ASDは会話のテーマから脱線してしまう
会話の中のテーマも着地点も見失う
ASDの会話の仕方というのは、知れば知るほど”独特”だと感じます。ただ、そのことに気づいていないASDも、少なからずいると思っています。わたし自身も、もちろんその中の一人でした。その”独特”だと感じられる会話の仕方の中の一つに
会話中のテーマから脱線し、そしてテーマとは関係のない話まで話し続けてしまう
というところがあります。要するに
相手が望んでいる会話のテーマも着地点も見失う
というところが、ASDにはあるのです。
自分の中だけにある世界観が入ってきてしまう?
それは大体、1対1か、3人くらいまでの人数の中での会話で起きやすいと感じています。ちなみにASDがどのようにして、会話の中のテーマから脱線していくかというと
会話を始めた最初の方では、テーマについて話している
↓
そのことについてASDが話し始める
↓
ASD自身の話が長くなる程、自分の中の世界観から取り出された、自分の興味のある内容を話し始める
↓
それがどんどん芋づる式に引っ張り出され、結果、テーマと関係ない話にまで発展してしまう
というものです。とにかく
ASDの自分だけにある世界観で話し続けてしまうのです
興味・関心への強い偏り
ASDが何故、テーマとはどんどん離れていくような内容の話しをし続けてしまうのかと言うと、ASDにはもともとある特性として
興味・関心への強い偏り
というものがあります。最初はテーマに沿った内容を話していたとしても、その内容自体にASDの中で興味が薄れていったり、または自分勝手に完結していまうと、その後というのは、自分だけが興味のある内容を話したくなるのです。
その結果
相手との話題を共有しながら会話を進めるということを忘れてしまうのです
ASDのわたし自身が気を付けていること
ASDのわたし自身も会話をしていると、話がどんどんと逸れていってしまいます。ただ、その事実について、わたしがASDと診断されれるまで、ASDについて学ぶまで、全く気付いていませんでした。
わたしがこの事実に、どこで気づいたのかと言うと
ブログを書くようになってからなのです
何も考えず、自分の思ったままブログを書いていったものを後で読み返してみると、最初に挙げていたテーマと、最後の終わり方が、全くと言っていいほど、違う内容のものになっていたのです。
あまりにも違い過ぎて、昔のブログを読み返した時は、自分でも驚きと焦りを感じたほどでした。そしてこのことが、会話の中でも起こっているのだと、その時、初めて気づかされたのです。
ですので、わたしがブログを書く時は
- 何度も何度も最初のテーマを見直し
- テーマから外れないように目次を作り
- またその目次を見直しながら書き進める
という作業をこまめに行っています。そうしないと、いつの間にか、テーマについてではなく”自分の書きたいこと”の内容になってしまうからなのです。
ASDの息子の会話の仕方
わたしと同じASDである息子の会話もやはり”お互い共有し合っていた話題から外れていく”ということが多くあります。
例えば息子の通う、放課後等デイサービス(略して”放デイ”)では、毎回、子どもたちの興味を引くような、スタッフの方たちが考えて作ったドリルをみんなで取り組みます。それが日によっては、図工だったり音楽だったり、いろいろと変化のある内容を提供してくれています。ある日の学校帰り、そのことについて聞いた時のことです。
「今日は放デイのドリルは何したの?。」
そう聞くと、息子は
「今日はね、パソコンで絵を描いたり、自分のキャラを作ったりしたよ。」
と、話し始めました。ただ、その後の息子の話は、そのドリルについて話すのではなく
「デイではね”人狼”っていうカードゲームやって、それは3人以上じゃないと出来ないんだ。その3人は誰とやったかって言うと、僕と○○君とスタッフの○○さんとやったよ。ちなみに、人狼っていうゲームはね‥‥。。」
このように
”ドリル”というテーマを外れ、自分の興味のある話したいことを話し始めるのです
ASDの息子にとっては、このような会話の仕方は、何もおかしなものではありません。実際のところ、わたしもおかしいとは思っていません。
こういう会話の仕方がASDであり、生まれてからずっとこの会話が普通だからなのです
ただ、例えばそれが会社の同僚、先輩後輩というような関係性、社会に出てから出会う様々な人たち、しかもその相手がASDではない人に対しての時に、このような会話を始めてしまうと
(え…そんなこと別に聞いてないのに…)
と、相手をうんざりさせてしまうこともあるのです。ただ、先ほども述べたように、ASDはそのことを、おかしなことだとも思っていませんし、気づいてもいなかったりします。
興味・関心が偏り過ぎているからこそ気づくのが難しい
「話、逸れてるよ。」と気づかせてあげる
ASDが自分だけにある世界観に入り込んでしまうと、それが会話の途中であれ
自分ではなかなか話が逸れていることに気づくのは難しかったりします
そういった時に、その話が相手にとって興味のある内容だったら問題ないのですが、それこそ、聞かされ続けるのがうんざりしてしまうような内容だったとしたら
「話、逸れてるよ。」
と、はっきり伝えても大丈夫なのです。ASDは難しそうなイメージを持たれているところもありますが、案外それとは逆に
ASDにある、興味・関心への強い偏りは、想像している以上に強いものです。この特性が良い方に向かう時もあれば、状況によっては、逆に働いてしまうこともあるのです。
こういったASDにある特性を知らずに、定型発達の人が一般的な物差しでASDと接しようとすれば、理解できないことや、常識と思っていたことが通らなくて、イライラしてしまうことも出てくると思います。
もちろん、定型発達の人が、そういった考えの中での接し方が悪いとかそういう話ではなく、逆に相手がASDだと知らなければ、あたりまえに起こってしまうことなのです。ただ、もし相手がASDであったり、ASD傾向のある方だとしたら、そうならない為にも、覚えておいて欲しいと思っていることは
ASDの脳の構造は、定型発達の人の脳の構造とは違うということです
ASDにはASDの物差しがあるということなのです。その事実の上で、ASDにある特性を知っていれば、そして理解があれば、会話の中でASDが、テーマと関係ない話を話し続けてしまうような事があったとしても、たった一言で解決できてしまったり、関係性がこじれたりすることは減っていくと思っています。
最後に
ASD当事者、またはASD傾向のある方と接している人の中には
- コミュニケーションがとり辛くて困る
- ASDだと言っているけど困っているようには見えない
そう感じたりする方は実際います。ただ、ASDは本当に困っていないのかと聞かれれば、実はいろんな場面で、とても困っているASDがほとんどです。しかもそれは、子どもの頃からずっとだったりします。
だからといって、日常での困りごとや人との関係性を改善するためには、ASD当事者・関係している相手の、どちらがどうとかということではなく
お互いがお互いに理解を深めあう
ということが大切だと感じています。今回のように、会話の仕方にしても、定型発達の人には定型発達の人の、ASDにはASDの会話の仕方があります。その両方の、どこがどう違っているのかを、お互いが知る、そしてその中で、改善していけるポイントを両者で見つけていくことが大切だと思っています。
孤立を好んだり、マイペースに行動するASDであっても、人との良好な関係性を築いていきたいという気持ちが無いわけではありません。ただ、ASDにある様々な特性は、まだまだ知られていないと感じますし、差別的な視線もないわけではありません。
そのような現実から脱出していくためにも、相互の理解を深めていければと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
コメント