ASDにある”強いこだわり”が周囲からの働きかけで外れる時とは
どんな小さなことにでも自分だけのこだわりがある
ASDと言えば、ご存知の方も多いかもしれませんが、とにかく
どんな小さなことに対しても、自分だけの強いこだわりを持っています
例えばわたしで言うと
- 同じような形のフォークでも、自分が使うものはこれだと決まっている
- 朝ご飯は常に同じ内容と決まっている上に、食べ方・食べる順番も毎回必ず同じ
- 家の中で使うタオルは、全部場所によってどのタオルを使うかが決まっている
このように、自分の趣味にこだわるとか、そういう次元のものではなく
ASDにある強いこだわりというのは、ぱっと見ではわからないようなものであり、しかも日常生活の中に、当たり前に入り込んでいるものなのです
しかもそのこだわり自体、かなり強いものであって、融通が効かないものも恐ろしくたくさんあります。実はそのこだわりというのは、ASDにとっては生まれてからずっと当たり前にあるもので、そのこと自体が”普通の日常”であるが故に、こだわりに対して説明を求められてても
「これはこういうものなんです…。」
としか言いようがないことも多くあります。逆にその時、ASDが思っていることといえば
(どうしてここがどうでもいいのかが理解できない…)
そう思ってしまう程、こだわりの世界が当たり前なのです。
”強いこだわり”をなかなか外せない理由とは
ASDのこだわりに対する態度というのは、ASD以外の人から見れば
- 頑固で融通が効かない人
- 新しいことを受け入れようとしない人
そう思われることもあると思います。ただ、周囲から見ればどうでもいいようなこだわりだったとしても、そのこと自体、なかなか簡単には外せない事には理由があるのです。そこにはASDの特性が大きく関係しています。その特性として挙げられるのが
◇変化のない安定したルーティンが好き
◇新しいことに挑戦するときの、一歩目のハードルが高すぎる
◇自分で決めたルールにはとにかく真面目に従い、守る
こういった特性が、常にASDのこだわりと一緒にあるからなのです。どんな些細なことでも、変化を嫌い、いつもと同じでいられる状態が安心するからこそ、もちろん、こだわりを自ら変えようとはなかなか思わないし、「そこは別にこだわらなくてもいいんじゃない?」くらいの一言では、変えようとは思えないのです。
ASDにある”強いこだわり”が周囲からの働きかけで外れる時とは
これまでにお伝えした内容からですと、ASDにある小さくても”強いこだわり”というのは、どう足掻いても取れないものなのか、と思われるかもしれません。ただ、ASD自身が自らこだわりを外す時、ということも実際はあるのです。しかも
ASDにあるこだわりを周囲からの働きかけによって外す
ということも出来るのです。その方法というのは
ASDのある一つのこだわりに対して、そこにはどのようなメリット・デメリットがあるのかという情報をしっかりと伝え、そして最終的な決断は本人に決めてもらう
という方法です。
実際にわたしが経験したことで、もう少しわかりやすくお伝えしたいと思います。
わたしが普段使っている車には、スマホホルダーが取り付けてあります。ただ、もう随分使っていたので壊れてきいました。それを見たわたしのパートナーが、新しいものを買ってくれたのですが、その新しいスマホホルダーを取り付ける場所をどうするか、という時のことです。
わたしは当たり前のように、今までと同じ場所に取り付けるものだと思っていました。その時に、パートナーに言われたのは
「この場所、使いにくくない?こっちの方がいいんじゃない?。」
そう言われたのです。もちろん、それだけの提案ではわたしは首を縦には降りません。逆に、「今まで通りでいい。」そう返事をしました。
すでにその場所自体が、わたしのこだわりになっていたからなのです
パートナーはわたしの返事を聞きながらも更に、伝えてくれた事と言うのは
「今までの場所だったら慣れてるかもしれないけど、ギアの横にあるから、ギアを変えるたびに当って使いにくくなかった?上の方に付けたら、見る視線が変わって最初は違和感があるかもしれないけど、当たって動いちゃうこともないし、使いやすいと思うよ。どうする?。」
