ASD 言い訳を言い訳だと思わない

発達障害

ASDは言い訳を言い訳だと思わない

とにかく言い訳が多い

ASD当事者や、ASD傾向のある方と接したことのある方でしたら、もしかしたら感じていた、または経験したことかも知れません。それはというと

この人、言い訳が多いな…

しかもそのASDから出てくる言い訳というものが

要望や注意、指摘をどれだけ伝えようと

とにかく何が何でも言い訳を貫き通そうとする

これくらい頑固でしつこいものなのです。

過去の複雑な経験からの言い訳

大人のASDには確かに、子どもの頃から理解されてこなかった、それ故に

長年に渡る辛い経験から、自分自身が傷つくということにすごく敏感になっている

こういうASDがいるのも事実です。だからこそ、相手からのほんの少しの指摘や注意に対して、素直に聞き入れられずに

  • 反発してしまう
  • 言い訳でなんとかその場を逃れようとする

複雑な過去からの色々が絡み合っていて、それで言い訳をしてしまう、というASDもいると思います。

ただ今回のASDから出てくる言い訳は、少し違います。

言い訳しているという自覚がない

”言い訳が多い”これは大人になってからのものではありません

それはわたしのASDの息子を見ていて理解しました。ASDの息子はとにかく、ほんの少しでも指摘や注意をしようものなら

だいたいの場合において言い訳で返ってきていました

それはお話ができるようになってからそうでした。

ASDの言い訳とはどういうものか

ここで実際、息子との会話のやり取りで、ASDの言い訳がどのようなものなのかを、例に挙げてみます。

ある日、息子のおもちゃのトランシーバーが床に転がったままになっていたので

「トランシーバー使わないんだったら、片付けなさいよ。」

息「弟とトランシーバーで遊ぼうと思ってたから。」

「でも今からテレビ見るって言ってたでしょ?今から使わないんでしょ?。」

息「だって直そうと思った場所が、いっぱいで入らないんだもん!。」

「直そうとしてないでしょ?それに、いっぱいなんだったらせめて他の場所に片付けたら?。」

息「でもさっき入れようとしたよ!。」

このようにASDの言い訳は

  • とにかく思いつくまま
  • 言っていることが支離滅裂であっても
  • どうしたって自分は悪くない
  • なんとかしてこの場を、自分が悪くないままで終わらせたい
  • 話の内容よりも、自分が怒られていると感じることに腹を立てる

これほど酷いものになっていくのです。しかも

自分の言っていることが言い訳だとは全く思っていない

言い訳しているという自覚すらない

なので平然と言い訳をしているように見えてしまうのです。この事実からもASDの言い訳は、育ってきた過程で起こるものではなく、そもそもあるものだということも理解しました。

わたし自身の過去にあった”言い訳”の経験

息子とのことから、わたし自身のこともふと思い出しました。正確な記憶は曖昧ですが、確か10代半ばの思春期の頃だったと思います。おそらくわたし自身も子どもの頃から、あたりまえのように言い訳を繰り返してきたのだと思います。その結果、内容は覚えていませんが

ものすごく痛い目にあったのでしょう…

それと同時にASDの特性上、強すぎる正義感というものがそもそもあるので

自分と同じように言い訳をしている大人に、強い嫌悪感を感じたのです

まるで自分の嫌なところを見せつけられているよな、そんな気持ちになったんだと思います。

平気で言い訳をする大人になりたくない…

そう思ったある日

絶対、言い訳しない人間になろう

そう固く自分に誓ったのを覚えています。

その日からというもの、気づけばつい、簡単に言い訳しそうになる自分に愕然とし、そして反省しました。そして、言い訳しそうになった瞬間ぐっとこらえて

「わたしのここがいけなかったんだ…ごめんなさい。」

こうして振り返りと反省の言葉を、口に出す練習をしていきました。

”言い訳”に無自覚は危険

無自覚から起こる問題点とは

息子やわたし自身、そしておそらくASDであった当時の大人達の例を見ても、一番怖いのは

言い訳している自分に無自覚なまま社会と関わり合う

これだと思います。

  • 相手からの忠告を素直に聞けない
  • コミュニケーションがとりづらくなってしまう
  • 自分の問題点を問題点として捉えられない
  • 自分自身の成長にも繋がらない

