ASD 休日を上手く休めない

発達障害

ASDは休日を上手く休めない

ASD的思考が邪魔をする

わたしは休日の使い方がとても下手です。現在は子どもたちもいるので、家事・育児はありますが、それ以外に”わたし自身がゆっくりする時間”というものを、いつ設けたかという記憶をたどっても、思い出せないくらい、休日を上手く、ゆっくりと休めないのです。

もちろんそれは、子どもたちや家族が原因ではなく、休めない原因はわたしの基本的な思考パターンの中にある

混乱した状態から秩序を作り出す

という、いかにもASD的な思考で休日を組み立ててしまうからなのです。それというのはどういうものかというと、わたしには常に

平日・休日のルーティンは頭に組み込まれています

ただ、そうやってきっちりと頭の中ではルーティン化していたとしても、予定通りに行く日もあれば、いかない日も出てきます。その外れてしまった予定が、大した予定ではなくても、わたしにとっては

  • パターン化から外れたもの
  • 予定通りに行かなかった不安なもの

として、ずっとわたしのどこかにモヤモヤと残ってしまうのです。

休日をゆっくりすることに罪悪感を感じてしまう

わたしの中で”消化できなかった予定を翌週に持ち込む”ということは、とても難しいことの一つです。ということは、休日よりも多くある平日の中で

パターンから外れてしまったこなせていない予定は、どうしてもその週の中で消化しないといけない

という何ともめんどくさい思考が発生してしまいます。たとえそれが翌週であっても大丈夫なものであったとしてもです。そして、子どもが保育園や学校に行きだしてからは特に、子どもたちのルーティンがしっかり出来上がっているために、わたしの勝手に作られたルーティンも、月曜から日曜までの一週間という枠組みが強化されてしまっていました。ちなみに、ここで考えられるASDの特性としては

  • 完璧主義
  • 強いこだわり
  • ルーティン化を好む
  • 不変なものを掴み取ろうとする

というものです。平日で乱されてしまったルーティンを、混乱してしまった予定を、何とかその週のうちに完結させようとするには

ゆっくりするはずだった休日の時間に、平日に消化できなかった予定を詰め込むという作業をして、無理矢理トータルで、乱れた秩序を取りもどす

それはもう無意識的に、休日をゆっくり休みたいという思いよりも、予定通りの一週間にしたいという、ガチガチに固まったASD思考で暴走してしまうのです。

ここまでになると逆に、消化できなかった予定なんて、まあ何とかなるさ、という思いで休日をゆっくり過ごす、という行動に出る自分に罪悪感を感じてしまい、休むことが出来なくなるのです。

どちらを選ぶのがASDにはストレスにならないのか

どちらを選んでもストレスになる?

ASDのわたしにとって、ルーティン化した日常は一つの安心材料です。だとしたら、平日で乱れてしまった予定を休日で穴埋めするということの方が、ASD的にはストレスにならないのではないかと思われると思います。確かにその発想は、正解だと言えると思います。ただ、問題が発生しないわけではないのです。というのは

そういった日々の決まりごとに過剰になり過ぎてしまい、その状態が一週、二週レベルではなく、数ヶ月にも渡り無意識的に続けてしまうということにも成り兼ねないのです

結果的に、わたしの場合ですと、感覚鈍麻もある為に疲れていることがわからないまま、ルーティン化を優先してしまい、ある日突然、動けなくなる程、体調を壊してしまうということになるのです。ということは、結局ルーティン化を選んでもストレスになる、休日にゆっくりすることを選んでもストレスになる、という結論になってしまいます。

休日を前もって決めてカレンダーに予定を組み込む

自分に合った休日の日数を決める

わたしのこれまでの経験から、パターン化された一日の中に、ゆっくりする時間を組み込む、ということに意識を向けていなければ、休むという時間が上手く作れません。そのことを回避するためには

  • この日は休む日、というパターンを組み込んだカレンダーを作る
  • ゆっくりする日を何日くらい自分に与えれば、ルーティン化を壊されるというストレスにならないか

この2つが大切だったのです。

カレンダーを作るというのは、休む日を決めたならば目で見て確認できるように、月終わりか月初めには、スマホの中でも実際のカレンダーでもいいのですが、そのカレンダーに予定として、この日は休む日と決めて、前もって書き込んでおくということです。というのは

視覚から入る情報は実行しやすい

前もって作成しておかないと、急な予定を受け入れるということは難しい

こういったASDの特性を利用した方法が、比較的スムーズにいくからです。

現在のわたしは、家事・育児はあってたとしても、わたし自身が少しでもゆっくり出来る日というのは、

だいたい月に1~2回です。

その日は、パートナーと一緒に過ごすことが多いのですが、前もって一緒に過ごすという日を決めておきます。そして一緒にいるということで、わたしがルーティンに戻ろうとしても戻れない状況を作るからこそ、わたしは休日を休日として過ごすことが出来るのです。このように

少し強制的に”自らをその環境に置く”というのもお勧めです

そして、月に1~2回と聞けば、少ないと感じられるかもしれませんが、そこはわたしのASD的なバランスがもたらしたもので、平日に消化できなかった予定が、特に大事なものではなくても、溜まっていく方がストレスになってしまうので、ある程度、消化できる週というものがあった方が、ストレスにならないということなのです。

優先順位をつけるのが下手だと自覚しておく

ASDはどのような事に関しても、優先順位をつけるのが下手です、というよりも独特なのです。それが時には

体調不良よりも、人間関係よりも、こだわりや興味、ルーティン化を守り抜きたい、という方を優先してしまいます

これはASDでも有る方・無い方がいますが、特性にある”感覚鈍麻”も相まって、疲労感を感じにくいが為に

休むということをせずに”やるべきこと”だと”思っている”ことに重要性を感じてしまいます

ただ、そういう自分を変えるということは難しいことです。だとしたら先ずは自覚し、そしてその上で上手く休日を取れる有効な手段を何度も実行してみる、ということが大切だと思っています。

最後に

わたしは子どもの頃からずっと、体の弱い子と言われてきました。実際、社会人になってからも突然の体調不良に見舞われ病院に行くと、特にどこも悪いわけではないにも関わらず「虚弱体質ですね。」そう言われたこともありました。ただ、その頃のわたしはいつも

わたしは体調管理がいつまでたっても上手くできない…

そう思っていました。そして

  • どうしてギリギリになるまでわからないのか
  • でもどのタイミングで休めばいいのかがわからない

この2つの思考がいつも、行ったり来たりしてはその状態から抜け出せずにいました。それがASDとわかってからは、体調管理が下手だと思っていたのは、こだわりやルーティン化を優先してしまう、そして疲労していることが、感覚鈍麻から感じにくいからだったのか、という理由を初めて発見したのです。その時は

欠けていたパズルのピースがぴったりとはまったような感覚でした

ASDにある特性は、そこには理由があるということを自ら知り、照らし合わせて理解していかないと、自分だけの想像や考えからでは見つけにくいことも多くあります。実際わたしは、今でも仲良くさせていただいている、もう20年以上の付き合いになる尊敬している10歳年上の、わたしの師匠のような方がいるのですが、その方が、それこそわたしが20代の頃に

「疲れた、って思う10歩手前で休まないとダメよ。」

そう教えてくれたのを、今でも覚えています。その言葉の意味も今は全て理解できます。

ASDで上手く休むことが出来ない人の中には、その方自身ももちろん辛いですし、そして周りにも心配している方はいると思います。その元となることを一つでも改善し、両者にとって安心出来る日々を送れるようにと願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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