「外食に行こう!」が素直に喜べない
わたしは子どもの頃からそうなのですが、「外食に行く」というだけで実はとても身構えてしまいます。もちろん嬉しい気持ちが無いわけではありません。嬉しい気持ちもありつつ、それと同じくらい不安も発生してしまうのです。
その不安とは具体的にどういう感情が生まれているのかというと
「初めて行くお店は嫌だ…」
「行った事があるお店が閉まっていたらどうしよう…」
「落ち着ける席があるかな…」
「混んでいないかな…」
「いつも頼むメニューはあるかな…」
ざっと上げただけでも、これだけの不安に一瞬で思考を支配されます。ですので子どもの頃から、そして大人になった今でもよく言われていたのが
「あれ?あんまり行きたくない?。」
という一言です。普段から外食が当たり前に楽しいと思っている相手からすれば、その時にパッと嬉しい表情にはならないわたしを理解できなかったんだと思います。例えばその時に加えて“サプライズ”で初めてのお店に連れて行かれるなんてことがあれば、わたしの不安はもっと強くなり、頭がクラクラするほど動揺してしまいます。大袈裟でも何でもなく本当に軽いショック状態になり、嬉しさよりも「早く帰りたい…一人になりたい…。」という気持ちの方が強くなってしまう程なのです。
ただ外食に行く、というだけなのにこような状態に陥ってしまうのには、実はASDの特性が大きく関係しています。
外食をする時でも常に関係してくるASDの「特性」とは
ここでは早速、外食をする時、といっても厳密に言えば日常的にどこにいてもASDにはあるものだとも言えますが“ASDの不安に関係している特性”を挙げてみたいと思います。それは
- こだわりが強い
- 感覚過敏がある
- 安定したルーティンを好む
- 見通しがない事には安心出来ない
というものです。どんな事にもこだわり、変化を嫌い安定を好み、見通しは必須で感覚過敏を刺激されない環境を望む人たちだからこそ、そこにマッチしたお店でないと当たり前に不安が発生してしまうのです。
そしてもう一つ、関わってくる特性があるとすればそれは
完璧主義です
完璧主義から予期不安が発生してしまうこともあるのです。初めて行く慣れていないお店はあまり気が進まない、混雑している、いつも頼むメニューがない、このような不安からくる言動は、ぱっと見では“ただのわがまま”だと見られがちですが、ASDの場合はそうではなく、強い不安を避けたいからこその言動なのです。
こういった特性と照らし合わせてみると、ASDは外食に行くだけなのにとても難しい人たち、そのように聞こえるかも知れませんが、実はそうではなく本当は“とてもわかりやすい人たち”なのです。ASDにある特性を踏まえた上で「外食先でのお約束」というポイントがあるということに気づいてさえいれば、特に難しいことはなく普通に楽しむことは出来るのです。
外食をする時の「お約束」と外食を「楽しむコツ」とは
例えばわたしにある、外食をする時の「お約束」を上げてみると
こだわりの強さと、安定したルーティンを好む為に
→これまでに行ったことのあるお店から選ぶ
→いつもと同じ席を確保するために予約は必須(座る向きまで毎回同じ)
→HPなどでメニューの確認(メニュー変更があると食べられるものがあるかどうかの不安が大きくなる為、あらかじめその時のメニューを頭に入れて予行練習)
見通しは必須であること、その上、感覚過敏があって人が多いと周囲の音で疲弊し切ってしまう為に
→当日混むかどうかも予約時に確認
というものです。わたしの場合は聴覚過敏が特に酷く、ザワザワと入ってくる話し声や食器が重なるカチャカチャした音などで疲れる上に、その音で目の前にいるにもかかわらず、相手の話し声が聞き取れないことも多くあります。その度に何度も聞き返してしまっては申し訳ない気持ちになる…そういった状況になることが予測されているからこそ、混んでいる日は避ける、ということも加えてあります。
ASDにはこのような「お約束」があると知った上で、ASD当事者にとっても、関係してくる相手の方にとっても、外食を「楽しむコツ」があるとすればそれは
そしてもう一つ楽しむコツを付け足すとすれば、といってもこれはASD側にとってのものですが
一緒に行く相手は気心の知れた人