このように、わたしの強いこだわりに対して働きかけるポイントを、しっかりと抑えてくれてます。
いつも通りと変えた時、この両方のメリット・デメリットをわかりやすく伝えてくれた上に、決断はわたしに任せてくれたのです
それを聞いたわたしは、しばらくじっと考えてこう答えました。
「今まで通りがいいと思ってたのは、こだわりの部分が大きいと思う。確かに、ギアが当たって使いにくかったから、違う場所に取り付けてみる。」
スマホホルダーをどこにつけるか、というたったこれだけの決断でも、わたしからすれば小さくても勇気のいる決断でした。それほど、ASDにあるこだわりというのは強いのです。それでも
一つの物事に対してのメリット・デメリットがしっかり把握でき、そしてわたし自身が決めてもいいと伝えてくれたことは、”強いこだわりを外す”ということに関して、大きな効果があったと感じました
実際、新しい場所に取り付けてみた結果、慣れることにもそれほど時間はかからなかった上に、とても使いやすくなりました。
ただ、この方法で毎回必ずASDのこだわりが外せる、という訳ではありません。というのも、大事なのは、メリット・デメリットを伝えた上でも
どちらにしても自分自身が決めることで納得が生まれ、そして、こだわったままの決断をするとどうなるのか、というところで結果的にはASD自身の経験として残り、学べることはあると思っているからです。それに、その時にこだわりが外せなくても、本人がある程度満足したり、または飽きたりすると、いつの間にか外せてしまうことも、実はあるのです。
ASDにある”強いこだわり”というものとは
ASDにある”強いこだわり’というものは
ASDからすればごく普通の日常です
このことからも、少数派に通用するコミュニュケーションの方法を取ることで、頑固で融通が効かない人だとか、新しいことを取り入れられない人だ、というイメージは違ったものになっていくのではないかと思っています。
それに、ASDにある”強いこだわり”は、無理に外さない方がいい時もあります。他の人にはない”強いこだわり”があるからこそ
- 個性的な素晴らしい作品を作り上げたり
- 一つのことに関しての情報量や知識がとてつもなく深くなったり
- 自分がこれだと思う道を貫き通せたり
このように”強いこだわり”があるからこそ、成し得ることがあるからなのです。
日常的にある些細な”強いこだわり”に対しては、メリット・デメリットの情報と本人の最終判断で対応し、そうでないASDらしい生き方への”強いこだわり”の部分に関しては、そのまま持ち続ける、ということを受け入れていくことで、ASDにとっても、関係している人にとっても、居心地のいい環境になっていくのではないかと思っています。
最後に
わたしはたまに、ふと思うことがあります。それというのは
もしASDが少数派ではなく、多数派だったら
ということです。わたしは子供の頃からずっと、わたしの中にある”当たり前”は、どうもみんなの中では当たり前ではないらしい、という感覚がありました。それは日常的にある強いこだわりもそう、感覚過敏も、理解の仕方も、コミュニュケーションの取り方も。
そのことが他の人たちもみんな自分と同じだったら、どんな感覚なんだろう…
そう思うことがあります。もしかしたら、もう少し生きやすかったのかもと、思ったりもします。ただ、今のわたしが多数派の人たちの生き方を経験したとしたら、少数派の人たちに寄り添う努力はしたいと思いました。
理解することに苦しんだとしても、どうにか解決策はないかと、諦めたくはないとも思います。そうすることで、少数派の人たちの中には救われる人もいる、そのことが分かっているからです。
そうは言っても、現実のわたし自身は少数派なので、少数派なりに多数派の人たちに対しての理解をしていくことが、必要だと思っています。
それでもいつかは、少数派・多数派などどいうもので分けることもなく、一人一人、それぞれに違いがある、という意識で関係性を築けていける社会になっていければと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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