こういった問題点にすら気づけなくなってしまうからです。

出来れば子どもの頃から気づく練習を

息子の言い訳は、親のわたしから見てもそれは、かなりの頻度で起きました。

ただ、このまま大人になっては息子にとっても、そして息子と関わり合ってくれる人達にとっても、最悪な結果を招くことは目に見えていたので、ここで、練習を始めたのです。

”言い訳”というものを知る

ASDは元々が”言い訳”に対して無自覚で、無意識です。それはどうしてかと言うと

自分ではしっかりとした意味があってやったことだと、納得しきっているからなのです

それが後付けの理由であってもです。ですので息子には徹底的に、言い訳をした瞬間

それは言い訳になるんだよと、その度に伝えることをしました

実際、声かけした内容とは

「何か注意されたり、間違いを指摘された時は、言い訳が先に口から出ることを、しっかりと覚えるんだよ。それはあなたのせいではないけれど、勝手に言い訳をしてしまうから、とにかくそこに目をむけることをしよう。」

その上で

どういったものが”言い訳”なのか

”言い訳”をするとどんなことがあなたに起こってくるのか
反発されても、さらに言い訳を重ねようとしてきても、ここを伝え続けました。
ただ、必ず最後には
言い訳しない自分になれた、そこからの成長した姿
練習すればかなり改善できる
このことについても話し合いました。

その後の息子

ほんの小さなことでも”言い訳”をしてしまう息子でしたが、練習を重ね、最近になってやっと少しづつ、変化が見られてきました。

「ご飯、よく噛んで食べてる?。」

息「違うの今はね…。」

息「あ、ダメだ。これ言い訳だ(笑)。うん、嚙んでなかったから、今からよく噛んで食べるね。」

こういう言葉も、ゆっくりとではありますが、聞けるようになってきました。

ASDの”言い訳”の部分は、とても根が深いのをわたし自身も自覚しています。だからと言って、そんな自分でいても、何の得にもならないと思うのが正直なところです。

ASDの子どもでも、”言い訳”の難しさを持つ自分と頑張って向き合い、練習を重ねている姿を見ていると、大人であっても、ずっと成長し続けていくためには、そんな子どもたちと共に、諦めずに自分と向き合い続けたい、そう思いました。

最後に

今回のASDにある”言い訳”について書くにあたり、思い出したことがありました。

わたしが生まれ育った環境は、両親の夫婦喧嘩が絶えず、嫁姑問題もあり、自分の居場所のない感じがいつもありました。

それにわたしの母親はASD傾向が強く、今でこそ優しくなりましたが、当時は気性が荒く、そして”謝らない人”でした。母から「ごめんね。」という言葉を、そういう状況にあったとしても、聞いたことがありませんでした。そのことからもわたしは強く

言い訳はしない

ごめんなさいが言える人間になろう

そう思ったのです。当時は辛いことも多かったですが、それも今となってはわたしにとっての貴重な経験になっただけだと思っています。母についても、当時の状況や母の特性から、今は理解しています。

そういう環境だったからこそ、わたし自身にもASDで困った一面がありながらも、自分自身を見つめ直すきっかけが、沢山あったのかもしれません。たまたまASD傾向の強い大人の中で育ち、いろんな困りごとが発達障害から来ているなんてことは、全く知らなかったにしろ、なんとなくどこかで

このままの自分でいいのだろうか…

その思いを、大人たちを見ながら、ずっと持ち続けていました。だからこそ、自分自身のことを知りたい、自分の中で何が起こっているのかを知りたい、そういう”気付き”をもらえたんだと思います。

ただわたしはそうやって、ラッキーだっただけなのかも知れません

もちろん今でも、まだまだなところをたくさん抱えていますが、そういう自分を受け入れつつ、少しでも成長していけるところはしていきたいと思っています。

ASDと気付いたのが遅かったとしても、気付けたなら変えていけるところは沢山あります

ASDである自分のことを知りたい、または相手がASDである場合、その相手のことを知りたい、そういう方の為に、たった一つでも、ヒントになることをお伝えしていければと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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