしまう。または殻に閉じこもり、まるで無関心を装うようにして、関係を絶つことを選択してしまう。気づけば、周りの人たちにも辛い思いをさせ、だから難しい人だと言われては孤立する。場所を変えてもまた同じ、出来ない努力で身を滅ぼす。そんな状況にいても、自分がわからない。ただ、実はたった一つのワンクリックで一変する、自分にあった環境を選択すること、特性を知ることだという答えがあるのに、その事実を知らないまま生きるのは辛すぎるのです。
発達障害の人たちを、そういった状況に置きざりにしなことがとても重要だと感じています。自分を知ることがどれほど大切か、受け入れることがどれほど大切かは、わたしは身をもって感じています。それは本来の自分で生きられる選択肢があるということに加え、大切にしている家族や友人、関わっている人たちとの関係性にも、良い意味で影響を与えるものだと思っているからです。
診断は「伏線回収」
診断を受けた後、知識を得ながら自分を知ること・受け入れる作業はまさにわたしにとっての「伏線回収」でした。
感覚過敏、こだわりの強さ、興味関心への偏り、コミュニケーションの困難…これらの特性から、子供の頃からのいろいろなことの意味がようやくわかったと思えたからです。生きづらさの理由がわかったのです。実はその当時、わたしが初めて診断を受けた時に良かったと思えることがあります。それというのが、診断を受けるまで発達障害に関してほとんど知識がなかった、という部分です。「知ってた方が良かったんじゃないの?」そう思われるかもしれませんが逆に、知らなかったことでASDへの偏見もなく、差別的な意識もなかったからこそ、診断を前向きに受け入れられたからです。
ASDの人の中には固定観念が強くなる傾向があって、それがASDに対して差別的な方向に向かってしまうと、自分がそうだと診断された時にはショックを受ける、またはどうしても受け入れたくない、という感じになってしまうという人もいます。もちろん一部の人ですが、このように発達障害に関して凝り固まった知識しかなかったりすると、伏線回収自体が辛くなってしまう人もいるのです。わたしには良くも悪くも、ASDに関しての知識がなかったらこそ受け入れ態勢ができていて、その上わたしを診断した主治医の先生がわたしや子供達の可能性をもっと広げようと、強い協力体制で対応してくれたこともあって、本来の自分と向き合う時間が持てたのかもしれません。
わたしは伏線回収をすることで、いろいろなことへの答え合わせをしていったわけですが、その中でも面白かったのが、わたしとずっと仲良くしてくれている付き合いの長い人たちに関してのものでした。「どうも同じような感覚の持ち主な気がする…。」
というものです。実際、後々わかったことなのですが、同じく大人になってから診断を受けた人(ADHDの人もいます)、そういう傾向があると自覚している人がほとんどでした。ただ、そういった友人と出会った当時は何十年も前のことですから、もちろんわたしにはASDだという自覚もない、お互い発達障害についての話をしたこともないという状況です。それでもなぜかすぐに気が合って、ずっと長く付き合っていられるというのは“なんとなく嗅覚で仲間だとわかる”という感覚はあったと思います。
わたしはASDだと診断されたことで、自分のことだけではなく息子たちのことを理解するきっかけをもらい、本来の自分から発生する困り事を相談できる主治医の先生やパートナーができ、これまでの仕事に執着することをやめ、自分の苦手と得意に目をむける、ということができました。一言でいうと、生き方がだんだん楽になってきた、という感じです。もちろん苦手なコミュニケーションの場面や、逃げ出したくなる状況はまだまだありますが、それでも診断を受けたことで、全てを重く背負わなくてもよくなった部分はあると思っています。こういった経験は、わたしだけに起こるものではないと思っています。だからこそ診断の有無に関わらず、今もまだ暗いトンネルにいる当事者の方がいるのであれば、よくなる可能性が全くないわけではない、あなたを理解できる人はいる、ということをこれからも伝えていきたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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