ASD チームワークが苦手

発達障害

ASDはどうしてチームワークが苦手なの?

利己的より自己中心的

ASDについて書かれていたある著書の中に

ASDは利己的というよりも、自己中心的である

そう書かれていました。わたしは良い意味で確かにそうだと感じました。

利己的というよりも、自己中心的とは

自分の世界観で生きていたい
自分だけのマイルールが気持ちいい
その他大勢に合わせることがとてつもなく苦手

とにかく何でも自分で決めたい
こういったASDのことを言っていると感じました

ただASDには”指示待ち”こういった特性も見られます。自分からは動こうとしない、でも指示された事には真面目に取り組む。ではまるで逆の様に見て取れる、自己中心的で”何でも自分で決めたい”というASDと”指示待ち”という両方を持つASDとは?についてです。

”何でも自分で決めたい”そして”指示待ち”のASD

実はこの2つの特性で、大事なポイントがあるとすればそれは

その物事が起こっている環境

これです。というのは

何でも自分で決めたい

こういう思いに駆られる時というのは、実を言うと、常にです。ただもう少し厳密に言うと、例えば学校や、自分があまりやりたいと思っていない仕事をしていたとしたら、その時間が終わった後の時間、自由な時間を過ごせる時には強く出ます。特に周りに合わせなくてもいい環境にいる時です。

指示待ち

この時の環境というのは、ASD自身の”自分の意志以外のところでやらないといけない場面”です。この時は、自分で決めてやりたいと思っていないので、特に自ら動きたいとも思わないんです。その結果、指示をじっと待ち、指示が来たら動く”課題達成型”という状態になるからなのです。

ASD当事者の子どもの頃

自分で決めて動きたい

ここからは”何でも自分で決めたい”というASDのその状態とはどういうものなのかということを、わたしの子どもの頃の実話でわかりやすく解説していきます。

ASDであるわたしは、子どもの頃から特に

自分の時間で動きたい

これを好みました。小学生の頃、放課後ともなればさっさと帰り

  • お気に入りのおもちゃで遊んでいれば満足
  • 仲良しの犬とじゃれ合っていたい
  • テレビをずっと見ている
  • 大好きな従姉の家に遊びに行く
  • 親友と1対1でなら遊びたい

