ASD 独自の”発達スタイル”に関係する”納得すること”の重要性

発達障害

ASDにある”独自の発達スタイル”に関係する”納得すること”の重要性とは

一般論も平均値も参考にならない

わたしが長男を出産し、初めての育児に取り組み始めた頃というのは、わたし自身のことも、そしてもちろん息子のこともASDだとは知りませんでした。そういった状況の中で育児をするにあたって、頼りにしていたものの一つに、書店で売られていた”これが一番人気です”というような一般的な育児本でした。

ところが息子が成長するにつれ、育児本に書かれているような成長段階とは、少しづつ違いを見せていました

泣いている時は、お腹がすいているかオムツが気持ち悪いか眠いか、そのうちのどれかを試せば泣き止む、と書かれていましたが、その全部をやってみても息子は泣き止みません。それどころか、寝ている時以外はほとんど泣きっぱなしで、わたしは息子が寝ている時以外はずっと、立ったまま抱っこをした状態で過ごしていました。

2~3歳になると、ずっと泣き止まなかっただけのものが癇癪となり、そしてその頃からはこだわりも強く出始めました。その頃まで、それこそ何冊もの育児本を読んできましたが、ある日を境に

一般的な育児本は一切、読まなくなりました

一般論はわたしの息子にはあてはまらない、平均的な成長もあてはまらない、全く参考にならない本を読む度に湧いてくる、息子に対してネガティブな”どうして?”を持ちたくなかったのです。

一般的な育児本を捨ててから

長男がASDと診断されたのは4歳になった頃でしたが、3歳くらいからわたしが参考にし始めた本は

アスペルガーの息子さんを育てている方が書かれた育児本でした(当時はASDではなく、アスペルガー症候群と呼ぶのが主流でした)

読めば読むほど息子にあてはまる、そして同じくわたしにもあてはまる部分が多すぎるほどあり、一般的な育児本を読むよりもはるかに多くの学びがありました。

納得しないと出来なかったこと

息子に対してのASDの学びを進めていく中で、わたしの子どもの頃のこともよく思い返していました。その頃にふと思い出したのが、わたしが中学生になるまで、挨拶をあまりしていなかった、出来なかった、ということでした。といっても小学生の頃に、全くしていなかったわけではありませんが、どちらかというと、「挨拶は?」と言われてから、したりしなかったり、という感じでした。

どうして挨拶をしなくてはいけないのかと、挨拶が大切だということに理解も納得もできていなかったのです

そのことを思い出した時にはっとしました。その頃の息子は誰と会っても挨拶が先に出ることはありませんでした。相手が挨拶をしてくれても、自分の挨拶は全く気にかけていない様子で、挨拶をすることなく勝手に話し始めていました。

挨拶の必要性を、その時の環境や人間関係から自然と身につける、ということがわたしも、そして息子も出来なかったのです

わたしが中学生になってから挨拶を自らするようになったのは

しておかないとめんどくさいことになるらしい…

という理由からです。小さい頃から何度も「挨拶しなさい。」と言われ続けたその経験から、というだけのもので、挨拶というのは人と人との関係性を円滑にする為の礼儀の一つであり、大切な言葉だという理解も納得も出来ていませんでした。

わたしが挨拶を言えるようになったのは思春期の頃、そして挨拶の必要性を理解したのはもっと後になってからでした。そうやってひとつづつ、わたしの子どもの頃の記憶と息子を照らし合わせていくことで

納得いく理由が持てればいつかできるだろう、それが他の子よりかは遅くても、それが息子にしかないペースなんだから、その時を待ったらいい

そう思いました。もちろん、息子のことをほおっておくとかという意味ではなく、教科書通りにいかなくても、そんなものは当然だと受け入れたということなのです。

発達が遅いんじゃない、自分だけの発達スタイルを持っているだけ

ASDは”物事に対する納得”これが物事を理解する時の重要なポイントだと思っています。それは小さい頃からずっと持ち続けているもので、様々な事を理解しながら成長していく上で、ASDにとってとても必要なものだと思っています。

では、自分が納得できるまで全く行動出来ないのかと言えば、そうでもありません。わたしの中学生の頃のように、納得も理解もしていないけど、周囲に合わせてやり過ごす、ということもあります。

ただ、納得することなくやり過ごしているだけの状態というのは、ASDにとってかなりのストレスを感じることでもあります。というのも、わたしは挨拶が上手くできなかった子どもの頃に

