ASD 考えてる時に話しかけないで

発達障害

考えてる時に話しかけないで

ASDは考えてる時に話しかけられるとどうなってしまうのか

わたし自身、思い返してみると本当に思い当たる節があり過ぎることに自分でも驚きました。それというのは

考え事をしている時に話しかけられることが、苦痛以外の何ものでもない

というのは、わたしの例で言えば

  • 質問に対しての答えを考えている時
  • ブログの内容を考えているとき
  • メールの返信など誰かに対しての返事を考えている時

この様にとにかく

考えてる時に話しかけられる

これがとにかく”苦手”でした。それがなぜかと言うと
その時に入ってきた相手からの言葉が、自分の考えていた内容を押しのけて自分の思考の前に出てくる、こういう状態になってしまうからなのです。

こういった感覚はおそらく、ASD独特なものだと思いますので、もう少し詳しく解説していきます。

聴覚による識別の難しさ

ASDは聴覚過敏がある方が多いです。聴覚過敏があるということは、大きな音に敏感だとか、ある特定の嫌な音に敏感だとか、そういったことだけではなくて

聴覚過敏でたくさんの声や音が入ってくると

話されている、または考えている内容の理解が難しくなる
こういったことが起こるのがASDにある聴覚過敏なのです。

もう少し端的に言うと

大勢の人が話していると、沢山の会話が入ってくると、訳が分からなくなるのです

思考の過程が混乱する

一つ一つ処理したい

ASDはとにかく、一つの情報に対して、一つづつ、ゆっくりと答えを出していきたいのです。というのは

聞こえてきた情報がたくさんあると、必要な順に選択していくということが難しくなるのです

考え事をしている時に話かけられたり、声が聞こえてきたりすると、頭の中で考えていた言葉と、その他の言葉が交じり合ってしまい、またもう一度整理しなおして、初めから考え直さないといけない状態になってしまうのです。

実際わたしの場合ですと

  • 早口で話す方との会話
  • 間を置かずに質問される

こういった場面では、考えようとしていても、次から次へと言葉が頭の中で乱雑に飛び交いその結果、返事に詰まり、相槌を打つだけになってしまう時があります。

考えている、答えようとしている時に話しかけられると、思考の過程が混乱するのです

このことから見ても、ASDは雑談が苦手、というのも納得していただけると思います。雑談が苦手なのは、他にも、興味関心に異常に偏っているという特性も関係していますが、雑談の中にいると、思考が混乱して疲れてしまうことがあるからなのです。

ASDが話かけられても内容を理解しやすい状況とは

ASDが話しかけられても大丈夫な時、または相手の話していることを理解しやすい状況があるとすれば、それは

  • 1対1や3人くらいまでの人数の中
  • 相手がゆっくり話してくれる
  • 答えるまで少しの間を置いてくれる

こういう時は、ASDにとって落ち着いて話を聞けたり考えたり出来ます。

実はわたしが子どもの頃から特に慕い、いつも遊んでもらっていた従姉がいました。その従姉というのは、とにかくゆっくりと話す方だったのです。わたし自身も話すのはゆっくりな方なので、わたしと従姉が話しているのを周りの方が聞くと、ゆっくり過ぎておもしろいと、笑われたこともあるほどでした。

その従姉とは今でも仲良くさせてもらっているのですが、今思えば

ゆっくり話してくれる

ゆっくり話を聞いてくれる

こういうところも、ASDのわたしが安心して一緒にいられる、大切な要因だったと理解することが出来ました。

ASDが考え事をしている時はどうしたらいいのか

これまでにお伝えしてきたように

ASDが考え事をしている時というのは、頭の中でいろんな情報や言語に順を置いて整理し、答えを一生懸命導き出している

こういう状態にあるという事がお分かりいただけたと思います。しかも、日常の中にある音も紛れ込んだ状態で、考えています。ですので考え事をしている時に、ダイレクトに話しかけられてしまうと、整理がつきそうだった思考が混乱してしまいます。

考え事をしている時の状態を理解してもらう

ASDが出来ること

  • 先ずはこういった状態になってしまうことを、自分自身で自覚すること
  • そして関係している方にも、理解を求めることが大切です

この事実を知らなければ、考え事をしている時に話しかけられたASDは、露骨に嫌な顔や態度をとってしまたり、または「話かけないで。」と、冷たく返事をしてしまうということも起ってしまいます。

ASD自身に自覚があれば、もし話かけられたとしても

「今はちょっと考えたいことがあるので、もう少し後でもいいですか?。」

そうやって相手にきちんと伝えることが出来たり、または相手の方にとっても

(今は何か考えてそうだから、もう少し後で話してみよう…。)

そう思ってくれる場面も出てくると思います。そうなれば今までお互い、理解がなかったというだけで重い空気となっていた時間が無くなっていくのです。

最後に

わたしは自分自身がASDとわかってから、本当に生き方が変わったと思います。ASDとわかるまでのわたしは、ずっとどこかで

自分を変えようと思ったってやっぱり変わらない…もうこのままの自分で、一人で生きていくしかないんだ

そう思っていました。というのはわたし自身を

変えたい

その思いがずっとあったように思います。どこかで開き直ったような態度で生きて、嫌なことには思いっきり嫌な態度で相手に向かい、と思ったらおもいっきり人に合わせすぎて疲れたり…そんなことを繰り返してきました。

それがASDと診断されてから、厳密にはその瞬間という訳ではなく、じわじわと…という感じですが、変えたいと思う気持ちがどんどん薄れてそれは、”変えたい”というものから

自分を受け入れて生きる

こちらに変わっていきました。それと同時に不思議なことも起りました。それは

わたしと関わっている人も受け入れられる

こういう感覚が生まれたのです。わたしは自分自身を変えたいと思って生きていた頃は、自分にもそうだったように、自分以外の人に対してもどこか、受けれられずにいたように思います。

もちろん、心を許している何十年の付き合いになる親友や先輩、少なからずそういった方には、何のフィルターもなく受け入れられていたように思いますが、その範囲が少し広まった、そんな感じになったのです。

その後のわたしは、自分では想像もしていなかったことを始めました。それが、発達障害についてのブログやYouTubeでした。

生き辛さを全く抱えていないのかと聞かれれば、それは今でももちろんあります。ただ、その中で出会う人、コメントで思いを伝えて下さる人に対して、心からその方たちのメッセージを受け取り、同じような気持ちになって読ませていただいてる自分が、楽しんでいる自分がいました。そんな思いにすっとなれる感覚は、今までになかったように思います。

自分自身を変えたいと思うことは、決して不可能な事ではないと思いますが、そこにはもの凄く強い意志と努力が必要だと思います。

でも、自分自身を受け入れて生きたいと思うことは、自分に対する目線を少し変えるだけでいいということもあります。そして、そんなに頑張らなくても、ゆっくりと変わっていけたりします。

ゆっくりとでも、自分を知るということをするだけで生きやすくなる方が、一人でも増えたらいいなと、いつも思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました