ASD 平均を上回る語彙の発達

発達障害

ASDの語彙の発達は平均を上回る

難しい言葉も一瞬で理解し覚えて使う

ASDの方に多いとよく耳にするのが

難しい言葉を使いたがる

難しい専門用語をたくさん使って説明をする

会話をしていても、またはわからないことに対して説明を求めても、あまり聞いたことのない言葉や専門用語が会話や説明の中に多いので、余計にわかりづらい。。。

こういったことがあります。ただその話し方というのは、実はASDにとっては自然な事なのです。決して

  • 恰好を付けてるわけでもない
  • 知っている知識をひけらかしたい訳でもない

全くもって普通の会話として使っているものなのです。

ASDが持つ才能の中のひとつとは

ASDの子ども達にも同じようにある

ASDには生まれながらの才能を持っている方が多いです。実はその中のひとつに

平均を上回る語彙の発達

これがあります。

平均を上回る語彙の発達とは

ASDが持って生まれた才能のひとつで、新しい言葉や洗練された言い回しをすぐに覚える。それは子どものうちから、まだまだ理解が難しいような単語であっても、簡単に理解して使いこなせてしまう。

このような才能のことです。生まれながら、というものですので、その語彙力はASDの子どもたちにも見られる時があります。

実際、わたしの息子と同じデイサービスに通っているASDの男の子は、まだ小学2年生にもかかわらず

「そんなことは理不尽だよ。」

こういう会話が普通だったり、または、好きなゲームや本の話を聞くと、とても子どもの説明とは思えないような内容を、聞き返して教えてもらう程の言葉を用いて教えてくれたりするのです。このことからも

難しい言葉も専門用語も、頑張って覚えたものではなくて、自然と理解できてしまう

これがASDの語彙力なのだと思います。

事実を知らないと誤解されやすい

はじめにもお伝えしたように、ASDには生まれながらにしての語彙の発達があるという事を知らずに、ASDの方とお話すると

  • 教えてもらおうとした説明が逆に難しく聞こえる
  • やたらと専門用語を使いたがる人だ

などと、誤解を受けてしまうことがあります。ですが、ASDにとってそれは能力のひとつなのです。そしてそういった言葉を使うのが、ASD的な話し方だと理解していただいた方がいいのかもしれません。

聞かれたことに対して詳しく伝えようと頑張る

難しい言葉も専門用語も、その言葉の意味がわからなくてASDに聞くと

「え?そんなのも知らないの?。」

とはならないのです。どちらかと言うと

「あ、その意味はね…。」

そう言って、素直によりわかりやすく教えてくれます。というのは、そもそもASDは、自分の知識をひけらかすようなことはしません。

  • 相手が納得してくれたらいいな
  • 聞かれたことに対して少しでもわかるように詳しく説明したい

その思いが強いからこそ、自分の中にある、ありとあらゆる語彙を引っ張り出してきてはフルで使おうとするのです。

ASDの想いはいつも真っ直ぐ

ASDの子どもたちを見ていてよく感じるのが

自分の想いに真っ直ぐ

こういうところです。それは自分に対しても、相手に対してもそうです。ASDは”他人に興味がない”“独りが好き”というところももちろんありますが、それとは別に

自分が出来ることは何なのか、ということに一生懸命になる

こういった面もあるのです。その思いに真っ直ぐすぎるからこそ、相手が求めるもの以上のことをしてしまうという事も実際、起こったりはしますが、それでもその行為の中には、相手の役に立ちたいという真っ直ぐなものでしかないのです。

相互理解を深める

もし、ASDの方やASD傾向の方が、難しい言葉をたくさん使ったとしても、それは一生懸命伝えようとしているだけ、それがASDの才能だということを知って頂けたら思っています。そしてASD当事者としては、自分は難しい言葉を使いすぎてしまうところがある、というのを自覚して、相手にわかりやすい言葉で説明したり、話したりすることを、少し心がけるのも大切だと思っています。

最終的には、どんな関係性においても、相互理解を深めることが大切だと思っています。

最後に

ASDのことを知れば知るほど、思うことがあります。それというのは

ASD一人一人に何かしら特化した才能がある

というところです。実は今回の語彙の才能に関しては、わたしのブログやYouTubeを見ていただいてる方はお気づきだと思いますが、わたしにはありません。そして同じくASDの息子にもそういった才能は見られません。

ただ、ASD傾向の強いわたしの母は、幼いころからわたしに難しい言葉を使って説明をしたりするような、とてつもなく語彙力のある人でした。その能力を活かしてかどうかはわかりませんが母は、国語の教員をしていましたし、母自身が子どもの頃から”本の虫”と言われていたほど、本が好きな人でした。

そんな母は、記憶力もとてつもなくある人で、本の読み方にしても

ページを開くとそれが写真のように頭に写り、全体が覚えられる

そんなことを言う人でした。

そんな母を見ていると、ASDとひとくくりで言ったとしても、実は持ち合わせている特性、特化した才能は、一人一人違うのだという事がわかります。

ただわたしのように今を生きる大人のASDは、その特化した才能よりも、標準よりも出来ない部分、凹凸の凹んだ方の部分が目立つような社会で生きて、そしてその部分を指摘されながら生きてきた方が多いと思います。

海外のASDに対する評価を見ていると正直、日本はまだまだ遅れていると感じます。凝り固まった偏見が、さまざまな場面で成長を妨げているようにも感じます。もう出来ない部分にフォーカスする時代ではなくて

これからはその人の出来る部分にフォーカスしていく時代だと思っています

多様性を受け入れていく時代だとしたら、ASDの方はもっと自信を持って得意を活かし、これからを生きていって欲しいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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