ASDの謎の収集癖とは
特性のひとつである収集癖
ASDの収集癖に関しては、実はわたしのASDの息子を見ていて気づかされました。そしてASD当事者でもあるわたし自身にも、思い返せば同じような収集癖があったことを思い出しました。
ASDの収集癖は独特
一般的に、という表現があっているのかどうかは、ここでは置いておいたとして、収集する物の内容としては例えば
- 好きな書籍を全巻揃える
- ミニカーなどの趣味的なコレクションのものを集める
などの
- 飾って楽しい
- その物事態に何かしらの価値がある
こういったものがコレクションとして見られると思います。もちろんASDでも、こういった物を集めることもありますが
ASDの収集する物というのは、どちらかと言えば
独特で本人にしか良さがわからない
周りから見ればどうでもいい謎のもの
こういうものが多いのです。
ASDの息子が収集した物
実際にASDの息子が、小さい頃から集めていたものと言えば
- ペットボトルのキャップ
- 折り紙で作った手裏剣
- 公園に落ちていた植物の実
- セミの抜け殻
これだけ見ると、子どもらしい物だと思われると思いますが、ASDには”ただ集めて楽しむ”これだけでは終わらないというところが厄介なのです。そしてその量にしてもストップをかけない限り
尋常じゃないほど集め続けて、膨大な量として溜まっていってしまうのです
ちなみにわたしも学生時代に、集めすぎて恐ろしいほどの量になってしまっていたのが
- 好きな雑誌の切り抜き
- 毎週欠かさず見ていた番組を録画したビデオ
これがありました。ただASDは、そうしてコツコツと集めたものを使って遊んだり、また見てみたり、そういうことをあまりしないのです。
ASDの収集癖に関係している特性とは
”集めたい”から”無いと不安・集めるというこだわり”に変化する
息子のペットボトルのキャップにしても、触るのが怖くなる程、大量に溜まってきたセミの抜け殻にしても、それでもまだまだひたすら集めては、どんどん溜まっていきます。そんな頃に
「そろそろ捨ててもいいんじゃない?。」
と軽く聞こうものなら
「だめっ!。」
強く反抗し、集めたものを必死で守ろうとします。それがどうしてかと言うと、きっかけは”なんとなく好きだから集めたい”そんな軽い気持ちだったのが、いざ集め始めると、その小さなきっかけだった感情が
- 集めたものが無くなるのは不安
- 集めると決めたんだから、集めていないと気持ち悪い
- 集めたもはどうしてもとっておきたい
- 興味が発生したものへの偏った感情
こういうASDの特性である
強い不安
強いこだわり
興味関心への偏り
こういった感情へと気づかないうちに変化していってしまうのです。
こうなってしまうと、その物事態への、初めにあった”純粋に好きなもの”という感情よりも
- 集めることに歯止めが利かない
- 絶対に捨てられない
- 勝手に処分しようものならパニックになる
こちらの感情の方が断然強くなっています。でも、息子のようにキャップや折り紙の手裏剣、セミの抜け殻などが永遠に溜まり続けてしまっては、大変なことになってしまいます。ではASDの収集癖で集められたものは、どうしたらいいのでしょうか?
ASDが収集した物への対処法
全部は捨てなくていい
ASDがこだわって集めたものというのは
- その物事態がもう何年も使っていない
- 見てもいないし遊んでもない
- 多過ぎて場所をとり他が片付かない
- 既にゴミ化してる
実はこういったものが、特に子どもの頃には多いです。ただ、そう見えたとしても、それがこだわりで集めていたものだとしても
集めたものがあるから安心している
ASDにとってはどれも大切なもの
この気持ちも間違いなくあるのです。子どもだったらそれは、宝物なのです。ですので、こういった気持ちを理解したうえで、対処する方法があるとすれば
息子の場合だと、キャップでもセミの抜け殻でも、何でもないようなものでも、それは息子にとっては宝物です。でも
- このまま溜まり続ければ、引き出しもいっぱいになってしまう
- 片付けも出来ないし、他のものも入れられない
このように、困った状況になってしまうことを伝えます。でもそれが、大切なものだというのはちゃんとわかっているよ、という理解も同時に伝えます。このことを伝えた上で
「全部は捨てなくていいから、どれくらいだけ残しておく?」
そうやって子どもに、自分で取っておく分を決めてもらうのです。実際、そうやってわたしが息子とやり取りした会話というのは、例えば折り紙の手裏剣の時
「じゃあ3つだけ取っておく。」
そう息子が決めた後に
「じゃあまた作って増えたら、前に作ったもの一つと取り換えて、いつも3つの状態にしよっか。」
そう言うと
「そうだね!それだといっぱいにならないし、でもなくならないもんね!。」
そう嬉しそうに答えてくれました。
どんなことに対してもそうかもしれませんが、ASDに対して”普通のものさし”で対応したり関わろうとすると、お互いにとってストレスになることが多いと思います(普通と言う基準はここでは、大多数的なものとして表現します)。それよりも、ASDの特性を知って理解し、その上で関わっていくことをすれば、それは一瞬でより良い時間になったりするものだと思っています。
最後に
ASDの収集癖というのは、一般的な収集癖とはちがい、ASDにとっては特性としてあるものです。こういったASDの特性に対応する時にわたしが思う、大切なことがあるとすれば
本人が納得すること
ここだと思っています。今回の内容でもそうですが、いろいろ集めた息子に対して
「そんなのいらないでしょ。もうゴミでしょ。」
そう言い放ち、捨ててしまうことをすれば、親からしたら”ただ片付けただけ”そう思っていても、ASDの子どもたちからすれば
とてつもなく傷つく経験のひとつとなってしまうのです
それ程、ASDのこだわりや不安、興味関心への偏りは強いからなのです。もちろんそれは、子どもに限らずASDの大人の方に対しても同じです。
だからと言って、どうにもならない部分でもありません
きちんと話し合い、お互いが譲り合うところというのをうまく見つけられれば、ASDにとっても関係している方に取っても、納得できる結果に導くことは出来るのです。ASDは難しい、対応に困るという事があったとしても、理解をもって関係していけば逆に、ASDの良い部分が見えてくると思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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