ASDは勝ち負けにこだわる
ASDの息子の行動から思い出したこと
ASDのわたしの子どもの頃にも、そして同じくASDの息子にもあるのが
勝ち負けにこだわる
というところです。この特性をふと思い出したのが、息子が通う放課後等デイサービスでの出来事からでした。
息子が通う放デイ(以後、放課後等デイサービスのことを”放デイ”と表現します)ではスタッフの方と、リトムという児童発達支援向け日誌のやり取りをしています。その日誌には、息子の放デイでの様子や、わたしからの連絡などを書くのですが、ある日のリトムに
”来所後、カードゲームに取り組んでいましたが、「いつも最初でやられる!」と、途中でやめてしまいました。駆け引きのゲームは楽しい反面、連続になると不満になるようです”
そう書かれていました。その瞬間、わたし自身の子どもの頃の記憶とリンクし
勝ち負けにこだわっているんだ…
そう理解してのです。それからすぐに、ASDが勝ち負けにこだわるということに対して、きちんと深く知りたいと思ったので、いろいろと調べてみたところ、やはりASDには”勝ち負けにこだわる子どもたちが多く見られる”ということがわかりました。
入り口は勝負を楽しむものであっても変化してしまう
ASDは何か勝負をする時、それが例えばカードゲームであったりする場合でも、最初から
「よし!絶対勝ってやるぞっ!。」
というような、必死な思いがあるわけではなのです。
最初の入り口は、ゲームも、そして勝負も楽しむものだという思いなのです
それがゲームの時間が長ければ長いほど、そして何度もゲームを繰り返す中で、実は変化していきます。
それがどういう風に変化していくかと言うと
- 絶対勝ちたい
- 勝てないとこんなのおもしろくない
- (相手に対して)自分だけ勝ってずるい
こういった感情に変化していき、自分自身が支配されてしまいます。その結果、ひどければ癇癪を起したりして、その場の雰囲気も、ゲームを一緒に楽しんでいた相手も、そして自分自身も、楽しくなかった時間として終わってしまうこともあります。
息子より酷かったわたしの子ども時代
勝ち負けにこだわり過ぎて相手を困らせる
息子のリトムを読みながら、わたしの子ども時代のことが映画の様に蘇ってきました。(ちなみに長期記憶が鮮明に残りやすいというのも、ASDの特性です。)その内容というのは
5つ年上の姉とカードゲームをしていた時
その時のわたし自身の様子でした。確か姉が小学6年生、そしてわたしが小学1年生の頃です。もちろん5つも年が上なので、普通に勝負をしても負けるのは当然でした。それに当時の姉は、わたしに対して本気で勝負をしてくるために、結果はほぼいつも惨敗だったのです。ただ、わたしも最初の1~2回は
「あぁ…また負けた(笑)。」
くらいなのですが、3回目以上くらいになってくると
「もう何回やっても負けるから、止める。」
とは思いませんでした。逆にこう思い始めます。
絶対に勝つまで止めない…
もちろんASDではなくても、勝ち負けにこだわる子どもたちはいます。ただ、そのこだわりさ加減が、ASDに関しては強すぎるのです。
ですので、ASDが勝ち負けにこだわり始めると、ゲームを楽しむという気持ちは、どこか遠くに行ってしまいます。その結果
- 負けるたびに泣きじゃくり癇癪を起し
- その状態であってもまだ勝負を挑み
姉が”もう疲れた…”というまで意地でもやめさせませんでした。
当時はその様子を見かねた親が、姉にわざと負けてやるように促し、姉が手を抜いてわざと負けることをしてくれたりということもありました。ただそうやって、わたしは姉がわざと負けてくれたとわかっていても
勝てたことをものすごく喜ぶのです
手を抜いたその事実を知っていても、”勝てた”ということにこだわっているだけなので、心から喜ぶのです。ただ、これからお伝えすることは、わたしだけではない他のASDの方にも言えることなのですが、勝ち負けには非常に強くこだわったとしても
自分の方からズルをして勝とうとは思わないのです
そこには、ASDにある
正義感が異常に強い
という特性があるからなのです。負けるのはめちゃくちゃ悔しくても、自分がズルをするのは、自分の正義感から、絶対に許せないのです。
ASDは勝ち負けにこだわっていることに自分では気づきにくい
