
ASDはマルチタスクよりもシングルタスクで物事を考えるのが得意
ASDが考えている時の頭の中は”検索エンジン”のよう
検索したものから答えを導き出す
わたしには”記憶の量”というものがとても大切です。というのは
どのような場面でもわたしの中にある記憶によって答えが導き出されるからなのです
もう少しわかりやすくいうと、わたしは質問や、あることについて考えてみて、と言われた時に、思っていることというものを咄嗟に答えることができません。それがどうしてかと言うと
与えられた課題についての答えの基となるものを、過去の記憶を頭の中で検索し、その一つが見つかれば、そこから更に次々と検索をかけていき、答えを導き出していくからなのです
それらを、相手が望む・望まないに関わらず、慎重かつ完璧に導き出したいと考えてしまうので、実際答えるまでには時間がかかることがとても多いのです。その結果、わたしが
わたしなりにこう思う
というものは、検索により導き出された、あらゆる記憶の中のこれだとというものを答える、というものなのです。
シングルタスクで考えるのは得意だけど、マルチタスクは苦手とは
記憶と経験から作り上げられる
ASDには、一つの物事から関連付けていくという”連想力”があります。わたし自身も、自分の中にある一つの記憶を発見すれば、その記憶に関連する他の記憶をどんどんと引っ張り出してきます。ただ、そのことが丁度よいところで終わってくれればいいのですが、大抵は行き過ぎてしまいます。
行き過ぎてしまった場合に、どういう結果になってしまうかというと
- 過去にあった、思い出す必要のない嫌な記憶にまで辿り着いてしまったり
- 相手の質問に対して、答えようと思った時にはすでに全く違う事を連想している
このように暴走しがちなところもあるのです。それでも、ある程度の経験や、ASDだという自覚を持って行動してきた、というもがあれば、その様に暴走してしまった時にも
暴走してしまった時に対応する検索をまた、頭の中で始めることができるのです
ですので、ASDには検索できる詳細な情報をどんどん増やしていくためにも、記憶と経験というものが必要なのです。ただ、先ほどにも述べたように、ASDにある連想力の基となるものは、一つの物事からです。そして連想していくのも、一つづつです。このことからも
ASDは一つの物事の記憶から関連づけて、一つづつ発想していくことは得意ですが、一度に多くのことを同時進行で発想していくということは苦手なのです
例えばそれは、頭の中で考える発想だけではなく、日常の行動においても同じです。何か作業をするという時にもASDは、一つづつ確実に終わらせてから次に行く、ということをします。思考のパターンと全く同じなのです。
そうやってASDが一つづつ作業を進めている時に、同時進行で2つの作業もして欲しいと頼まれてしまうと、その中の一つを忘れてしまったり、どれも中途半端でしか終わらせることが出来なかったりしてしまいます。というのは
作業に関しても常に一つの物事に対して関連付けて次の物事に移っていく
これがASDの特性としてあるので、例えば一度に3つの事を目の前に置かれても、その中の一つを先ず抜き取って、そこから対処していくということをしてしまうからなのです。
これがASDにある、シングルタスクで考えるのは得意だけど、マルチタスクは苦手というものなのです。
マルチタスクのような仕事を、シングルタスク式にしていく方法とは
パティシエ時代に実践していたこと
わたしは10年以上、パティシエのお仕事をしていました。パティスリーで働いていたこともあれば、大きなレストランのデザート部門で、デザートの担当として働いていたこともあります。ただ、パティシエというお仕事は、最低でも2つか3つの業務を同時進行させていかないと、どうしても時間内で終わらせられないほど、やるべきことが多くありました。マルチタスクが苦手なわたしが、どのようにしてその業務をこなしていたかというと
必ず前日にやるべきことをひとつづつ箇条書きにして、または、まるで数式の図表のように組み立てたものを、作業しながらでも見て確認出来る位置に張っておく
このように、マルチタスクのものを、無理矢理シングルタスクに置き換え、そのひとつづつの作業に集中して、時短で次に移っていけるようにしていたのです。
そして、作業しながらでも見れる位置に張っておく、というのことにも意味があるのです。というのは
短期記憶が異常なほど苦手なわたしは、覚えておくことが出来ない為に、常に見て確認するということが必要だったのです
実はこのことが慣れてくると、一つの作業が完全に終わらなくても、次にやるべきことが目に入るようになってくるのです。そうすると、一つ目のことをやりながら、二つ目の作業を被せるタイミングというのがわかってくるのです。このように
ASDの特性を意識しながら
出来ないことを努力で何とかしようとするのではなく、自分の中にある特性をどういう形にしたら活かすことが出来るのか、ということを考えることが大切だと思っています。
最後に
わたしはずっと、困難に直面した時に逃げられない状況にいました。子どもの頃は、両親は自営業でいつも忙しく、ASDだと自覚がなかった20代の頃に鬱病だと診断されても、ちょうどその頃に両親が離婚し、様々な理由から、わたしには帰れる実家はありませんでした。
ですので、何とか一人で生きていかないと、という思いから当時、何となく行ってみた心療内科の先生に渡されたよくわからない精神薬を飲みなが、ふらふらと職場に向かっていました。
消えてしまいたいと思ったことは、数えきれないほどあります
生きているだけで価値があるなんて言葉も、生まれてきたことには意味があるなんてものも、それはわたし以外の人に通用するものだと思っていました。
ただ、自分に明るい未来なんて想像できなくても、何とか稼がなければ生きていくことは出来ない、という大きな不安が逆にわたしの背中を押し、一日一日を生きて、繋いでいたんだと思います。
ASDの才能や能力を活かして、世に羽ばたいていける人もいる中で、ASDという才能や能力がありながらも、社会の中で苦しんんでいる人がいるのも事実だと感じています
わたしはどちらかというと、ASDでありながらも、今の現実社会で苦しんでいるその苦しみを一つでも解消していける為の情報を、発信できればと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
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