「挨拶は?!ほら挨拶!。」

そうやって大人から何度も言われ続けては、凄く嫌な気分になっていました。もちろん子どもの頃、小学生くらいでは他の子たちも挨拶に関して、わたしと同じ様に深く理解していなかったと思います。それでも、理解なんかなくても挨拶の一言くらいは、そこに何の壁もなく、特に何も考えなくても、そういうものだという認識だけで出来たりします。

では当時のわたしはどうかといえば、たった一言だけのものと思っていても言えなかったのは、そのことを”言いたいか言いたくないか”という

自分自身の納得の部分が大部分を占めていて、その時の気持ちやこだわりの方を優先してしまうのからなです

このことから考えてみても、大人達から見たら、ろくに挨拶も出来ない、他の子たちと比べ成長が遅い子だと感じられると思います。わたしはASDに関しては実はそうではなく、一般的なところの発達スタイルとは違う、ASD独自の発達スタイルがあるだけだと思っています。

そのASDにある発達スタイルで成長していく上で、無理矢理教え込まれて、押さえつけられるように得た情報からは、本当の意味での成長は見られないと思っています。ASDが成長する時、それは

ある日突然、自分の中で納得できる何かが生まれた時、その時にスッと次の段階に行く

そういうものかもしれないと思っています。このことからも、成長のタイミングはその子だけが持っていると言えると思っています。

ちなみに息子に関しては6歳になった頃、突然、自ら挨拶をするようになりました。今思えばその時、息子自身が納得できているのかどうかはわかりませんが、挨拶に対する納得の壁をほんの少し超えれた成長のタイミングだったんだと思います。

もちろんこのことは、大人になってからもそうです。ASDの理解の仕方やタイミングが独特なのは、その時に納得しているかしていないかが大きく関わっていることも、理由の一つだと思っています。

向けるべき視点の矢印は周囲の人ではない

大人になってからASDと診断されたり、ASD傾向があると自覚した人の中には、子どもの頃から周りと比べられたり、ASDの子を持つ親であれば、不安を煽るような事を言われ続けてきたり、その度に自信を無くしてしまったり、答えを見つけ出そうと必死になり過ぎてしまったり、こういった経験をしてきた方は少なくないと思います。

わたし自身、この両方を経験してきた中で、いつも思うことがあります。それは

  • 向けるべき視点の矢印は周りの人ではなく自分自身に
  • 向けるべき視点の矢印は周りの子ども達ではなく目の前にいる自分の子に

というものです。周囲の人や平均、標準というものと比較することが必要な時もあると思いますが、その根底には

ASDには独自の発達スタイルがあり、一つづつ納得したタイミングで成長していくもの

という理解を持っていることが大切だと思っています。

複雑な社会の中で気持ちがぐらつき、自分自身の事が、または自分の子のことが見えなくなってしまった時にはどうか、自分には、この子には、世界でたった一人だけのスタイルを持ちながら生きている、ということを思い出して欲しいと思っています。

最後に

自分の子がもしかしたらASDかもしれないと思った時

  • ASDだと診断されるのが怖い…
  • そんな現実は信じたくない…

そういう風に考えてしまう親御さんもいると思います。確かに、突出した才能や能力を発揮し、そのことで社会に貢献していけるASDは、自身の生きやすさに直結した人生を送れるかもしれません。ただ、その他のASDはといえば、定型発達の方が大多数を占める社会の中で生きていくのが現実だと思っています。

わたし自身も、才能や能力を活かせないまま定型発達の人たちの中で生きてきたASDの一人です。2次障害を発症し、かなり苦しい時期も経験してきました。それでも何とか人に恵まれ、今では家族を持ち、昔ほどの強いストレスを持たずに生きています。

ただ、子どもの頃にASDだと親に理解があり、療育や、自分に合った環境がどういうものなのかについて考えることをしていれば、無駄に苦しむ時期はなかったのではないかとも感じています

わたしは自分自身の経験から、ASDかもしれないと思った時点で、少しでも早く診断を受け、自分の子が一人で生きていけるようになるその日まで、親はその子にあった環境づくりに励んでほしいと思っています。

親の為の人生ではなく、その子の人生の為にです

エゴからくる余計な感情、世間の常識、そんなものはとりあえず置いておいて、ASDのその子にしかない生き方とはどういうものなのかということにフォーカスしながら、共に生きていって欲しいと思っています。

そういった意識の転換で、ASDの子と生きていく時間というものが、あり得ないほどの感動と喜びを味わえるものだと気づける日が来ると思っているからです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

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