「なせば成る」はASDには無意味

発達障害

「なせば成る」はASDには無意味

「なせば成る」という思想を持つ大人達

わたしが常に危機感を抱くのは

ASDに対して定型発達と同じような教育がまかり通ると思っている大人や親がいるということです

  • 自閉的な部分が無くなれば幸せになれる
  • 苦手から逃げていては治らない
  • 自分だけの手段に頼っていては社会ではやっていけない

こういう思想から、ASDにある特性をとにかく標準にしたいと自分勝手に思っている大人、まさに

「なせば成る、なさねば成らぬ何事も」

という思想を持った、昔指導をASDに押し付けてしまう大人や親のことです。

「なせば成る」という”善意”は逆効果でしかない

ASDにとって「なせば成る」で何とかなることは、ほぼ無いと思っています。あるとすれば、それは

ASDが”自発的に”何かに取り組もうと思ったり、自らそれを克服したいと思った時だけです

それは決して、周囲から促されて出来るものではないということです。

無知な大人や親からの、それがたとえ”善意であったとしても”です。わたしのように、わたしの親が聴覚過敏を克服させようと、花火大会がある度に連れて行かされていたことも、それはASDにとっては”虐待”に近いようなことを、知らず知らずのうちにしているということになるのです。

そのようなことをASDに対して繰り返し行っていると、どういう結果になるかは目に見えています。

ASD自身が自分に対して否定的になる

自分の本質を見失しなう

ASDの本質と特性というものは、生まれてから死ぬまで持っていくものです。

その部分が努力で治癒したり、ある日突然、無くなるものではないのです

この部分を何よりも理解して受け入れないといけない、大前提であるにも関わらず、まずこの事実を知らない大人がASDに対して

  • 自分の経験から
  • 自分はこうしてうまくいったから

というようなおかしな価値観を、ASDに対して一方的に押し付けてしまうのでは、全くお話にならないのです。では実際、長年に渡り押し付けられてしまったASDはどうなってしまうのでしょうか。

  • 言われたことを何度も何度もやってみても出来ない
  • 周りにいる出来る人と自分を比べる
  • 出来ない自分が全てになり本来の自分を見失う

こうなってしまうことは実際に起きてきます。言われたことをやってみた結果、多少、出来ることが増えたとしても、それ以上に自分を見失ってしまう…決してこういった結果を望んでいるわけではないと思いますが、結果、ASD自身がこのような状態になってしまうのは、ASDに対して無知な大人や親が招いた結果だということも言えると思っています。

ASDに必要なのは”得意を伸ばすこと”

苦手はほどほど出来たら十分

ASDに関わっている人たち、または子どもがASDの親にとって、何よりもまずやらなくてはいけないことがあるとすれば、それは「なせば成る」の思考を捨て

ASDであるという事実を受けとめること

ここがスタートなのです。その上でASD当事者のわたしが思うのことは

  • ASDにとっての苦手は本人が困らない程度に出来たらそれでいい
  • それよりも得意なことに時間を使わせてあげて欲しい

これだけです。「なせば成る」という思想が悪いとは思いません。ただ、ASDには使えないというだけなのです。

ASDを変えたい、何とかしてあげたい、そう思うよりも先ず、そう考えている大人や親自身が”変わる”ということが必要なのではないかと思っています。その部分が変わらない限り、ASDにある素晴らしい突出した才能は見えてこないと思うからです。

最後に

実はわたしの母は、子どもの頃から祖母に(母の母親にあたる人です)「なせば成る、なさねば成らぬ何事も」と強く教育を受けてきた人でした。ですのでわたしも、そんな母からあたりまえのように、常にそういう教育を受けてきました。ただ、その母の思いに対して

息苦しく、苦痛でしかありませんでした

わたしが子どもの頃から大人になるまで、母がわたしをASDだという認識がなかったということも、もちろん関係しているとは思いますが、それでも母は、自分の教育が全ての子にあてはまるという価値観は持っていたと思います。

そんな当時の記憶をふと思い出したのが、ASDについて学んでいる書籍のある一文に

”「なせば成る」式の対応をされて、高機能でない人以上に押しつぶされてしまいやすい存在”

そう書かれているのを目にした時でした。他にもとても共感できたのが

”高機能である前に自閉症”

この一言でした。ASDは見た目では”自閉症”とはわかりにくいからこそ、その部分を見落とされることは多くあります。だとしても”自閉症”というのは事実なのです。そして凹凸があるのも事実なのです。凹凸があるということはある突出した何かがあるということも事実なのです。

わたしは、これからはASDがもっと必要とされてくる時代が来ると思っています。その為にも、ASDの才能をつぶすようなことを避け、得意を伸ばしていける大人が、これからは増えていって欲しいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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