ASDは人に相談することが苦手
ASDの”大丈夫”は本当の”大丈夫”ではない
本当の大丈夫と、本当ではない大丈夫の見分け方
わたしは昔から何か悩み事があったり困ったりしても、人に相談するということをあまりしてきませんでした。というよりも
どのタイミングで、何を相談すればいいのかがいつもよくわからなかったのです
そこには子どもの頃からの記憶と経験が関係していました。とにかくわたしは大人になってからも、わたしのことを察し、「大丈夫?。」と聞いてくれる人に対しても
「うん、大丈夫。」
が口癖のようになっていました。ただ、その”大丈夫”が本当に大丈夫な時もあれば、大丈夫ではないのにそう答えている時もありました。逆に後者の方が多かったように思います。
このことは私見になりますが、ASDが大丈夫ではないのに大丈夫と答えてしまう時の見分け方というものがあると思っています。それは特に、ASDのお子さまに対しても参考にして頂けるかもしれません。それはというと
大丈夫?と聞かれてすぐに大丈夫と答えられるか、少しの沈黙があってから大丈夫と答えるか
というものです。沈黙のあとの大丈夫は”大丈夫だと言っておこう…”という自分を偽った大丈夫な時がほとんどです。もちろん全てのASDにそうとは言い切れませんし、逆にASDでなくてもよくよく観察していると、そういう場面があるかもしれませんが、特にASDは結構、自分の思っていることを言葉にして伝えることが苦手、という方も多いからなのです。
その中でも視覚優位の方が多いからかもしれません。
・確かに困っているんだけど、こんな小さなことをいちいち言わなくてもいいや…
・このモヤモヤを言葉でどう説明したらいいのかわからないから、もういい…
こういう風に、勝手に自己完結してしまう時があるのです。
ただ、そのことが見て取れたとしても
- すぐさま無理に聞き出していいものか
- 少し時間をおいてから、後でもう一度聞いてみた方がいいのか
ということは、ASDの雰囲気や状況で判断して欲しいと思います。それでもそう感じたのであれば、ほおっておかないことが大切だと思っています。
ASDのわたしが何故、子どもの頃からの記憶と経験から人に相談出来なくなってしまったのか
子どもの頃から何度も同じような事を聞かされた
わたしがどうして、人に相談することが下手だったのか、相談しようとあまり思わないようになってしまったのかということには、子どもの頃からの記憶と経験が関係していると思っています。そしてさらに関係しているASDの特性として考えられるのが
嫌な記憶が残りやすい
というものです。わたしが困っていて相談したというものは、大体においてASDが関係していることだったと思います。ですが、わたしの両親をはじめ、その当時のその他の大人も発達障害という理解なく、わたしに答えていたのです。その答えは大体のものが
- 慣れれば大丈夫
- 他の子は出来てるから、頑張ったらそのうちに出来るようになる
- 我慢してやってみなさい
というものでした。ただ、こうして答えてくれたことが悪いとは思っていません。相談した相手にとっては、真剣に考えてくれた結果の答えだと理解しています。それでもわたしにとっては、こういう答えを繰り返し受け取ることをしてしまっていると、相談したいと思う前に
- きっと同じ様な答えが返ってくる
- けど出来ないから困っている
- 何度もやってみたけど出来ないから困っているのに
- その解決策はいつもだいたい同じ
このように結局は答えを聞いた後に
やっぱり自分には出来ないのかと落ち込み、自責を感じるだけだとわかっているから、相談するのが嫌になっていった
というものは大きな原因の一つだと思っています。
相談することをしなくなると、ASDはとても苦しむと思っています。答えの出ない苦しみをたった一人で抱え込み、下手すればそのことを数年、数十年と解決の糸口さえ見つからないままに過ごしてしまうからです。
こういったことは、ASDだと自覚がなかったり、親に理解がなかったりすると成人するまで続いてしまい、その後、社会人になってからも同じような経験を繰り返してしまう可能性はあります。
相談する相手を選ぶのが大事
わたしは困りごとがあったその時に相談出来るようになったのは、本当にここ数年のことだと思います。というのも、それまで
- 一人で抱え込むことの苦しさ
- 結果的に心身を病んでしまう
ということを何度も繰り返し、これでは無理だという経験をしたからだと思います。それでもこれまでと同じ様に相談をし、同じ答えが返ってきては結果的には解決に近づくことは出来ません。そこでわたしは
