ASDと車の運転

感覚過敏

運転をする時に起こる困り事とは

実を言うとわたし自身、車の運転が苦手だと意識したことはありませんでした。と言うよりも“苦手な部分に気づいていなかっただけ”、こちらが本当です。気づいていなかったからこそ、ASDと運転の関係性を調べれば調べるほど、多くのASDの方が、運転を苦手としているという事実に驚かされました。それと同時に、「確かにわたしにもあてはまる所はあるな…。」という発見もありました。それからというもの、わたしはもう一度自分の運転をしっかりと振り返ってみることをしてみました。そうするとやはり、実は運転することで疲れてしまうからこそ、なるべく過ごしやすくする為の空間を自ら作っていたのです。例えば一人で運転する時用に、好きな音楽をスマホに何十曲もまとめてアルバムにして作り、更に車のスピーカーのサウンドを、聞いていて耳に気持ちよくするために凄く細かく調整していたり(これは聴覚過敏に関係しています)。ある意味、苦手な運転を少しでも克服するかのような行動は既にとっていたのです。

では実際に、運転中どういった困り事があるのか。ASDの方の中でもそれぞれに困り事の内容は違っていたりしますが、よく見受けられるのが

  • 合流のタイミングがわからない、車の波に乗れない
  • 制限速度を忠実に守りすぎてしまうため、スピードが遅くなる
  • 同乗者と話をしながらだと注意が逸れてしまう
  • 車体感覚がイメージできない
  • 対向車のライトのまぶしさを強く感じる

というものです。他にもまだまだありますが、この内容には特に納得しているASDの方は多いのではないかと思います。こういった困り事とは具体的にどういった状況を指すのかを、わたし自身の運転から見てみたいと思います。

ASDの方の多くが困難だと思われるものでも、わたしに当てはまる部分と当てはまらない部分もあります。それは、「合流のタイミングがわからない・車の波に乗れない」というものです。わたしは走行中の車線変更、合流するタイミングでは、そこまでの困り感はありませんでした。というのも、それは知能検査(WAIS-IV;ウェイス・フォー)の結果で、処理速度が特に高かったことが関係していると考えられます。処理速度とは、時間内に視覚的な情報を数多く、正確に処理する能力(目で見た情報をすばやく処理したり書き出したりする能力)というものなのですが、この部分が高いからこそカバーされているのだと思います。例えていうと“テトリス”をしているような感覚に近いものがあるのです。サクサクと車と車の間を処理しているかのような感じです。

それでは、免許をとってから10年以上になりますが、未だに困難だと感じるポイントというのは

駐車場などでのゆっくりと走行している時に起こる、“対向車の運転手との譲り合いのタイミング”です。

例えば、言語でもなく身振り手振りでもない、なんとなく雰囲気からの「お先にどうぞ。」的なものがお互いにあった時、自分が行っていいタイミングが全く計れないのです。対向車の方がはっきりとこちら側にわかりやすいように手振りで示してくれたり、パートナーが一緒に乗っていて「今は先に行っていいよ。」と教えてもらえたりする場合だと助かるのですが、それ以外の時には、どうしていいのか分からず、いつまで経ってもモタモタとしては動けないのです。

実はこのような困り事は全て、ASDの特性から説明できます。逆に特性から説明できるということを知らなければ、対策も取れないまま事故に繋がってしまったり、それこそ運転自体が嫌になり、自分の行動範囲を狭めてしまうことにもなりかねません。そのような結果にならないよう、ASDが運転をする時に起こる困り事に関係している特性には、どういったものがあるのかを見ていきたいと思います。

運転の困難さを特性から探る

早速ですがASDが運転をする時、そのこと自体を難しくさせている特性にはどういったものがあるのか、考えられるいくつかをここでを挙げてみたいと思います。

  • 臨機応変な対応ができない
  • コミュニケーションの困難 
  • 他者にペースを乱されたくない
  • ルールを徹底するこだわりの強さ
  • 感覚過敏と感覚鈍麻
  • 暗黙の了解が分からない

こういった特性が、運転している時のあらゆる状況において発生する為、運転そのものを困難にさせていることが考えられます。

運転には技術だけではなく、対向車とのコミュニケーションを必要とする場面も多くあります。それこそが、ASDの苦手とするところなのです。“対向車の運転手との無言のやり取り”こここが非常にネックになるのです。

例えば、わたしが未だに難しいと感じている“譲り合いのタイミング”などもそうです。あるASDの方が「車の運転はコミュニケーション」そう教えてくれました。正しくその通りだと思います。だからこそ、そもそもコミュニケーションに困難さがあり、そこに暗黙の了解まで足されてしまう、その上更に、他者にペースを乱されたくないというものまで乗っかってくるとなると、運転中何度も起こる譲り合いの状況がある度に、どっと疲れてしまうのには納得ができます。

