ASD 雑談の場での”本当の姿”

発達障害

ASDが雑談の場にいる時の”本当の姿”とは

”雑談の場に求めるものの違い”とは

わたし自身もそうですが、多くのASDは雑談の場が苦手です。どうしてASDはそこまでして雑談を嫌うのか、興味を持てないのか、というところには、ASDとASDではない多数派の人たちとでは、求めるものに大きな違いがあるからなのです。その違いというものは

ASD以外の多数派の人が雑談の場に求めているものというのは”人と人とのコミュニケーション”であり、少数派のASDが雑談の場に求めているのは”情報”だからです

コミュニケーションを主として求める場合は、まずはその場に”集まること”そして”なんでもいいから思ったことを話している状況”ここが揃えば雑談の意味が成り立ち、そこに集まった人たちにとっても、満足のいく時間を過ごすことが出来ます。

ただ、人とのコミュニケーションを求めないASDにしてみれば、人と人とが集まるのであれば、自分にとって有益な情報を得たい、または、相手が求める情報を持っていれば伝えてあげたい、といった”情報交換”があって初めて成り立ちます。このことからも、ASDにとって、多くの人が雑談の場にに求める、”特に何か話したいこともないけど、とりあえず集まろう”というような、なんとなくな集まりには、満足どころか、ストレスを抱えてしまうこともあるのです。

ASDはいろんな場面で”鈍感な人”ではない

ASDが自分の興味のない雑談の場でとってしまいがちな態度の中には、かなり冷め切っている人だと見られることも多いと思います。そのことで

  • 自分のことしか考えていない
  • その場の状況、その場に集まる人に合わせて行動出来ない人

そう思われることもあると思います。実際、そのようなASDに対して”空気を読めない人”と言われているのも、そういう風に見えてしまうASDを指しての事だと思います。

ただ、本当にASDはその場の空気もその場の人たちの事も、読み取れていないからこそ、自分勝手だと思われるような態度をとってしまうのか、と聞かれれば答えは”NO”です。もちろん全てのASDにおいて、そうだとは言い切れませんが

ASDは空気を読めないと言ったような”鈍感な人たち”ではありません

逆に、雑談の場でASDが何を見ているかというと

その場の状況・空気・集まった人たち一人一人がどういう人なのか

こういったところに、逆にかなり感度の高いアンテナを張っている状態にいるのです。それがどうしてかというと、この時に、ASDの特性の一つでもある

興味関心の偏り

ここが関係してくるからなのです。

  • 集まった人たちの中に、自分が興味を引かれる人がいるか・いないか
  • 興味のある話をしている人がいるか・いないか

このことをかなり敏感に感じ取ろうとします。それを読み取った上でいないと分れば、思考はその場から離れた状態になるのです。興味関心に強い偏りがあるからこそ、一瞬で離れる事をします。ただ、興味が持てない場面や会話の時に、思考や行動が自分に向いたものになるというところには、もう一つ、理由があります。それというのは

興味を持てなくても、そのことを我慢しながら話す、というその事自体が強いストレスになるとわかっているからこそ、自ら防御しているからなのです

ここも同時にあるのです。この防御的なもの、それこそ子供の頃からある方が多いと思います。それがASDにとっては、ASDとして生きていく為のごく自然な振る舞いなのです。

”雑談の場”でのASDの本当の姿とは

”空気を読めない”という意味を深読みしてみると

その場の状況を見て、空気を読んでいる人ならこういう行動をとるだろうという、その行動が無意識のうちにそこにいる全員に強要されていて、その行動に適応できない人たちを見ては、空気を読めない人、と言われてしまう、というものが隠されていると思っています。

ただ、先程にもお伝えした通り、ASDは空気を読めない人たちではありません。

空気を読んだ上で、”自分が取るべき行動をとっている人たち”だと言えると思っています

そして実は、雑談の場で全く興味のないような態度でいたとしても、そして自分のことだけを考えていたとしても、その場の話を全く聞いていない訳ではないのです。実は、その場の状況・人に対するアンテナはいつも敏感に張られているのです。張られているからこそ逆に