自然に身に付くということが難しい
定型発達の子どもたちやASDではない子どもたちが、日常の中にある経験を通して自ら学んで身につけていくことが、ASDにとっては
- 自分にとって大きな痛手を負うような経験をする
- もしくはASDの子どもであれば、関わっている大人が意識的に教えてあげる
こういったが無いと、なかなか自然に、自ら身に付けていくということが難しい時があるのです。
今回の”勝ち負けにこだわる”ということに関しても、わたしが
- 勝ち負けなんてこだわりすぎるものではない
- 勝手も負けても得れるものはある
そう自分に落とし込めたのは、20歳になってからやっとです。それは親の離婚がきっかけでした。裁判になり、争っている親を見て、勝っても負けても”その結果が全てではない”そう感じさせられた経験をしたからだと思います。
ただそれまでのわたしはどうだったかと言うと、表立って勝負にこだわるということはしていなくても、勝ち負けに対する”賢明な考え”というものは無かったと思います。
ASDの息子に伝えていること
わたしの過去の経験のように、言うなれば”ショック療法”的に気づかされるというのは、ASDにとってダメージは大きくあります。ですので、わたしは勝ち負けにこだわる息子に、何気に伝えていることがあります。それというのは、息子が比較的、落ち着いている時の会話の中に
- みんな勝ちたい気持ちは一緒だよ
- ママだって負けたらあ~あって思うよ
- 負けるっていう経験が一つできたってことだよ
- 負けた人の気持ちがわかる人になったんだよ
- 勝負の最後は気持ちよく終わりたいよね
こういうようなことを話したりしています。
ASDにとって、勝ち負けにこだわるのは、決して悪いことだとは思いません。その強い思いから、他にはない集中力を発揮して何かを習得する、ということもあります。ただ
そのこだわっている時の自分を見失ってしまうのが問題だと思っています
”勝ち負け”の本当の意味を理解し、こだわり過ぎてしまう自分に自覚さえあれば、ASDにとって”勝ち負け”へのこだわりも、うまく使っていけるものだと思っています。
最後に
わたしのブログは、当事者であることから、ASDに関してのことがほとんどです。ただ、ASDの方にも、そして関わっている方にもお伝えしたいことがあるとすれば、それは
ASD当事者は、ASDという脳の構造を持っていますが、性格はひとりひとりが持ち合わせているもの
ということなのです。もちろん、性格的な面にASDの特性が大きく影響しているところはありますが、その特性だけがその人の全てではないということなのです。
同じASDで同士であっても、生まれた環境も違えば、育った時代も違う、親から受けてきた教育もそれぞれ違うものだと思います。じゃあ切り離して考えるものなのか、というと、それはまた違うと思っています。わたし自身においても
ASDのわたしも、わたしという今の人格も、両方が合わさってわたしというもの
そう思っています。ただ、わたしがASDに関しての
- ASDにはこういう特性があります
- ASDにはこういう方が多くいます
このように発信している背景には、ある思いがあります。それというのはASD当事者や、ASD傾向がある方の中には、自分自身の性格はなんとなくわかっていても
- 自分はどうしていつもこうなんだろう…
- どうして他の人たちと同じ様に出来ないんだろう…
そうやって、ASDの特性上にある自分がわかりにくく、悩んでいたり、自分を責めていたりする方が多いと感じたからなのです。ただ、そういった自分を苦しめていたものが、ASDの特性だと知れたことで、納得出来たり、受け入れられたり、自分を責めなくて済むことが沢山あるからなのです。
ASDの特性とは別に、やさしさや思いやり、そういう心の中にあるものは、その人にだけにあるものです。ですので、その両方の自分を受け入れ、少しでも自分らしく生きていける、小さなヒントになればと、いつも思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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