ASD 周りは周り、自分は自分

発達障害

周りは周り、自分は自分という感覚

自分だけが目立つことに無頓着

ASDのわたしには、子どもの頃からある感覚というものが

周りは周り、わたしはわたし

常に”周囲と自分を切り離している感覚”というものです。
  • どうして”みんなと一緒に”何かをしないといけないのか
  • どうしてみんなが好きなことが嫌いだとおかしく思われるのか
  • 自分が好きだと思うことをただやっていたいだけ

この世界観があたりまえにあったのです。ただ、そういった行動をとっていると、逆に目立ってしまうこともあったのですが、実は

目立っているという感覚にはASDはとても無頓着なのです

目立っているという意識があまりない
ASDには、自分一人が目立ってしまうということに関して、特に気にしていないし、目立っているという意識もあまり無いことがあります。

ASDのわたしの過去にあった実例

わたしが中学生の頃、当時は髪を染めてはいけない校則だったのですが、髪の色を変えてみたいと思ったのです。特にその時代の不良とよばれる人たちに憧れたわけでもなく、単純な強い好奇心から、髪の色を変えたのですが、それが実際、外国人の方のようなブロンズのような、金髪に近かったのです。

それでもわたし自身は、そのこと自体が目立っているとは思っていませんでした

先生に注意されても、注意されるほどのものでもないと、本当に思っていたので、元に戻すこともしないでいました。

ただ、ある時、その髪の色のままでクラスの全体写真を撮ったんです。実際その写真が出来上がって、わたしがわたし自身を見た時に、正直、驚きました。一人だけ金髪だったわたしに、全くそれまで気づいていなかったんです。

無頓着の度を越していました

そしてやっとその後に、髪の色を染め直した記憶があります。

好奇心や興味が先立つ

ASDには、世の中の”良い悪い”や”常識内での判断”というものよりも

”好奇心や興味”の方が先だってしまう

ということがあります。この事実は実際、危険な時もあります。

わたしの場合でも、校則よりも自分の興味や関心の気持ちの方が強くなり、状況判断が出来なくなり、校則違反が対して気にならない、こういう方向へと発展してしまうということもあります。

その他にも実際、ASDの男の子の例で言いますと、PCの新しソフトを買って、それがおもしろすぎて自分で改造していたら、法律ギリギリの、それこそクラッカーになりかけていた、などということもあったそうです。

どちらにしても”周りが見えなくなる”ということが、度を越しているが故に

  • 目立ってきていることにも気づかない
  • これ以上はやってはいけないということにも気づきにくい

このように、危険な方に働いてしまうことがあるのです。

周りを気にしないことが良い方に向かうことも

ASDの中でも特に孤立型

ASDにある”周りは周り、自分は自分”という特性はもちろん、良い方に向かうこともあります。それがASDの中でも、どのタイプに言えるのか、についてです。

ASDには大きく分けて4つのタイプがあります。

  • 周囲への関心が薄く、人と関わろうとしない「孤立型」
  • 人との距離感が掴みにくい「積極奇異型」
  • 受け身で流されやすい「受動型」
  • 強圧的な態度で自分の主張を伝える「尊大型」

この4つのタイプの中でも、特に周りを気にせず、一つのことに没頭したことが仕事に繋がれば、成功していける確率が高いのは”孤立型”が多いと言われています。

もちろんASDは、自分の得意を活かすことができ、自分に合った環境にいられれば、どのようなタイプのASDでも、活躍していける可能性は持っています。ただ、今回の内容のように

他のタイプよりも断然、全く周囲を気にせず、自分の好きな分野に集中できる

このことに関しては、孤立型がそうだと言えます。というのは、孤立型は利益や評価さえも気にならないほど、好きなことや得意なことに関しては、集中できるからなのです。

ただ、先ほどにもお伝えしたように、周りが見えなくなるというところでは”騙されやすい”ということも出てきます。この部分に関しては受動型もそうですが、”騙されやすい”ということに関してだけは、気を付けたいポイントだと言えると思います。

このことからも、ASDにとって、自分がどういったタイプで、どういう部分に気をつけ、どういう得意があるのか、このことを知っておくのは大切だと思っています。

最後に

わたしの子どもの頃からは考えられなかったほど、今は発達障害に関しての情報と、関心を持つ人が増えてきているのを感じます。最近では有名な方も、ASDやADHDについて取り上げてくださってるのを見ると、本当に何か今までになかった感情が沸き上がってくるのを感じます。

  • その沸き上がってくる感情とは何なのか
  • どうして不思議と安堵感を感じるのか

そう自分に問うてみると、答えはすぐに見つかりました。その答えというのは

やっと受け入れられる、認知される時代が来た

そう感じられたからです。それは決して承認欲求的なものではなく、ASDやADHDは必要な人種なんだと訴え続けてきたことが、少しづつ理解されてきたことへの素直に感じる嬉しさ、そういうものです。

ASDは基本、人の感情や心の中で思っていることを深く察する、という能力があります。その能力があるからこそ、いろいろと感じすぎるが故に、批判的・否定的・バカにされる、こういう事にもとても敏感です。ということは、そういったことを感じ取るのが多ければ多いほど、傷つきたくない・見たくない、と思う感情が強くなり、自分自身に蓋をしてしまうのです。

ASDが自分自身に蓋をしてしまい、自分以外のところで偽って生きるのは、勿体ないの一言に尽きるのです

わたしはASDの方もADHDの方も好きなので、自分に誠実であることを心に留めながら、小さなことでもASD当事者のわたしが伝えられることを発信していきたいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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