ASD “こだわり”の本質

発達障害

ASDにある“こだわり”の本質とは

日常に紛れ込む細かく、そして強いASDの“こだわり”

ASDのわたしにある“こだわり”というものは、実はASDだと自覚するまで、こだわりだとは思っていませんでした。

単なる日常的に見られる自分だけのマイルール

それくらいに思っていました。ただ、他の人と比べ、または、他の人の日常を覗くと、どうもそのマイルールの数がわたしには多いような気はしていました。それでも、わたしにあるマイルールの量というものは、子供の頃からずっと変わらずあるもので、そのこと自体も至って普通のことだと思っていました。

ちなみに一般的に“こだわる”と聞くと、自分の趣味に対して、またはある一つの物事に対してだけはこだわる、と言った、見た目でもわかりやすいものが多いと思います。例えば

「カレーを作る時はいつも、〇〇と△△を必ず入れる。ここはこだわってるんだ。」

というようなもので見られると思います。ただ、ASDにあるこだわりというものは、全く別次元のところにある、と思っていただいた方がわかりやすいと思います。というのも

ASDにあるこだわりは、意図的に行うものではなく“本能的志向”が強く、そこからくるものだからなのです

というのも、ASDが日常的にこだわっている物事というものは、そもそも無自覚、そして無意識的なところから始まります。例えば、物の配置・手順・日々のルーティンなどの中に含まれる、物事の細かいところまで当たり前に強くこだわるのが、ASDのこだわりなのです。

ASDの“こだわり”に見られる特徴

わたしの日常的なこだわりを見てみても、わたし以外の人に指摘されるまでは、自分でもそのことが“こだわり”になっていると気づいていないものがほとんどです。そしてそのこだわりには、ある特徴がみられます。それというのが

目先の物事にこだわることが先で、こだわった先の最終的な目的は見えにくい

というものです。例えば、わたしの実際のこだわりで言うと“道順”です。

“道順”

何度か行ったことのある目的地に、少しでも早く着くことが最終的な目的であっても、そのことよりも、いつもと同じ道順で行くことの方にこだわってしまいます。

この道順に対してのこだわりでよく、パートナーとの会話にあるのが

「今日はこの道じゃなくて、あっちの道から行った方が渋滞してなさそうだよ。」

そう言われても、それだけのことでは、いつも返事は同じ。

「ううん、この道で大丈夫。いつもの道で行く。」

そう答えてしまいます。このことはもちろん、わたしが一人の時でもそうです。渋滞しているかどうか、早く着くか遅く着いてしまうかよりも、いつもの道を通って行くことの方が優先で、同じ道順で目的地に向かうのです。

その他にも例えば、“ロボット掃除機”です。

“ロボット掃除機”

最終的な目的は、ロボット掃除機の力を借りて部屋が綺麗になっていることです。最初はその目的を見失っていないにしても、いつの間にか、ロボット掃除機を決められた時間に必ず運転させる、ということにこだわってしまいます。

部屋が綺麗になるという目的よりも、決められた時間に運転していることの方が先で、逆にどんなに忙しくても、大して部屋が汚れていなくても、それ以外の時間に動くことにはどうにも気持ちが悪く、そうしないことでちょっとしたストレスまで抱えてしまう程になってしまうのです

このようなこだわりの仕方は、周りから見れば、何をそんなに必死になっているんだと思われることが多いと思います。ただ、それほどにまでASDのこだわりというものは

目的よりも目先の物事に気持ちが向きやすく、その上細かく強すぎるものなのです

そのこだわりのスタイルが、ASDにとっては当たり前の日常だとも言えるのです。

“こだわり”については話し合うことが大切

これまでにもお伝えしてきたように、ASDにある“こだわり”というものは、本能的志向が強いことから、によるもので、一般的なこだわりとは違うところにあります。ただ、この事実を理解していないと

  • ASD側からすれば、相手が好意でしてくれたことに対して、嫌悪感を抱いてしまったり
  • ASDと関係している相手側からすれば、好意を踏み躙られたような気持ちになったり

こういったすれ違いが生じやすくなります。

例えば、なんでもないように並べられていた小物が、実はASD的にはこだわりがあって並べていたものであったとします。そのことを知らずに、もっと整理整頓してあげようと並べ替えてしまった、または片付けてしまった、という時に、ASDが喜ぶと思っていた反応とは真逆で、イライラされてしまって傷ついたり、ということもあります。

逆に、ASD側がイライラを隠して、相手に合わせて感謝する姿勢を見せる、ということもあったり、または、後になってから相手の好意に気づき、その時の自分の態度を後悔したり。どちらにしても、ストレスを抱える関係性を隠し持った状態になってしまいます。こういったすれ違いには

ASDやASD傾向があると分かっている、または気づいた時点で、こだわりの部分と相手側の意図をその都度、話し会うことが大切だと思っています

実際そのことで、解消できるすれ違いの部分は多くあると思っています。

お互いを理解し、譲りあり、受け入れ合うことで、小さなイライラが大きなイライラに発展することもなく、逆にそのことを、笑い合える関係性に変えていくことは出来ると思っています。

最後に

ASDのこだわりは細かく、そして強いものだということを、お伝えしてきましたが、実は強いからといって、何かに強くこだわっていることが一生続くものなのかといえば、実はそうでもないのです。

ASDのこだわりは、本人がそのことに対して飽きたり、満足したり、または何かのきっかけで違うパターンを経験したりすると、ある日突然、なくなることもあるのです

ただ、一つのこだわりがなくなったとしても、ASDの特性にある、こだわり自体がなくなることはありません。どちらかというと

こだわるターゲットを変えては移り変わっていく

というものなのです。この移り変わっていくタイミングというのは、実はASD自身でもわかりません。本当にある日突然、という感じで、あっさりとこだわらなくなってしまったかと思うと、今までこだわっていなかったところに、新たに強くこだわりを持ってしまったりします。

そうだとしても、そのこだわりがあってASDの日常が保たれている、というものでもあると思っています。実際、周囲からすれば面倒だと思われるような小さなこだわりだったとしても、その小さな事にこだわっているからこそ、気持ちよく毎日が過ごせているものでもあるからです。

ASDにあるこだわりが、日常的な生活に支障をきたすものではなかったら、そのスタイルがASDの普通なんだという理解の上で、上手く付き合っていって欲しいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

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