ASDは怒られていても、どうして笑ってしまうのか?
怒られている、または注意を受けているその時。とても笑えるような状況ではないにもかかわらず、面白いことがあれば、その場で平気に笑ってしまうのがASDです。
今回は
- どうしてとても笑えるような状況じゃないにも関わらず、ASDは平気で笑ってしまうのか?
- どういう思考が成り立っているのか?
このことについてです。
ASDの方に、こういう現象を見かけたこと、または経験したことはありませんか?
注意を受けていたにも関わらず、その直後には特に落ち込む様子もなく、すぐに普段通りに過ごしている。
怒られている、または注意をうけている最中にも関わらず、笑えるようなことが目に入ってきたり、聴こえてきたりすると、怒られている人を前にして、平気で笑ってしまう。
どちらにしても結果
理解していない
人の話を真剣に聞いていない
反省している態度とは思えない
相手にこう思われてしまうのは、もちろん仕方のないことですし、ASD自身にしても、残念な結果に終わってしまいます。
ASD傾向のない方なら、怒られている・注意を受けている場面、またはその直後では、とても笑えるような気分ではなくなるし、もちろんその後も、自分の責任を感じ、反省の態度をとれたりするものです。
ではその時のASDの思考はどうなっているのか?
どうしてい相手に失礼だと感じさせるよな態度を、平気で取れてしまうのか?
ここで、今回の内容に結びつくASDの特性ともいえるものを挙げてみます。
ASDには
その時の状況と自分自身の思考が結びつかない
その時の相手への配慮、状況の関連付けというものが必要だという認識がない
ということは、どんな時でも、どんな状況に置かれていたとしても、わかりやすく言うと
それはそれ、これはこれ
これがASDの思考のパターンだとも言える部分なのです。
怒られた・注意を受けた直後に、こういう時は敢えて反省した態度で過ごそう…そういった状況を見ての判断を、そもそも必要だとは思っていないのです。そしてもう一つの
どうして相手に失礼だと感じさせるよな態度を、平気で取れてしまうのか?
このことに関して言えることとすればASDは
相手に対して、どういう発言が、どういった態度が失礼に値するのかが分かりにくい
こういうことなのです。ということは、決してわざと相手を不愉快にさせる態度をとっている、という訳ではないということも言えます。
ここで実際ASDが、笑えない状況であっても、面白いと思うことが見えたり、こえてきたりした時に、笑ってしまう時というのは、どういうことを思っているか、と言うと
話はちゃんと聞いた
理解もしている
反省もしている
逆にその部分はちゃんとわかっているのに、どうして面白いことに笑っただけで、また怒るの?
こういう感じなのです。関連付けはどんな場面においても、必要とされているその瞬間が分かりにくいのです。
もちろんASDのわたし自身も、こういった失敗も経験もあります。そして同じくASDの息子にも、見られます。
わたしの場合ですと、こういった特性があるとわかってからは、かなり気を付けるようにはなりました。
その上、HSPもあるので逆に、失礼な発言ではなかったか、コメントのお返事にも相手を不愉快にさせるようなことを書いていないか、などとものすごく気になり笑、後で見直したりすることは増えました。
ただ特性は特性なので、決してすぐに上手くいくものでもないし、無くなるものでもありません。それに、こういった部分に日々気を配りながら、若干の緊張感をもって過ごすのは、とても疲れてしまいます。ここからは
あまり疲れない、でも相手に不愉快な思いも、そして自分自身も困らない方法
こちらをご紹介します。実際わたし自身が実践してる方法で、それは慣れれば簡単になっていく方法です。
状況と思考を結びつけた方がいい場面を把握しておき
その上で”少し慎重に行動する”
笑えない状況など、その他の場面で思い浮かぶ、一つ一つの自分だけのの場面を記憶し、その時その時で”少し慎重になる”ということを意識しておくだけで、ゆっくりとではありますが、改善はされていきます。
最後に
ASDに見られるいろんな特性上、今回の内容の様に、相手に対して失礼な態度となって出てしまう、ということは本当によくあります。ただ、その失礼な態度が全て
わざとではない
相手を不愉快にしたいわけでもない
そういう思考であるということも事実なのです。
だからと言ってASD側も、それが特性の部分であっても、難しい部分であったとしても、意識して練習を重ねれば、ゆっくりとではありますが、自分自身のことがよく見え、はっと目の覚めるような瞬間、人と人とのコミュニケーションが、なんだか前より楽しくなってきた…?ということもあります。
ただこういう事も、当事者間では”困りごとにならない”という事は多いです。
そういう事実があるとしても、それが社会に出た時、全ての人がもちろん発達障害ではありません。定型発達の人たちが大多数の中で生きていかないといけない場面が多いと思います。
わたし自身が発達障害について発信しているのは、そういった社会の中で、いろんな人種が多様に混ざり合ったとしても、理解し合い、お互いの良い部分を伸ばし合っていける社会になればと思っているからです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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