ASDが会話にはリズムがあるということを初めて知った時
数人で集まった時のASDは逆に目立つ時がある
わたしはずっと、数人で話をしている時などは特に
自分は人と笑いのツボがずれている
そう思っていました。というのも、会社内での付き合いの浅い、あまり気心の知れていない4~5人、またはそれ以上の大人数の集まりで、その場にいた人たちが誰かの発言や、その場に起こったことで一斉に笑い出す時、わたしはというと
- 集まっている人たちが一斉に笑う時に笑えない
- 逆に集まっている人たちが笑っていない時に、おもしろくて必死で笑をこらえている時がある
この状態が普通だったので、他の人たちが静かに会話を楽しんでいる時に、何かにツボって必死で笑いをこらえていたり、他の人たちが笑っている時には
何が面白いんだろう…
と、ひとり白けた真顔でいることがほとんどでした。なのでよく聞かれていたのは
「楽しんでる?。」「疲れてる?。」
でした。今思えば
その他大勢が笑っている場面での白けた真顔は目立つのです
それに、気を使わせていたのも事実です。このことは今思えば当然ですし、実はたくさんの人が合わせて笑う時、そういう場面で笑っている人たちというのは
面白くても面白くなくても、周りに合わせて笑うことが出来る人たち
ということだったのです。
面白くなくても、すこし笑っているような顔を作ったりすることを、ASDのわたしには全く出来なかったし、必要だとも全く思っていませんでした。
めんどくさいと感じた経験から始めた事
会話のリズムに合わせる
当時のわたしは恥ずかしながら、楽しくないのかな・疲れているのかなと、周囲の人が気づかってくれていることもわからないでいました。というのも
笑いたい時に笑って、笑いたくない時には笑わない
これがASDのわたしにはごく当たり前のことで、それはどんな場面においても、わたしの中で通用していることだったからなのです。
ですので
疲れてもないし、楽しくないわけじゃないけど、どうしていつも聞かれるんだろう…
いつもそれくらいにしか思っていませんでした。もちろん気心の知れた友達同士で数人集まる時は、特に何も言われることはありませんでしたが、会社内での飲み会や、付き合いの浅い人たちとの集まりでは、やはりいつもの様に
「大丈夫?。」
などという言葉をかけられるので、未熟だったわたしにとって、正直そういうやり取りが面倒になってきたのです。そこでやっと考え始めたのが
どうしたら気を使われないように出来るのか…
ということでした。
それからというもの、集まりの席では周囲を観察することをしました。そこで発見したのが
集まった人たちが笑う時には一斉に笑うことをし、それ以外の時には静かに会話を楽しみ、また笑う時には一斉に笑う
そういうリズムがあることに気が付いたのです。それからというもの、数人で集まった時には
- おもしろくなくてもちょっと笑ってみる
- 周囲の人たちが笑っていない時には静かに話を聞く
こうして”会話のリズム”に合わせることをしてみました。ただその時のわたしの笑顔は、かなり不自然なものだったと思いますが、それでもその後は、あまり気を使われることも、声をかけられることも、少しづつ減っていたように思います。このようなことも、定型発達の方にとっては無意識的になんとかやり過ごせることが、ASDのわたしにはとても難しかったのです。
”意識的に”は疲れる
ASDは自分を保てるペースを知ること
ASDにはもともと”協調性がない”という方が少なくありません。もちろんわたしもその一人です。ただ今回の内容に関しては、協調性ももちろん関係していると思いますが、それ以上に
面白くないのに笑うことの方がおかしい
これくらい強くASDのわたし自身の中に、まさにASDの常識としてあったことが大変でした。周囲に合わせるという協調性以前の問題です。
ですので、わたしが集まりに参加して、周囲の会話のリズムに合わせることをしていると決まって、帰る頃にはとても疲れていました。実際、仕事をしている時以上に疲れていました。ですので結局は、断れそうな集まりは極力、断ることをしていました。逆に参加すると、珍しいねと言われるくらいになっていました。でもそれくらいのペースが、わたし自身の精神も体もなんとか保てるペースだったのです。
ASDにとって大切だと思うことは、ある程度自分の会話のリズムを捨てて、その場だけでも周囲に合わせるということも、少なからず大切だと思いますが、それと同時に
最後に
ASDのわたしにとって、上手くやっていけない時というのは、どんな場面においても
適当に
という感覚が無さ過ぎるところがあるからなのです。今回の内容に関しても、わたし以外の人たちの会話のリズムを発見し、それを実践するということにまでなってしまうのは、その場が大して楽しくなくても
適当に楽しむ
これが出来ないからなのです。適当に楽しむことが出来れば、それ程必死にならずに済むのです。
でもわたしの場合は
- 楽しめない時というのは一瞬で帰りたいと思ってしまうし
- 楽しい時は時間を忘れて楽しんでしまう
そのどちらかしかないからなのです。それでも、これまでいろいろと経験を重ねてきて、強く、そして濃く出ていたASDの特性も、パターンを身につけ、ここではそのままでもいい、ここでは少し押さえておいた方がいい、そういう感じで”特性を薄める”といった感じのことは、少しコントロール出来るよになったと思います。
ただそれでも、会話のリズムの話で言うと
ASDの会話のリズムというのも、ASDだけに存在する
ということも事実なのです。面白くないことには笑わないし、お世辞も言わない。相手に合わすということもしないし、突然、自分の興味のあることを話しだしたりもする。でもそれをASD同士なら普通に楽しめることの方が多いのです。ただ、この現実社会で生きていくためには、ASDなりに上手くやっていく術も身につけないといけないと、わたしは思っています。それは
- ASD自身の特性を、生き辛さから隠して続けてしまわない為に
そう思っているからです。ASDの方には、大人であっても、そしてASDの子どもたちにも、これからを精一杯、自分のままで生きていって欲しいと、わたしは思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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