ASDにとって”サプライズ”は喜びではなくパニック
サプライズ=予測不可能なこと
わたしには”それはやめて欲しい…”という気持ちを、伝えたくても上手く伝えることが出来ずに、いつも我慢してきたことがありました。それというのが
サプライズで何かをされる時です
サプライズといっても例えば、急な贈り物だったり、何かをプレゼントされる、といったようなサプライズは素直に喜べますし、普通の対応が出来るのです。では、どういった”サプライズ”がとてつもなく嫌だったかと言うと
- 出かける予定の、その場所を教えてもらえない
- ”着いてからのお楽しみ”的な事を言われる
この様な
どこに行くのかがわからない・教えてもらえない
というような”サプライズで連れて行ってあげる”という時です。それが素敵なお店であっても、有名な観光地であっても、どんな素敵な場所だったとしても
その場所がわからない(サプライズ)=予測不可能なこと
それはわたしにとって、喜びやワクワク感よりも、不安の方が何倍も大きいのです。
サプライズでも”大丈夫なプレゼント”と”大丈夫ではないサプライズで連れていかされる場所”の違いとは
ASDの特性としてあるのが
- どんな時でも見通しがあることで安心できる
- 急な予定変更には対応できない
- 初めての場所には不安が伴う
というものがあります。このようにASDにとっては
ということは
サプライズで贈られたプレゼント
サプライズであっても、贈り物やプレゼントがどうして大丈夫かというと
その日の予定を特に変更されるものではないからなのです。
では
サプライズだからということで教えてもらえない場所
場所に関してのサプライズは、一日の見通しが立たなくなる上に、初めての場所かもしれないという不安、それにASDの時間の流れとともにある、場所の認識がないという不安もさらに乗っかってくるため、大丈夫ではなくなるのです。
こういった不安要素が大きく違う、ということなのです。
もちろん、サプライズパーティーなどもそうです。その主役がASDであれば、予定通りに一日を遂行していたの時間の中に、急に不意打ちのお誕生日パーティーなどが用意されていたりすると、それがそのASDの方の為であったとしても
本人的には喜びよりも、動揺する気持ちの方が大きかったりします
ASDの子どもであれば、パニックの原因や、逆に疲れさせてしまうことにもなりかねません。
サプライズする側の意図とASD側の意図は違うということを知ってほしい
サプライズをする時というのは
- サプライズをする側が、その相手を喜ばそうとして行うもの
- サプライズすることでその相手は、きっと喜んでくれるに違いないと思っている
こういう状況で起こることが、ほとんどだと思います。
実はこの事実が、わたしにとってずっと”サプライズはやめて欲しい…”と言えずに困っていた部分なのです
わたしの為を思ってそうしてくれているという、相手の気持ちを読み取れてしまうからこそ
「その場所を教えて欲しい…。」
というたった一言も言えずにいたのです。ですので、サプライズ的な状況になると、口数も減り、テンションはとても低くなっていました。ただそこには
わたし自身がASDで、サプライズが苦手だという自覚が無かったのも一つの原因だと思っています
ASDの特性上、サプライズが苦手だとわかっていれば、相手にそう伝えられたと思いますし、相手の方にしても、理解を持ってくれたと思います。
実際わたしは、ASDと診断され、サプライズ的な事が苦手だと、わたし自身がしっかり理解してからは、パートナーの方には伝えることが出来ました。それからは、どこかにいく時には必ず行先を教えてくれますし、それでわたしが楽しめるということも、理解してくれました。
ASDの息子にサプライズは通用しない
ASDの息子は、わたしと同じく”サプライズ”が嫌いです。特に会話の中で気を付けているのは
「今から行くところは、内緒ね。」
この”内緒”という一言です。息子にとって”内緒”という一言は苦痛なのです。実際お出かけに行く時、行先を内緒にしてしまうと、息子からどういう返事が返ってくるかと言うと
「どこに行くか教えて!内緒は嫌っ!早く教えて!。」
行先を伝えるまで、ずっとこの状態が続きます。このことから、息子も同じく
逆にASDの方に対して、どこかに連れて行ってあげたいと思った時には
行先もその日のスケジュールも、事前にしっかりと伝えてあげる方が断然、楽しめます
ASDには、定型発達の人が当たり前に通じると思っていることが、当たり前に通じないということがあります。
ただ、定型発達の方なら、それまでの経験から、普通に喜んでもらえていたことは、その経験が多ければ多いほど、それはどんな人にも=で通じるという感覚を持って当たり前だと思っています。
その感覚は持ち続けたうえで、特別枠として、ASDの感覚は違う、というものも持って頂ければと思っています。
最後に
今回の”サプライズ”ということに関して、昔のわたしは
サプライズを喜べない自分自身を理解できない
そう思っていました。そして、頑張ってうれしそうな素振りを見せたりもしていました。それがどうしてかと言うと
- 大多数の人は喜ぶものだし、喜ばせてあげようとする相手の気持ちを裏切りたくない
- サプライズを喜べないという事実を、きっと理解してもらえない
そう思っていたからなのです。ただ、この事実に”ASDの特性”という裏付けが出来た途端
サプライズは嫌いなんだと、声を大にして言いたい気持になりました
自分自身がおかしいわけではなかったこと
そこにはしっかりとした理由があったこと
相手にも事実として、これからはしっかりと話せるということ
このことが素直にうれしかったんです。
ASDはマイノリティです。だからこそ、ASDについての細かな情報が少なく、ASD自身であっても、またはASD傾向があっても”自分の事がよくわからない…”ということはあります。その状態は、実際とても苦しいものです。
そのわからない”何か”に、一つでも答えがみつかるように、そのお手伝いが出来るように、ASDについての情報をこれからもお伝えしていきたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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