その他にも、感覚過敏が原因で夜間の運転が苦手という方も多いです。わたしもその中の一人ですが、視覚過敏が関係していて、対向車のライトが眩し過ぎるのです。厳密に言うと、昼間でも日差しなどがとても眩しく感じられるのですが、サングラスでなんとかカバーできます。ただ、夜間はそういうわけにはいきません。特に最近では、LEDライトも増えてきていて、眩しいと感じるたびに、運転にとても集中しなくてはいけません。聴覚過敏からも、例えば救急車やパトカーのサイレンの音が鳴ると、すぐそこで鳴っているように聞こえるため、必要以上に驚いてしまったり。またはその逆の感覚鈍麻があることで、車幅を感覚的に把握することが困難だったり。この車幅の感覚に関しては、わたしの場合、自分の運転ではさほど感じることはないのですが、パートナーが運転する助手席に乗っている時には頻発します。全く大丈夫な車幅で運転していても、助手席側の縁石に凄く寄っているような感じがして、「近づきすぎて怖い!。」と言ってしまったり。実際言わなくても心の中で(そんなに寄ったらぶつかるっ!)と何度も不安に感じていたりします。それほどに車幅の距離感が鈍く、分かりづらいということなのです。

ルールを徹底するこだわりの強さで起こる困り事といえば、停止線の問題があったりします。停止線があると、その線の手前でピッタリと止まることばかりにこだわってしまい、本来の目的である、周囲に注意を向け安全確認をする、ということが疎かになりそうになることもあります。その場の状況よりも、ルールを守ることの方に執着してしまうのです。このように、ASDにとって運転を困難にさせているものの中には、運転が下手だとかいう一言では片付けられない、特性が絡んでいるものが沢山あると言うことなのです。

自分の運転スタイルを知ること

ここまでの内容だと、ASDの運転に不安を感じる方もいるかも知れません。ただ、特性が絡んでいて困難さがあったとしても、実際事故に繋がっているか、といえばそうでもないと思っています。というのも、ASDが運転する時というのは、どちらかというと乱暴な運転をする人は少なく、逆に制限速度を忠実に守りすぎてスピードが遅い、という人の方が多いからです。

ASDは基本的に真面目ということに加え、理念としての正義感や思いやりがある人たちです。だからこそ逆にルールを徹底するという特性上、そのことがルールを順守する姿勢につながり、安全運転につながるケースもあります。

例えばASDの人の中には、自分には運転が難し過ぎるとわかっているからこそ、自ら事故を招かないよう安全に運転できる範囲でしか運転しない、そう決めている方もいます。危険運転で事故を招きやすい、というものではなく、そもそも運転が快適に出来ない、とても疲れてしまう、苦手意識が強いからこそ運転を避けることで行動範囲が狭くなってしまう、という問題を抱えている人たちだということなのです。このような問題を少しでも改善していくためには、自分の運転に特性がどう関係していて、どういった状況の時に意識してコントロールするのか、ということに取り組むことだと思っています。

わたしは毎日のように、息子たちの送迎や用事の時にはいつも車で移動します。冒頭でもお伝えしたように、運転自体は嫌いではなく、これまで大きな事故も一度もありませんが、やはりとても疲れてしまうのは事実です。ただ、疲れてしまう理由が特性からわかれば、その部分をコントロールして回避することはできると思っています。例えば、停止線での問題を自覚していれば、“そのことだけにこだわって集中しすぎない”、という引き出しを作ることができます。状況に応じてその引き出しを引っ張り出しては対応したり。感覚過敏の対応は難しいからこそ、夜間の運転はなるべく避けるようにしたり。譲り合いの時に生じる“暗黙の了解”や“臨機応変な対応”には、こちら側が先に手振りで相手に知らせて行ってもらう、というように一つづつ決まり事を作っていったり。このように、自分にある特性と照らし合わせた知識と経験の引き出しを増やしていけば、運転そのもの自体が嫌になることや、事故につながってしまうような要因自体も防げると思っています。ASDである自分の運転スタイルを知ることで、安全運転と快適なドライブを手に入れることは難しくないと思っています。

ASDの人たちというのは、安心できる場所から一歩外の世界に出ていくだけで、まるで障害物レースをするかのような社会に放り出されます。そのことに加え、運転をする人たちにとってはまた、困難が降りかかります。そう思うと、目で見てわかりづらいかもしれませんが、本当に日々とても多くの努力を重ねながら生活しているのだと感じさせられます。だからこそ、自分必要な対策をとり、知識を得て実践し、生き方を少しでも優しいものにしていってほしいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

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