こうして夕方くらいまで時間を過ごしては、お家に帰っていました。

ただ、他の同級生の子たちは放課後ともなれば、4~5人で集まり遊んでいます。もちろん誘われて、一緒に遊んだ経験もありますが、その時のわたしの行動と言えば

「みんなで一緒に○○やろ!。」

ひとりの子が声をかけ、みんなが動き出す時に

「わたしはここで見てるね。」

ひとりで座り、みんなが遊んでいるのをじっと眺めているか、他の遊びをしていました。というのは

とにかく自分で決めて動きたいのです

これして・あれしてが受け入れられない
その上、興味関心にも強く偏っているというものもありますので、関心がないことは、どうしたってやりたくないのです

ASDの根本的な思考の一つに

そもそも、ある特定のグループの一員として自分を見ていない

どんな場面においても”チーム”やグループ”という概念がない、と言った方が近いのかもしれません

こういった思考があるからなのです。集団で何かを行うということに対しての”意味や納得”これを持ち合わせていない感覚と言ってもいいかもしれません。

わたしの放課後の過ごし方を見てみても

  • 自分の時間は自分で決めて行動したい
  • 自分の好きな人とだけ1対1で遊んでいたい

こういった行動が目立っていたと思います。ASDがマイワールドで生きていると言われるのも、納得な世界観だと思います。

自分で決めた事はいろいろ挑戦できる

他にもASDの特性として

  • 安定を好む
  • 非日常が嫌い
  • 新しいことへの挑戦は苦手

こういったものがありますが、実はこの特性からくる思考が軽減される時というのがあります。

自分でやろうと決めた時の行動力

ASDであっても、新しいことをやってみたいという欲求が全く無いわけではありません。ただ、始めるとなると

日々のルーティンが崩れる

経験したことがない事に対して強い不安を感じる

こういった思いが強く出てくるために、なかなか一歩が踏み出せないということはあります。

ただ

自分でやろうと決めた時には、不安を感じながらも始めてみることが出来たり、思い切った行動力を発揮出来たりもするのです

このことからも逆に、新しいことを始めるにあたり、例えばその新しい何かを”他人から強要されたこと”だとしたら、それはASDにとってはとてもストレスになります。

自分で決めたい・自分で納得したい

ASDはここが原動力となって行動できるからなのです

ASDが自分で何でも決めて行動することをしたら

本来ASDは”何でも自分で決めて行動したい”というところがあるのということが、わかっていただけたと思います。ただ、その特性が良い方に働く時と、そうでない時というのはやはり出てきます。

そうでない時というのは、もうわかりだと思いますが

チームを組んで何かに取り組むときです

何でも自分で決めて、自分の意志で動けない時、その場の状況を見ながら周りに合わせながら、機転を利かせて動かないといけない時。ただ、そのチームが、ASD自身が組んだものなら話は別です。そこにはASDの意思があるからです。そうではない時が問題なのです。

とにかくASDにとって

”やらされてる感”

これを少しでも感じると、もうやる気は無くなってしまいます。そうなると結局、指示待ち状態になります。ただ、指示があれば逆にしっかりと物事をこなせるのがASDですので、それはそれで問題ではなと思っていますが、ASDにとっては疲れます。

チームの中にいても、ある程度機転を利かせて出来るASDの方ももちろんいます。ただ、その後は同じように、かなり疲れ切ってしまいますし、そんな日が続けばストレスになってしまうこともあります。

では良い方向に働く時があるとすれば、それは先ほどにもお伝えしたように

自分自身で決めた”挑戦してみたいこと”または”これをやり遂げるぞ”そう決めた時です

ASDは物事に対してコツコツと真面目に取り組む方が多く、そして継続力もあります。ですので、自分で決めて納得したことなら、そのことに向かって突き進むことができ、何かしらの成果を上げることも出来るでしょう

ASDが”何でも自分で決めれる”そういう環境にいれば、そういう環境を選べたら、きっと本来の能力を活かせるのではないかと思っています。

最後に

わたしの子どもの頃は、保育園・幼稚園・学校に通うのがとにかく嫌でした。小学生の頃は、半年ほどだったと思いますが不登校になった時もありました。その時は、朝になれば必ず腹痛か頭痛に襲われ、微熱が出る時もありました。

今思えば、わたしにとって学校という場所は常に”他人に何かをやらされる場所”そういう感覚が強かったのだと思います。強すぎたと言ってもいいくらいだと思います。学校に普通に通えてるその他の友達の様に

学校とはそういうものだ

先生が言っているからそうしよう

そうと割り切れずに、毎日を過ごしていました。それほどASDの”何でも自分で決めたい”という思いは強すぎるのです。

だからと言って、大人になったとしても”他人に何かをやらされる”なんてことは、ASD自身がよほど自分に合った職に就かない限り、そんなことはあたり前について回ります。自分に合った職に就いたとしても、少なからず出てくるものです。

そういう現実を知った経験から、苦痛だと思っていた学校も、それは小さな社会だったんだと思えたら

大人になっていくための、外の世界に出ていくときの為の練習

その練習を嫌々でもやってきたのは、よかったのかもしれない、今はそう思えるようになりました。ただ、本当のところでは、ASDは、能力を活かせる職や環境にいることが、とても大事だと思っています。

そうは言っても、全ての大人のASDの方が、そうではない環境にいるのが現実だと思います。

でもわたしが思うことは、、自分には合っていないような環境にいる中でも、大人のASDの方でも、そしてこれからのASDの子どもたちでも、自分だけの好きや得意にしっかり目を向けて、自分の歩みを止めずに過ごしていって欲しいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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