ASD当事者が子どもの頃「学校に行きたくない…」が言えなくなったのはどうしてなのか
保育園・幼稚園までは「行きたくない」が言えていた
わたしが保育園の頃、そして幼稚園になってからも毎日のように
「行きたくない…。」
と言ってはぐずり、休むことも多くありました。幼稚園の頃は、幼稚園バスが目の前に来ても乗れない、ということも何度もありました。それでも当時は、わたしの実家は自営業をしており、家族は家にいる状況だったので、どうしても行かないといけない訳でもなく、休んでも一人で遊んだり、祖母と遊んだりして過ごすことができていました。
よく休むことが出来ていたのも、わたしが「行きたくない…。」と言っては対応してくれていたのも、親にとっては保育園も幼稚園も”お勉強をするところではない、ただ遊ぶところ”という感覚があり、そのことが”行かなくてはいけない”というハードルを下げていたからだと思います。
その頃、行きたくなかった理由としては、ASDならではのものがたくさんありました。
- 感覚過敏
- 集団が苦手
- 偏食から給食が食べれない
毎日がこのような特性との闘いでした。そのことに疲れ切ってしまうと休む、というものだったと思います。ただ、こういった苦手や苦痛をそのまま持った状態で小学生に上がってからが、もっと大変だったのです。
ASDの特性に縛られ身動きが取れなくなった小学生の頃
無意識的に強く決心してしまったこと
わたしが小学生の頃は、今のように発達障害という認識も、支援級もなかったので、どんな子も通常級の中で一緒に学校生活を送ってました。そんな中で、わたしは小学生に上がってからも、学校に行きたくないという思いは変わらずありました。
ただ、保育園や幼稚園の頃と大きく違ってしまったことがありました。それは、わたしが「休みたい…行きたくない…。」と言っても、親から返ってくる言葉は
「休んだら、みんなよりお勉強が遅れるよ。」
というもので、なかなか簡単には休ませてくれなかったのです。わたしのことをASDだと知らなかった親からしたら、そんな返事は当たり前のもので、大して重要なことではないと思っていたと思います。ただ、当時のわたしは、この返事にとても恐怖を感じてしまったのです。
- 学校とは毎日の時間割を絶対こなさないといけない場所
- 休んだら大変なことになってしまう
このことをしっかりとインプットして
無意識的に、規則として何があっても守らないといけないと強く決心してしまったのです
そうなってしまった背景には、ASDの特性としてある
規則に忠実に従う
というものが、わたしにはあったからなのです。それはわたしにとって良い方向に働いたのではなく、自分を苦しめる方向に、度を越した状態で従い続けることを決心してしまっていたのです。
ASDにとって毎日のルーティンから外れるということは
その頃からわたしは「行きたくない…休みたい…。」がなかなか言えなくなってしまいました。それは自分に課した規則に従うというものの他に、もう一つ理由がありました。それというのが、これもASDの特性の一つとしてある
毎日のルーティンから外れた一日を送ることに強い不安を感じる
というものでした。学校に行きたくな気持ちよりも、無理をしてでも同じ毎日を過ごす方を選択してしまっていたのです。
そんなASDの特性に縛られ、身動きが取れないような毎日を過ごしてしまっていた結果、ある時、異変が起きました。それというのが
毎日のように頭痛・腹痛・微熱の症状が出始めたのです
身体的な症状が出ては親も納得したのか、体調不良を理由に学校を休みがちになりました。4年生の頃は行ったり休んだりを繰り返した結果、1年の半分くらいしか行きませんでした。それでも今思うと、4年生までの4年間は頑張ったんだと思います。
その後のわたしはというと、5年生になってから生まれて初めて、わたしのことを理解して受け入れてくれた先生に出会いました。その先生との出会いのおかげで、まだまだ休みがちではあったものの、再び学校に行くことが出来るようになっていきました。当時の先生とは年賀状をやり取りしていて、そして今でも感謝しています。
「学校に行きたくない…。」が言えなくなったのは
理解してくれる人は必ずいる
不登校気味になった頃のわたしは、体調が悪ければ休むのも仕方のないことなんだと、自分に言い聞かせていました。またそこで新しいルーティンを作ったのです。実際そのことで、休むことが出来たのは良かったと思います。ただ、問題だったのは
”どうして学校に行きたくないのか”を考えなくなったのです
頭が痛いと言えば休める、お腹が痛いんだから仕方がない、そうやって、とにかく何でもいから休めたらいい、その休める理由をただひたすら考えるだけで、どうして学校が嫌なのかという自分の気持ちが、本心がどこにあるのかを見失ってしまったのです。
「学校に行きたくない。」と伝えるのではなく、そのことよりも現実逃避の為の「頭が痛いから休みたい。」「お腹が痛いから休むたい。」に変わっていったのです。その頃は親も、おかしいとは思っていたと思いますが、特に理由を聞かれることもありませんでしたし、わたしから伝えることもありませんでした。
ずっとわたしは、感覚的なものからくる苦手や苦痛を伝えても、誰にも理解されないと思っていたからなのです
このことはASDが成長していく中で、とても危険だと実感しています。身近に理解者がいないというだけで、自分を見失う方向に向かってしまうからです。
見失った状態で社会に出た頃は、本当に大変なこともたくさんありました。それでも、何かわからないけれど諦めるような人生を送りたくない、そうどこかで思い続けていた結果
大人になってから本当の意味での理解者に出会うことができ、ASDについて学ぶ中で、全てとは言えませんが、自分自身のことも理解することが出来ました
ASDはマイノリティであっても、同じような感覚、同じような辛い経験をされてきた人は、自分一人ではなく他にもいると思っています。そして、ASDでなくともASDを理解してくれる人もいます。探せば見つかるものだと思っています。このことからも、困ったことが起こった時、苦痛だと感じた時に
最後に
わたしはASDで生まれたことを、そしてASDの特性があることを苦痛だと感じ、そのことを生きづらいと思ったのは
一歩外の世界に出た時に周りと自分を比べた時から始まったと感じています
それは自分のことを少数派だと理解していなかったからなのです。ずっと長い間、大多数の人たちと同じなのに出来ないことが多いのがわたしなんだと、そう思っていたからなのです。
他人と自分自身を比べてしまうことは、ASDでなくてもどんな人にもあることだと思っています。それでもASDは特に、そのことで卑屈になり過ぎてしまったり、自分のことが嫌いになってしまいがちです。だからこそ
ASDの特性を、自分が持っているものを、そのことを嫌わずに受け入れていきながら、上手く舵取りをしていく、ということが大切だと思っています
ただ、そのことがわかっていても、もちろん上手くいかない時もあります。そんな時は休憩です。休憩を取ってください。そうやってたっぷりと休憩を挟みながら、またゆっくりと進んでいくことが、ASDの特性を持ちながら生きていくことには必要だと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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