”対人関係”が苦手なASDの休日の過ごし方

感覚過敏

”対人関係”が苦手なASDの休日の過ごし方とは

休日に友人を誘ったことが無い

わたしは子どもの頃から友達と呼べる人は少なく、たくさんの人と広く浅く付き合うのも苦手です。それは大人になった今でも変わっていません。遊ぶ時は大体が1対1でした。というのもASDのわたしにとって

  • 雑談が苦手
  • 意味のない集まりは疲れてしまう
  • 一人の時間が必要
  • マイペースで人に合わせるということが出来ない

こういったところがあるからなのです。そしてこの特性を、他の何よりも優先してしまうところがあります。それが顕著に現れていたのは

休日の過ごし方でした

わたしは何の予定もない休日だったとしても、退屈だと思ったことがありません。そして、予定がなければ、そのことを埋めようとして、わたしから友人に声をかけて出かける、ということも記憶を辿ってもほとんどありません。

このことは、そもそもわたしが

  • 対人関係が苦手
  • 一人で好きな時間を過ごすことに十分満足できる

というところがあるからだと思います。

”急なお誘い”はストレスになる

何の予定もない、といっても厳密に言えば、実はその何の予定もない中にはASDなりの過ごし方のパターンはしっかりと組み込まれています。

マイペースに、マイルールに従いながら過ごすことが一番、気持ちが落ち着くのです

ですので人から見れば、そうやって過ごしている日は”暇な日”として見られます。こういった時によく困っていたのが

急なお誘いです

急に誘われても、特にこれといった予定もなければ断る理由も見つかりません。それに誘った相手からしたら

「何も予定ないんだったら丁度よかった!。」

こうなります。丁度よかったのは相手の方であって、ASDのわたしには全く丁度よくはありません。ちなみにこういう事は、大体がわたしと付き合いの浅い人の時に起こります。ただ、わたしと付き合いの長い親友だったりすると、わたしの行動パターンを知っている方が多いので

  • 必ず事前に、予定として合う日や時間を組み込んでくれたり
  • 当日、無理だったら大丈夫だよ

そうやって伝えてくれたりします。というのも実は、わたしの親友もほとんどが、わたしと同じような行動パターンの人が多い、というのもあります。

お互いに気持ちがわかるからこそ、お互いが過ごしやすい方法を自然にとっていた、という感じです

”急なお誘い”を受けたASDはどうなるのか

それでも一般的に見れば、暇な日だから、予定がないから、予定がない者同士で過ごしたいと思う方は多いと思います。そしてそのことをもちろん、楽しめる人たちな訳です。では、急なお誘いを受けた時のわたしはどうかというと

一瞬で心がざわつき動揺してしまいます

何もないなりにも、その中に組み込まれていたパターンの中の、どこをどう変更したらいいのかを必死で考え始めてしまいます。誘いを受けてその時間を無理矢理に組み込んだとしても、そこには必ず小さくてもストレスは発生します。

というよりも、一番初めに思うことは

断りたい…の一点であることがほとんどです

ASDとして休日を過ごすために断ることに慣れていくこと

断る理由は特に言わなくてもいい

ASDのわたしにとって、休日は予定がなければないほど

一人でマイペースに過ごすことが何よりも重要なのです

その時間があるからこそ

  • いろんな感覚過敏で疲れてしまっていたところを休ませることが出来たり
  • 何かに取り組みたいと思っていた時間を作れたり

こうして過ごすことで、その日までに乱れてしまった自分の心身をリセットする、ということをするのです。もちろん、たまには親友ともあったりはしますがそれでも、時間的には2時間程度です。

そういった休日を確保したいと思っていながらも、昔のわたしは断ることがとても下手でした。そこには

  • 断ったら相手をがっかりさせてしまうのではないか
  • 予定もないのに、予定があるとも言えないし断る理由が見つからない

この思いが頭を巡り、結局は無理をした自分を隠しながら出かける、ということもありました。ただ、やはりそうやって過ごした休日は疲れ、わたしにとっては全く休日ではなくなってしまっていました。これではだめだ…と思い、ある時から

普通に断る人になろう

そう思ったのです。そして断るには理由を言わなくてはいけない、そう思いこんでいたわたしでしたが

断ることだけをしたら、別に理由なんて言わなくてもいい

そう頭にインプットさせた上で、断る練習を開始しました。それからは、この日は一人で過ごしたいと思った休日のお誘いには、あっさりと断ることをしました。このことに慣れてくると

この人は休日に誘ってもあまり出てこない人なんだ

このように、わたしという人はそういう人なんだと認識してくれるようになります。そしてわたし自身も、自分の為の休日を過ごすことが出来るのです。

こういう行動は、対人関係が上手く、人と会うのが好きな人からすれば、寂しくないのかと思われることもありますが、その中には理由があるだけなのです。

常に多くの人と接触することで安心感や充実感を持つ人もいれば、常に一人の時間を大切にしながら気心の知れた少ない友人とたまに会うことに安心感と充実感を持つ人もいる

というだけだと思っています。

ASDはマイノリティだからこそ、世の中の普通と言われていることや常識に、無理に自分を合わせ過ぎてしまうところもあると思います。

そのことをやり過ぎて疲れてしまった自分に気づくことがまず第一歩であり、その後は自分にある特性を見つめ直し、人に迷惑をかけるような事でなかったら、自分に合った、自分を守る行動を堂々と取ればいいと思っています。

最後に

ASDのわたしにとって、一歩、外の世界に出るだけで疲れ切る要素は沢山あります。それは感覚過敏であったり、今回の内容のように対人関係の苦手さだったりします。

ただ、その事実をASDと診断されるまでは、わたし自身も理解できていませんでしたし、もちろん周囲に理解を求めることもありませんでした。

ひたすらよくわからない我慢の日々が多かったように思います

そんなわたしにとって、休日こそ一人になりたい一日でした。それでも、仕事以外の付き合いが大切だとか、付き合いもある程度出来るのが社会人だとか、よくわからない常識と言われているものに振り回されてはストレスが蓄積されていっていました。ただそのストレスの原因の一つには

これが常識だと言った人が問題ではなく、わたし自身がわたしのことを理解できていなかった

というのは大きかったと思います。実際、わたし自身がASDと自覚し、理解できるようになってからの方が生きやすくなったのは事実です。

自分を偽らずに生きることの方が断然、生きやすくなるのです

休日に一人で過ごしたいと思ったら、お誘いは断ればいいのです。そこにはASDの特性からくる理由がしっかりあるからなのです。ASDの方は、普段から頑張り過ぎているくらいの人の方が多いです。

その事実に目を向け、理解を持っていただき、お互いにとって無理のない関係性を築いていければと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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