ASD 正しさにこだわる人たち

発達障害

正しさを優先することでトラブルを招く?

ASDの人達は、真面目で正義感が強いという一面を持ち合わせています。それはそもそも特性としてあるもので、良い方に働くものでもあります。ただ、このことはトラブルを招く要素も持っていると、私自身を振り返ってみても、そしてASDの息子を見ていてもそう感じることがあります。というのもそれは時として

これが正義だと思う部分に無意識的に強くこだわってしまうことで、自分の中にある正しさを相手に押し付けようとしてしまうことが出てきてしまうからです

それは普段の会話の中でも起こります。授業でもない、会議でもない、何でもない会話を楽しんでいただけなのに、急に相手の言い回しが正しいかどうかに注意が行ってしまい、ムキになる程相手を正そうとする。このように、ふとした瞬間に相手の言葉にとらわれ、それが正解か不正解か白黒はっきりさせないと気が済まない、という状況に陥ってしまうのです。

相手からすれば、どうしてそんな小さなことにこだわっては機嫌が悪くなっているのか、何にイライラしいるのか、そうやって疑問だらけになっては会話をすること自体が嫌になってしまうこともあります。ここまでの状況になったとしても、ASD側は相手の気持ちをないがしろにしていることには気づかなかったりします。というのも、それはASDがただ単に気の短い難しい人なのではなくて、定型発達の人にとっては小さな間違いだとしても、ASDにある“こだわりの強さ”から、その事が小さな間違いだと思えない、絶対に見逃せないものだと無意識的に反応してしまう、という状態に意識を持っていかれるからなのです。

“明白さ”を求めるすぎるが故に“曖昧さ”を見落とす

私にはASDの長男とADHDの次男、二人の息子がいます。息子たちはよく兄弟喧嘩をするのですが、その様子を見ていて原因はその時で様々ですが、よく見受けられるのはやはり長男が次男に対して

これが正解なんだと強い口調で話し始め、次男が「うんわかったよ…。」というまで責め続けてしまう

という状況です。ただ、その会話の内容といえばお互いに好きなアニメの話だったりゲームの話だったりと、怒りを感じさせられる様な要素が全くないものだったりするのです。だとしても、ASDの長男からすれば、会話の中で次男が少しでも間違ったことを言った時、そのたった一言にこだわります。このことはもちろん私自身もそうです。言うなればその瞬間に思考は完全にストップする、と表現した方が分かりやすいかもしれません。

考えているというよりもとらわれている、正しいか正しくないかだけしか見えていない、という状態なのです

これではまるで“揚げ足取り”と言われても仕方がないと思います。だとしても、ASDからすれば揚げ足をとっているというものではないのです。“明白さ”を求めすぎる、その部分にこだわりすぎるが故に、相手が伝えたいことや気持ちといった”曖昧なもの”を完全に見落としてしまうのです。そしてそのこと自体に、自分自身の力で気づくことがとても難しいのです。

気がつけば楽しかった会話が険悪なものになっている。それでも、正しさを押し通したことが悪いことだとは思えない。それが正義だと疑わない、というよりも疑えない。息子たちがこういった状況になった時、その発言は間違っていないし正しいのかもしれない、でもそのことで相手を追い詰めるほど押し通すことが本当に良かったのか…というところに私は疑問を投げかけ、長男にはよく話をすることがあります。自分自身が同じような事で痛い思いをしてきたからこそ、正しいものは一つだけではないとどこかで思っているからかも知れません。

ASDは自分だけの力だけでは気づくことが難しくても、後になって落ち着いてからもう一度その時の状況を伝えれば、相手の気持ちを汲み取ることはできます。それは、ASDの人達はそもそも共感する力を持っているからです。ただ、そのことを咄嗟にできなくさせてしまっているのが“正しさや結果に強くこだわってしまう”というものなのです。一つだと思っている正解に価値を置き、最優先させてしまうからこそ、相手の気持ちやそれまでのプロセス、相手の身になって考える、という観点が抜け落ちてしまうのです。でも本当は気づきたい、思いやりや優しさを持ちたい、というよりも持っている人達なんだと私は思っています。

正しさにこだわる自分に気づくことで見えてくるもの

ASDが正しさにこだわりすぎると、相手には全くそんな意識がなかったとしても、どこか攻撃されているような、責められているような感じを受けとってしまうこともあります。その事でさらに、相手に対して反撃的な態度を取るというようなことも起こります。このような状況になってしまうと、相手が発言すればするほどASD側のこだわりは強くなり、一面的な自己視点にとらわれている事に気づけません。

後になって、相手はそんなつもりでは言っていなかったと知ったとしても、その時のことをもう一度話し合いたいと思ったとしても上手く伝えられない、言語化できないということで結果的に、自己嫌悪に陥ってしまったりもします。

ただ、後になってからでも自分のことや相手のことを振り返って見れる、というのはとても大切なポイントだと思っています。すごく残念な気持ちになるということも一つの経験であり、逆にチャンスなのかも知れません。というのも、自分には正しさにこだわってしまうという一面があるということ、その事に気づくことでASDである自分の特性を自覚できる第一歩だからです。

そして正しさにこだわる自分に気づけた時には、見えてくるものがあります。それは

「相手が求めているもの」です

相手の表情から、または口調から相手が伝えたかったこと、求めているものは本当は何だったのか。答えや意見、正しいと言われているものなのか、それともただ聞いて欲しいだけだったという思いやりの気持ちだったのか。

私は正しさにこだわるあまりトラブルを招いてしまう前に、長男と一緒にある方法を取り入れ、練習したことがあります。それは私自身がまだASDだと自覚がなかった頃に取っていた方法だったのですが、今思えば当時、自分のことが嫌いで自信もない、そんな自分から少しでも抜け出したいと思い、自分自身と向き合いながら試行錯誤し、導き出した方法だったからこそASDの特性に合っていたのかもしれません。その方法というのは

相手の会話に引っかかったとしても、まずは「うん、そうだね。」と返す。このことを最低でも3回は繰り返す、というものです。

3回というのは、息子にわかりやすく理解してもらうために決めたものですが、私が実践していた時は、しっかりと相手の話が聞けているなと自覚できるまで続けていました。相手の話を聞き、頷く。たったそれだけの事を繰り返すだけで、自分自身の気持ちが少し落ち着きます。このことは白黒思考を弱める事にも繋がっていくのです。その後に、自分の思ったことや考えを相手に伝えたとしても、相手の反発を招くことも不機嫌にさせることもなく、話を聞いてくれることがあるのです。

実はこういった練習を重ねながら

「成功した」という経験を一つでも多く積み重ねることが、ASDにはとても大切なのです

自分で実践し、経験を積み重ねる事でパターン化された引き出しが増えれば、それを他の場面でも使うことができるようになるからです。ASDが「正しさにこだわる」というところがあるのを、私は悪いことだとは思いません。ただ、そのことでASD自身も苦しい、相手も苦しいという状況があるのであれば、自分に合った方法で練習を重ね、少しでも日々のストレスをなくす方向に進んでいって欲しいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

                                                          

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