ASDの感覚過敏は自ら悪化させてしまう時がある
感覚過敏は理解されにくい
ASDには、多くの方に感覚過敏があり、そのことで悩まされます。もちろん、わたしにも子どもの頃からずっと感覚過敏があり、辛く大変な思いを経験してきました。
感覚過敏は理解や知識がなければ、間違った意識でとらえられることもあります。例えばわたしの子どもの頃に実際、親から言われ続けてきたのは
- 慣れれば大丈夫
- 思ってるほど怖くないよ
大体がこういう理解のされ方で対応されてきました。というのも、発達障害にある感覚過敏は
定型発達の方の嫌だと感じる感覚とは全く別のところにあるのです
特にわたし自身が、周囲の人たちに対して理解に苦しんだのは、聴覚過敏からくる”花火の音”でした。子どもの頃のわたしにとっての花火の音は最大の恐怖でしかありませんでした。ですので一度、親にこう聞いたことがありました。
「みんなは花火の音ってどうやって聞こえてるの?怖くないの?。」
その時の親からの返事が
「全然怖くないよ、怖いどころか花火っていうのは、あの大きな音を聞くのが一つの楽しみでしょ。あの音が体に響くのが気持ちいいんだよ。」
この時点で、わたしとは全く世界が違う感覚のところにいて、きっとわかってもらえないだろうな…そう思ったのを覚えています。
聴覚過敏だと知ったのは大人になってから
感覚過敏を知らなかった子どもの頃と自覚してからの違い
わたしがASDと診断され、感覚過敏を自覚したのは40歳の時です。その頃、わたしは自分自身にあった過去の記憶を辿り
(あの音が怖かったのも、あの匂いが嫌だったのも、感覚過敏だったんだ…)
そうやってたくさんの症状と照らし合わせては落とし込み、自分のことを理解して受けいれていく、ということをしていきました。
このこと自体は、それまで意味も分からず苦しめられてきた、そして周囲の理解も得れてこれなかったわたしの救いになった、ということは確かにありました。ただもう一つ、感覚過敏だと自覚したことで、子どもの頃とは違うわたしが無意識的に生まれてしまいました。それというのが
意識的に感覚過敏だと感じることを自ら拾いにいってしまう
というところでした。それというのは
- 聴覚過敏だから、あのサイレンの音は大きく聴こえてしまうんだ…
- 嗅覚過敏だから、この香水の臭いを異常に嫌だと感じてしまうんだ…
このように
ひとつひとつの”嫌だと感じる物事”に対して常に感覚過敏をあてはめて考えてしまうようになっていたのです
感覚過敏を自ら悪化させてしまう行動とは
わたしの住む地域には、お昼12時と夕方5時半には必ず、町内に設置された拡声器から時間を知らせるチャイムのような音が流れます。もちろん、わたしが子どもの頃にも、住んでいる場所は違っても、そのような町内放送はありました。
わたしはその町内放送の音が子どもの頃から”なんとなくちょっとうるさいな…”くらいに気にはなっていたものの、もの凄く不愉快とまでは感じていませんでした。ただ、感覚過敏を自覚しだした頃に
この町内放送の音も前から気になったり、大きく聴こえるのは聴覚過敏なんだろうな
ふとそう思ったのです。今思えばその日から、それこそ無意識的に町内放送の音に意識を向け始め、その音を自ら拾いにいくようになったのです。その結果、日が経つにつれ
なんとなくちょっと気になる…程度の町内放送の音がいつの間にか苦痛に感じ、毎日のようにストレスを抱えるまでになっていたのです
ちょうどその頃に、感覚過敏について学んでいた中で
その原因について、遮断が原因ではないとすれば何なのか、ということで自分のそれまでを振り返ってみたのです。そこで、出た結論はこれでした。
感覚過敏だと意識しすぎて、苦手な音に自らフォーカスし過ぎている
遮断ではなく、逆に意識を向けすぎていたのです。感覚過敏を悪化させるような行動を自らとっていたというものでした。
感覚過敏を意識することで起こるメリット・デメリット
感覚過敏とは上手く付き合っていく
わたしは子どもの頃から悩まされてきた、わたしの周りの人には無かった感覚的な苦痛に対して、そこには感覚過敏だという理由があった、ということで救われました。そして、理由がわからなかった様々な苦痛に対して、感覚過敏からだという視点で対応していけるようにもなりました。
もちろん全ての感覚過敏に対して対応しきれるという訳ではありませんが
間違った無駄な努力をするのではなく、感覚過敏を視野に入れた対策をとる、という方に意識を向けることが出来た
この事実は、わたしにとって感覚過敏を意識することでの大きなメリットでした。では、感覚過敏を意識することで起こるデメリットはというと、これまでにお伝えしてきたように
本来の自分の感覚よりも、感覚過敏という言葉を先行させ、その頭であらゆる物事を判断してしまい、自らの感覚的なものを悪化させてしまう
というものでした。わたしは、この事実に気づいてから、町内放送が流れるたびに
この音を嫌って思いすぎてる、あまりこのことを考えないようにしよう…
そうやって、音に対して意識を向けすぎないように練習しました。それを続けた結果、いつの間にか町内放送の音は、昔わたしが感じていた”なんとなくちょっと気になる音”くらいに収まりました。
もちろんASDにある感覚過敏は、苦痛だと感じる感覚が無くなるわけでも、変えられるものでもありません。この事実はわたし自身が身をもって実感しています。このことからも、わたしが今回、自らの経験から感じたことは
感覚過敏を重視しすぎることで苦しむ方向に持っていくのではなく、感覚過敏がある自分を受け入れながら上手く付き合っていく方向にもっていく
ということが大切だということです。生きている限り、苦手な感覚を完全に排除するということは不可能です。だからこそ、嫌な感覚に襲われた時でも、普段から出来る範囲でそのこと自体を想定内だと意識しておき、過剰に反応しすぎることなく、その時に取れそうな対策を考える、ということだと思っています。
感覚過敏は辛いものです。そのことを理解しているからこそ、同じ様に感覚過敏で辛い思いをしている方が、これまで以上に苦しまないように、ストレスが増えていかないようにと思っています。
最後に
わたしは、これまでに何度かお伝えしてきましたが、ASDと診断されたのは40歳になってからでした。そしてわたしの2人の息子が発達障害と診断されたのは、長男が4歳の時、そして次男に関しては2歳の頃でした。息子たちが診断を受けてからは
- 普通と言われている子たちとは違いがあること
- 発達障害の特性を持ちながら成長していくということ
この事実をわたし自身が理解し、受け入れながら子どもたちと共に時間を過ごしてきました。このことは、わたし自身の経験からとても重要だと実感しているからこそ
子どもたちの様子に気づいた時点で診断を受け、療育を受け、子どもたちの好きや嫌い、得意や不得意についてたくさん語り合うということを選びました
- 他の子と違っていてもいい
- いろんな事が出来なくても、これだけは得意なんだと堂々と言えたらいい
そういう思いを持ったまま大人になっていくのと、持たずに大人になるとのとでは、大人になってからの無駄な苦しみを持つかどうかに関わってくると思っているからです。
発達障害もそう、そして感覚過敏もそう、その現実と向き合い理解し受け入れる、その上で自分の生きる道を選択し続けていくということが大切だと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
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