ASD オタク並みに得た知識は実践したくなる

発達障害

ASDはオタク並みに得た知識を実践したくなる

自己満足で終わらずアウトプットしたくなる

ASDは”興味・関心の偏り”という特性から

オタク並みの知識の深さがある

そう言わています。それでも、一般的にオタクと言われている人たちとASDの違いは、わたしは少しあると思っています。それはわたし自身の経験からも言えることがあるのです。

ASDはとにかく興味を抱いたことには、自分自身が納得するまで、限りになく掘り下げていくことをします。そこまではオタクと言われている人たちと、特に何も違いはありません。違いがあるとしたら

掘り下げた知識を得たその後なのです

オタクと呼ばれている人たちは、得た知識を自己満足の世界で楽しむことをしたり、同じ興味を持った人たちと知識を共有し合い、そのお互いの情報を楽しむことをします。ではASDはどう違うのかというと

  • 掘り下げた知識は、実践しないと意味がないという思考になる
  • 掘り下げた知識を、他の誰かに一方的に話たくなる

このように

完全にアウトプットして、その知識が活かされて初めて意味がある

そう考えるのです。

得た知識をどうしてそこまで実践したくなるのか

こだわりの強さを優先していた社会人の頃

わたしは長い間、パティシエのお仕事をしていました。その頃に、一貫して続けていたある行動というものがあります。それというのが

新メニューを考案した次の日には、どんなに忙しくても必ず試作をする

というものです。実はわたしはパティシエを13年ほど続けていましたが、今思うと、決してケーキを作ることも、職場でのチームワークも好きではありませんでした。ただ

いろんなお菓子について調べたり、盛り付けのデザインを考えたりすることは好きでした

新メニューについて考え出すと、当時はインターネットも今のように使いこなせていない頃でしたので、それこそ休み返上で書店巡りをし、洋菓子の分厚い専門書を買い、そのまま過集中モードに入り、朝方まで調べていたことはよくありました。この辺までは、普通にオタクなわたしです。ただ、その後です。

掘り下げた知識を得た次の日は、そのこだわりの固まりのような案を必ず試作しようとするのです=得た知識を実践するのです

そうなってしまうと、試作(実践)出来るまでそのことで頭がいっぱいで、その日のわたしの通常業務は、試作をする時間を作るためにはどうしたらいいか、ということだけを考えています。仕事の為というよりも、わたし自身がしたいから、というものだったと思います。そしてそれが出来ないとわかると、それだけでストレスになっていました。

それ程までにどうして、そこまで実践することにこだわるのかというと

  • そこからまた何か得れるものはないかと、研究を深めることをしたい
  • ”自分が得た知識”とそこに生まれた”こだわり”に振り回されてしまう
  • ”こだわり”の部分を何よりも優先してしまう

こういった思考に陥るからなのです。こういうところも、オタクの人とASDの違いだと思います。もちろんオタクと言われている人の中にも、実践やこだわりを優先してしまう方もいるかもしれませんが、そういう方はもしかしたらASD傾向の可能性があるのかもしれないと思っています。

わたしが尊敬していたシェフは最悪で最高に凄い人だった

同じ要素を持っていた?

ここで少しわたしが過去に出会った、わたしと同じような要素を持った方の話をしたいと思います。

わたしが29歳の頃、偶然にも当時の職場にシェフとして入ってきた方がいて、そのシェフに付いて、一緒にお仕事をさせていただいたことがありました。そのシェフはものすごく短気で切れやすく、切れると手の付けられないような大変な人でした。朝は必ず淹れたてのコーヒーを出さないと、明らかに顔が曇ったりもしていました。ただ、お菓子に関してはあり得ないほどの知識と技術を持った人でした。そしてそのこだわりも凄く

  • レシピは0.1gまで計る
  • その日の気候に合わせて作り方を変える
  • 状態が少しでも悪ければ全部捨てられる

このように、こだわりの固まりのようなお菓子作りをする人でした。当時のシェフは気難しく、人間関係も正直、わたしから見ても上手くできる人ではありませんでしたが、わたしはそのシェフのこだわりと探求心にはとても興味を持っていまいした。ただ今思えば

  • 作るのはあまり好きではなく、研究して試作することばかりをしていた

こういった、得た知識を活かしたい、その為にすぐ実践したくなるという、わたしと似たようなASD的要素もあったようにも思います。そのシェフの時はいろいろと大変だったんですが、本当のところは情に厚い、やさしい人だったと思います。

掘り下げた知識=実践あるのみ的思考

ASDは知識を掘り下げたり、そのことについての探求心は凄いものだと思っています。ただ、気が付けばその探求心から強いこだわりとなり、周りが見えなくなってしまう、ということもあります。というのもASDは常に

掘り下げた知識=実践あるのみ思考

ということだからなのです。その部分を自覚していれば

実践したくなるのが自分なんだ

時として実践できない状況もある

こういったことを事前にインプットしておくことが出来ます。そうすれば、無意識的に発生してしまうストレスを回避できるということもあると思います。

ASDにとって、またはASD傾向がある人にとって、ストレスが発生した時は

その時の自分についての理由を考えることが大切だと思っています

その理由さえわかれば、自分の特性を押さえつけることなく、自分を見失うことなく、納得できる方向へと持っていくことが出来るからです。

最後に

わたしはASDと診断をもらうまで、ずっと長い間

よくわからなストレスの中にいました

今回の内容にもある、得た知識をそれだけで満足できず、すぐに実践できないというだけでストレスを抱えていまうというのもそうです。

「まあ今日は忙しかったから、試作は出来る時でいいか。」

そう思えたらどんなに楽だろう…そう思う時もありました。実際、そういう事がいろんな場面で多過ぎて、自分を苦しめていたということはあったと思います。

ASDのわたしとして、これまで普通と言われている人たちの中で、一般的な社会という中で生きてきて、周りの人がどうとかというよりも

どうしたら今、この情けなく弱いわたしにわたし自身が勝てるのか

そういう思いが強かったと思います。この思いの連続だったと思います。人のせいにするのは簡単です。でもそれは自分自身からの逃げだということも、どこかでわかっていました。ただ、それでも弱り切ってしまう時もあります。不思議とそういう時には必ず

親友や同僚、先輩といった”人”に助けられ、支えられてきました

そのことからもASDというところがありながらでも、人に支えられ恵まれ、そうやってなんとか生きていくことが出来るんだと思います。ASDだからといっていろんな可能性がなくなるわけではありません。逆にASDだからこそ与えられるものはあると、わたしは思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

 

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