ASD “たった一つの嫌な出来事”が楽しかった記憶を消す

発達障害

ASDは“たった一つの嫌な出来事”が楽しかった記憶を消してしまう

記憶に関係するASDの特性として持っているものとは

わたしは過去の記憶を辿ってみても、瞬間的に鮮明に思い出されるのは

そのほとんどが辛かった・悲しかった・とても傷ついた、という記憶です

それでも、意識を記憶に集中して思い出すことをしてみれば、楽しかったことや出会った人たちとの面白かった出来事、その人たちのことを思い出せないわけではありません。それでも、どうしても印象的に残ってしまうのは、悲しく辛かった記憶なのです。

その記憶の残り方というのは出来事から対人関係に至るまで、全てにおいてです。例えば

  • 保育園の頃の記憶⇒全員の園児の前で先生に叩かれた
  • 小学生の頃の夏休みの記憶⇒やりたくない宿題が計画通りに進まなくて毎年、大変だった
  • 中学生の修学旅行の記憶⇒わたしを嫌っていた先生が就寝時間を過ぎたころ突然、部屋に入ってきて「持ち物検査するから見せろ!。」と、鞄の中身を目の前で全部ぶちまけられて、勝手に持ち物検査をされた

その頃、その年代には上記に挙げたたった一つの記憶しか残ってないのです。大げさでもなんでもなく、他の記憶が本当に全くありません。

こういう記憶以外は、思い出そうとしてもすっぽりと抜け落ちているのです

嫌な記憶に支配されてしまうといった感じになるのです

このことは、対人関係においても同じなのです。一度でもかなり嫌な思いをした、辛いと感じられる発言を受け取ってしまった相手のことは、その瞬間、嫌だと感じた印象に支配されてしまいます。

その人との楽しかった記憶、やさしくされたこと、その記憶が消えてしまうのです

恋人同士であっても、夫婦であっても、親子であっても、友達であっても、それは同じなのです。だからこそ、「そんな出来事は一緒にいれば起こることだよ。」と聞かされたりしていても、たった一つの精神的にダメージの大きな出来事があると、楽しかった記憶はなくなり、対人関係であれば避けるか、さっさと離れてしまうことをしてしまうのです。

このことは、ASDの特性にみられる”完璧主義”だとか”0・100思考”というところではなく

どうしても辛く悲しかった体験の方に注意が強く向きすぎてしまい、楽しかった体験との記憶のバランスが取れなくなるということなのです

自己肯定感が低いASDに起こることとは

わたしはずっと自己肯定感は低いと思っています。おそらくこのことが、嫌な出来事が起きた時の自分自身をさらに苦しめていました。というのも先ほどお伝えしたように、ASDの特性として、辛く悲しい体験に強く注意が向きすぎてしまうことに加え

  • どうしてわたしばかりがこんな目にあうんだろう…
  • わたしの何がいけないんだろう…
  • あの時もこうだった…

このように、その時に起こった出来事を自ら膨張させて、自分を責めるという思考に走り、その事をしっかりと受け取ってしまうのです。

自己肯定感が低いと、その時の出来事を俯瞰してみることが難しくなってしまうのです

辛かった出来事に加え、自分にばかり注意が向きすぎて、物事の判断が鈍るのです

その結果、待っているのは精神的にダメージを受けるということなのです。

少しずつでも試してみて良かった事、出来た事

わたしは、冒頭でお伝えした時期のことに関しては、今でもどう頑張っても他の記憶を思い出すことは出来ません。ただ、嫌な出来事やその記憶に支配されると自覚してからは、実践してみたことがありました。それというのは3つあります。

たった一つの嫌な出来事に強く注意が向きすぎるのが自分だと自覚する

嫌だと感じた出来事の納得のいく根拠を探る

嫌な出来事だけがその記憶の全てではないと自分に言い聞かせる

このことを思考に入れておくだけでも、その後のわたしは過去の出来事のように、嫌な出来事に記憶が支配され、楽しかった記憶が一つも思い出せない、ということは今のところ防げています。

ASDの子どもたちに出来ることは

わたしには、わたしと同じASDの息子がいます。その息子に対して毎日、声かけしているのは

「今日は何か嫌なことあった?どんなことが楽しかった?。」

この両方を聞く、ということです。わたし自身の経験から、ASDは特に子どもの頃は嫌な記憶に支配されやすいと思っています。だからと言って、楽しかったことだけを聞くと、嫌だったことを隠してしまう時もあるのです。

ですので両方の出来事を聞きながら

最後は楽しかった話で終わりにしています

このことが息子たちの成長にどう影響していくかは、もちろんわかりませんが、嫌な出来事、辛い悲しい記憶ばかりが残ってしまうということは防げるのではないかと思っています。

大人になってからASDだと診断された、またはASD傾向がある方の中には、大人になるまで自覚がなかったというところで、子どもの頃から辛い経験のある方が多いと思います。それでも、その辛かった経験を乗り越え、人にやさしくできるASDの方、ASD傾向のある方はたくさん見てきました。

そういった事実からも、ASDの特性から生き辛いと感じることはまだまだあると思いますが、自覚のあるASDの方というのは、自分自身の困りごとは対策で乗り切る、そして過去の経験はASDの子ども達や大人のASDの方、関係している方に活かしていけることが出来るのではないかと思っています。

最後に

わたしは一時期、楽しかった記憶を思い出そうとしていた時がありました。その中には

  • 親友と過ごした時間
  • 辛かった職場で出会った先輩たちとの時間
  • 母親と父親の記憶

このことをどうして思い出そうと思ったかというと、楽しかった記憶を少しでも取り戻したいと思ったからなのです。親友と過ごした時間が、当時の先生からのひどい仕打ちで記憶がなくなってしまうのも、辛すぎた職場の記憶でずっと支えてくれた先輩の記憶がなくなってしまうのも、両親との楽しかった思い出も

辛く悲しい記憶で無しにしてしまいたくなかったからなのです

ただこの感覚は、ASDの感覚の世界のことで、なかなか理解されないものかもしれません。それでも、ASDだとこういう寂しい感情を抱いてしまうということは、わたしが伝えることで一人の人にでも理解していただければと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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