話が合いそうな人や、興味のある内容をキャッチすると、簡単に参加できてしまうのです

興味がないからと、そっけない態度でいたかと思えば、興味のあることを話し出した人が出現した途端、一瞬で加わったり出来るのです。ただ、加わると言っても厳密には、興味のある人とだけ話す、という感じにはなります。このことからもASDは

自分と合う人を見つけることが得意

というところもあるのです。雑談の場でのASDの態度からでは、こういったASDの心理はわかりにくいと思いますが、実は、これまでに挙げたASDの姿が、雑談の場での本当の姿だと思っています。

一人一人に違いがあるという事を認め合うという関係性

ASDは基本的に雑談は苦手です。その理由としては

定型発達の人たちが雑談に求めるものと、ASDが雑談に求めるものとは根本的に違いがあるということ

というものであって、感情的なものでも、自分勝手なものでもないのです。そして

空気は読んでいるけれど、その後の行動には、定型発達の人とASDとでは違いがあるということ

ここが中々、理解されにくいために、空気を読めない人と言われがちです。ただ、雑談の場でのASDの本当の姿、というものは

  • その場の状況・そこに集まった人に対してとても敏感に観察し、把握はしている
  • 状況や人を把握した上で、迷惑をかけない程度に、自分にとってストレスのかからない行動をとるようにしている
  • 雑談を全く無視しているわけではなく、会話は聞こえていて、参加できるタイミングを見ている

というものだと思っています。ただ、こういったASDの本質を言葉で表現することは、実際、とても難しいと感じることもあります。例えば

「興味のない会話には誰でも参加したくないけれど、我慢したり多少、無理もしながら参加するものだ。」

そう思われたり、言われたりもする時もあると思います。もちろん、そういった意見は正論なのかもしれません。実際ASDでなくても、その場の状況や人に合わせた会話や態度をとる、ということは、多少なりとも疲れるものだということもわかっているからです。

ただ、ASDにとっては、多少とはいかないものが多く、ほんの短い時間だとしても、とてつもない疲労感やストレスに襲われたりすることが多くあることは、事実なのです

だからこその行動をとっている、というものは、それこそ子供の頃から培われた、自分自身を守るためのものだとも言えると思っています。

ASDと定型発達の人たちとは、そもそも生まれながらにしての違いがたくさんあります。そのことをお互いが自覚し、お互いが折り合いをつけられる関係性が築ければ、あらゆる場面において、不自由さを感じない環境が作れるのではないかと思っています。

最後に

わたしは子供の頃から、家でも学校でも、空気を読むことしかしてこなかった、と言っては言い過ぎになると思いますが、それほど、大人の顔色、その場の空気をずっと見過ぎるほど見ていました。それというのも

わたしは他の人とどこか違っている…

そういった違和感をずっと持ち続けていたからこそ、他の人はどういう行動を取るのか、この場面ではどうしたら場を和ませることができるのか、今、この人たちの間にいるわたしの役割は何なのか、そんなことばかりを考えていたからです。

そう生きてきたわたしが”ASDは空気を読めない人”、と書かれていたものを読んだ時は、かなり疑問を持ちました。ただ、そう書かれているのには、きっとこういう部分を指してのことだろうな、ということに気づいた事実はありました。それというのは

わたし自身、子供の頃からその場の空気を読み過ぎるが故に、居ても立っても居られなくなり、その場から何も言わず去ってしまったり、逆に何も話せなくなったりと、まるで、空気を読んでいないかのような行動を取ることがあったからなのです

そうだとしても事実は、読みすぎた上での行動なのです。こういう事実は、もしかしたらもっと他にもあるのではないかと思っています。今回の内容にも繋がると思いますが、これまで信じられてきたものの中に、全てのASDがそうではないというものがあるとすれば、今後も一つ一つ解明していきたいと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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