ASDにとっての“日常”とは
現実逃避とは
「現実に求められたり、何かしなくてはならない物事から意図的に注意や意識をそらすための行為や心理状態。困難な状況から目をそむけ、不安から逃れようとする機制。」
(Wikipedia)
このように「現実逃避」と聞くと、あまりポジティブなイメージはないと思います。わたしもどちらかと言うとネガティブなイメージがあったからこそ
「現実逃避」はしてはいけない
常に目の前にある現実と向き合わなくてはいけない
そう思っていました。ただ、ASDと診断されてからのわたしはこう思います。
そんな必要以上の我慢の中には、ASDの特性からくる
- 感覚過敏
- 強いこだわり
- 興味関心への強い偏り
- コミュニケーションの困難さ
この様な自分自身の努力だけでは上手くコントロールすことが難しい特性を常に抱え、そしてこういった特性を持たない多くの人達の中で毎日を過ごし、常に普通はどうだとかという中で比較されてしまったり、またはASD自身も他者を比較してしまうことで疲れてしまうという…そんなジレンマを抱えた現実を、日常を生きているからなのです。
ASDが抱える「現実逃避」をしたくなる要因とは
ASDでなくとも、自分以外の他者と比べてしまうということはあると思います。そうだとしても、定型発達の人同士が比べるそれと、ASD当事者が対、定型発達の人達と自分自身を比べる感覚、または定型発達の人達が対、ASDの人達と比べるものの中には、大きな違いがあると思っています。では大きな違いがどうして生まれるのかというと
定型発達の人たちが位置する所の「多数派」と、ASDの人たちが位置する所の「少数派」、ここに全く違う物の見方や感覚、思考があるからなのです
多数派の人達にとっては、普通だと思ってきた感覚や思考は子供の頃からその他大勢の人達に認められ、共感しあい、そして理解されてきた事が多くあったと思います。何か自分は人と違っている…そうもやもやすることもなく過ごせていた、という時間は多くあったのではないかと思います。もちろんお互いの“意見の食い違い””好きなもの、嫌いなもの”こういった中には共感し難いものも当然あるとは思います。ただ、少数派の人達にとっては、“意見の食い違い以前に、その他大勢の人達には理解されにくいことが多すぎる”という事なのです。
それは日常的な言動、感覚的なもの全てにおいてそうなのですが、その障害の部分が目に見えて分かりにくいからこそ、ASD当事者が「普通だと思っている言動」を受け入れてもらえない、理解されないという、先ず第一歩の壁が常に存在する場面が多くあるのです。
この様なことから日常的にストレスを感じる事が多く、どうしても「現実逃避したくなる」という感情が生まれてしまうのです。
ASDが感じる“ストレス”とは
わたしは未だに、ASDであるわたしの事を理解してくれているパートナー、または同じく理解があって心を許している親友以外の人と会わないといけない状況では
どうしても身構えてしまうことで相手の出方を探ってしまったり、会話のキャッチボールにつまづいては無口になってしまう自分に戸惑うことで、無意識的に張り詰めた神経のもとでいることが多くあってしまいます
それが例えば息子たちも、そしてその親御さん達も楽しめる様な学校行事やイベントであったとしても、ストレスを抱えるような人達がいない集まりであったとしても
いつもの日常とは違う「非日常」というだけで恐ろしく疲れてしまうのです
そういった一日を過ごした後のわたしは必ず、子供達やパートナーが寝静まった深夜に何でもないYouTubeをだらだらと見続けていたり、または映画を丸一本見たりして
自分の為の時間“自分時間”を、寝ないといけない時間ギリギリまでたっぷりと持つことをします
その時間がないとどうしてもその日のわたし自身をリセットし、頭の中や感覚的な疲れを少しでも消化することが出来ないからなのです。実はこの「現実逃避」の時間は、「非日常」の時にだけ特別に取っている、というものではありません。疲れている日はその時間が少し長くなってしまう、というだけで実は普段からでも取っているものなのです。ここはすごく大切なポイントなのですが、詳しくはもう少し後半でお伝えしていきます。