というものです。そんなのASDに限らずみんなそうだと思われるかも知れませんが、あまり気心の知れていない人との外食は、後々倒れそうになる程疲れてしまう…ということがASDにはあるのです。「ストレスの度合いが違う」と思っていただければ、わかりやすいのかも知れません。
ちなみにわたしが一緒に行く相手は、パートナーか親友です。それ以外の付き合いの浅い人たちとの外食は、ここ数年行っていないと思います。ちなにみ余談ですが、付き合いの浅い人たちと行った時のASDは、たいてい無口であまり会話に参加しないことの方が多いのですが、親しい人といると自らも会話を楽しむ人になります。
外食をする時の「お約束」があるのが普通の人たち
これまでに上げたようにASDには、外食一つをとっても他の人たちが簡単に楽しめることを楽しめなかったり、楽しむ為には周りから見れば面倒だと思う作業が必要だったりします。そうだとしても
「親しい人と外食を一緒に楽しみたい」という気持ちは同じようにあるのです
わたしにとって、外食をする時の「お約束」があることは、子供の頃からずっと普通のことです。今はその事を理解してくれているパートナーがいます。ASDであるわたしのことをよく知ってくれているパートナーと外食に行くのはとても好きなので、その時にお互いが楽しめるように、事前の予約やその他諸々の確認作業はわたしがやったりしていました。今ではパートナーも協力してくれて、予約時に混み合っていないか、いつもの席は空いているかなどの確認をとってくれたりもします。そうだとしてもそれを当たり前だと思わず、出来る時はわたしが自ら確認をする、ということも心がけています。それはわたし自身のことだから、という意識があるからです。
ただ、そうすることで行き慣れたお店で楽しむ事は出来たとしても、例えばパートナーが初めてのお店に行きたいと思った時にはそれは無理なのか?というと、実はそうでもありません。ASDのわたしでももちろん、初めてのお店に行く事もあります。それがどうして出来るのかというと
ASDだという自覚があるからです
「初めてのお店は不安が強いけれど、それがわたしだからな。とにかく思い切って行ってみよう…。」こうしてASDだという自覚があるだけで頭の中が整理され、思い切った前向きな行動に移せたりするのです。そしてもう一つは「初めてのお店」を思い切って経験することで今後、安心していけるお店が一つ増えるという事もASDの視点から理解し、知っているからなのです。そうやって経験を重ねた結果が相手も喜ぶものであれば、その後もまた乗り越えたりも出来ます。
ASDだと自覚のなかった頃はよくわからない不安に押し潰されながら、自分の思いを上手く伝えられないまま、ひたすら我慢の状態でした。外食に行く事自体が嫌になっていた頃もありました。ただ、当時を思い返すと、わたしの中に起こる強い不安から精神的に不安定になり、例えば予約してもらっていないとイライラし、相手を責めてしまったり。「他のお店はどう?。」と聞かれても、考える余地なく断ってしまったりと、理解に苦しむ迷惑をかけていたこともあったと思います。
その頃と今のわたしを比べて思うと、ASDに対しての認識がどれほど大切だったかを実感できます
実はわたしのパートナーも大人になってからADHDだと診断された人ですが、お互いにお互いの特性を知ってからの方が、関係性は随分良くなったと思っています。
最後に少しまとめると、ASD当事者やASD傾向のある人と外食をした時に、空いている席が沢山あるのにどこに座るのかを迷ってウロウロしたり、店員さんから笑顔で新メニューをお勧めされているのに困惑してしまったり、混雑しているというだけで無表情で楽しくなさそうな状態になっていたとしても
それはどうにかしてその場の状況を乗り越えようと頑張っている姿でもある、ということを知っていただけたらと思っています
ASDに限らず必要なことだと思っていますが「その人のこと知り、受け入れる」ということは、関係性を保つ上でとても大切です。そのことで、難しく考えていたことにあっさりと答えが出る瞬間があったりするからです。ASDという人たちを知ることで、そして当事者はASDだと自覚することで、その瞬間をたくさん経験してもらいたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
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