相談する相手を選びました
- わたし自身のことを、そして発達障害を理解してくれている人
- 話をちゃんと最後まで聞いてくれるひと
- 持論を押し付けてこない人
- 努力や根性論でアドバイスしてくる人ではなく、わたしにあった方法や対策を考えてくれる人
こういう人にだけ、相談することをしました。
わたしの場合は基本的にパートナーだけです。絶対的な信頼を置いているし、ASDであるわたしの事をとてもよく理解してくれているからです。今はほとんどパートナー以外に相談はしませんが、その他の方で言うと、子どもの頃から姉妹の様に育った従姉や、主治医の先生、数人の親友と尊敬している先輩といった、ほんの数人だけです。そして主治医の先生以外はどの人も子どもの頃から、または20年以上の付き合いのある方だけです。
その他の人に相談しては失敗し続けてきたので、相談する人を決めたんです
わたしは親にも相談はしません。親が駄目とか、そういうことではなく、もちろん親が理解してくれていたら相談する相手としては、一番かもしれません。ただ、例外もある場合は、家族だから理解してくれると思いこまず、もっと広い視野で、そして
本当の意味で自分自身を理解してくれる人に相談するということが大切だと思っています
悩みを無意識的に一人で抱え込んでしまう癖に気づく
悩みの早期発見をしていく
ASDが悩みや困りごとに早めに対処しないと、またはそのままに放置しておくと結果的に
忘れたと思っていてもフラッシュバックで嫌な記憶として戻ってきたりします
その悩みが、本当は何でもなかったような事でも、嫌な記憶として繰り返し襲われてしまうと、ストレスとして蓄積されていってしまうこともあります。ですので、わたし自身もいつも気を付けて実践しているのは
何かモヤモヤする…くらいの時に、そのモヤモヤを探り、早めに吐き出してしまうことです
モヤモヤの段階で、きちんと向き合うことなのです。そう意識していないと、無意識的に一人で抱え込むことをしてしまい、そのことが癖になってしまうからなのです。
もし、すでに癖になってしまっていても”癖になっている自分に気づく”というだけでも、大きな一歩です。
気づくことが出来れば、自分を苦しめる悩みの早期発見に繋がり、その時に少し慎重に相談相手を選ぶ、ということすることで解決への道は開かれていくと思っています。
最後に
わたしはASDであるというだけで
外の世界に出て息をして生きているだけで疲れ切ってしまう
ということがあると思っています。というのも、そもそも外の世界や常識、普通と言われていることは、大多数の人たちを基準に作られているからだと思っています。今回の”人に相談する”ということについても
大多数の人が納得できる答えにはASDは納得できないし理解すら出来ない
そんな事が当たり前に起きます。そこでわたしが問題だと考えるのは
ASDであるからこそ、この現実社会での悩みや困りごとが多くあるのに、そのことを相談することが出来ないし納得の出来る答えを見つけられないということが起きてくる
ということです。実際、ASDの中には困っていないように見えても、頑張ってわざと普通に見えるように困りごとを隠している人も多くいます。そんな人ほど一人になった時に、ピンと張り詰めた糸が切れるようにどっと疲れを感じているのです。
マイノリティにはマイノリティの世界があり、マジョリティにはマジョリティの世界があるというだけだと、わたしは思っています。ただそう思っていても、定型発達の方には悩み事がないとか、その悩みついては簡単に解決してしまうとは思っていません。
ASDの悩みの本質は大多数の人が感じとるもの以外のところで多く発生しているということなのです
そういったところになかなか理解を得れないのは、無知と、専門家の方たちの詳細な情報があるにも関わらず、まだまだ世に広まっていないというというところが原因の一つだと思っています。
ASDの日常を知ってもらいたい、日常の中にある、人に話しても仕方のないような困りごとを知ってもらいたい、わたしはそういったASDの日常を広めていくことで、マイノリティでもマジョリティでも生きやすい社会になることを願っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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