「現実逃避」の時間を取る上で、実は気をつけておきたいポイントというものがあります。それは、リセットの為の時間が無意識的に長くなってしまう時、ある程度のところで満足できずにストップをかけられない時です。例えばそれは次の日が仕事だったとしても、朝早く起きないといけなかったとしても、気付けば後1〜2時間しか寝れない、またはもう既に朝だった、そういう状況にまで陥ってしまう。そういう時には「もう寝ないと…。」とういう意識はなくなっていて
自分時間という「現実逃避」の時間の方をどうしても無意識的に優先してしまいます
こういった「現実逃避」の時間の為に睡眠や食事を削ってまで、体調を壊すまで優先してしまう時というのは、ストレスだと感じた特別な日、非日常だけが原因ではないこともあります。というのもASDにとって「現実逃避」の為の自分時間は「非日常だった特別な日」だけに必要なのではなく
日常的に必要なものだからこそ、日常的に取れていない場合はその反動がくる
という事なのです。長時間にわたり寝食を削っている事すら気づかないまま「現実逃避」をしてしまっている、という時には
- どこかに大きなストレスとなる原因が隠れている
- やるべきだと思い込んでいることばかりに時間を費やし、リセット出来る程の自分のための時間を取れているようで実は足りていなかった
ということが考えられます。当たり前のように過ごしている日常だとしても、ASDにとっては様々な困難が隠されていることがあります。だからこそ、日常的に「現実逃避」をする必要があるのです。ただ、普段からその時間がとれていて、ある程度リセットできていれば自分で気づいて終わることが出来ます。だからこそその終わりが見えない時、現実逃避の時間の感覚が長くなってきた時には、何がそうさせているのかを見直す一つのサインなんだと捉えて、改善に向けて自分と向き合う時間を持つことが大切なのです。
「現実逃避」の必要性を理解する
ASDの診断を受ける前のわたしは、日常的に自分の為に時間を使う事が下手で、よくその反動が来ていました。ただただ何でもない時間を過ごしていたら朝だった…ということを繰り返し、そしてその時にはいつも
「またダラダラとどうでもいい時間を過ごしてしまった…。」
そう思い、何となく悪いことをしてしまったような気持ちになっていました。悪いことをしてしまったという感覚に陥るのは普段から取れていなかったが故に、どっさりと、それこそ寝ずに朝まで取るというような極端な「現実逃避」をしていたからなのです。ただ、そうするとまた日常的に自分のための時間を持つことをしなくなり、ある日突然その反動がくる…という悪循環に陥ってしまいます。そうならないためにも
「現実逃避」の時間は自分の体調やメンタルヘルスのために必要なんだと割り切り、日常的に取ることが必要だと理解することなのです
ASDの人達は基本的にとても真面目です。真面目過ぎるからこそ仕事の為に、または自分以外の人の為に自分の時間を削ってしまうこともあります。そこには「過剰適応」という状態が絡んでいることも実際にはあります。だからこそ
そしてASDに必要なのは「現実逃避」をしてはいけないという意識よりも
「現実逃避」の時間が自分にとって何時間必要なのか
ということの方を考えることだと思っています。「現実逃避」を無駄な時間だと感じてしまっていると、そのこと自体がストレスになってしまいます。そうではなくて
ASDにとっては「現実逃避」の時間は自分にとって必要なものであって“敢えて取るものである”、という意識に変換しその上で、では一日の中で自分にはどれくらいの時間が必要なのかを検討していくのです
1時間で足りるという人もいれば、1時間では少ない、最低でも2時間は必要、という人もいると思います。ちなみにわたしの場合で言うと、2時間は必要です。子供達の寝る時間が遅くなってしまったとしても、次の日が朝早かったとしても、大体2時間程度は自分の為に時間を使います。
そうすることでストレスを溜め込まない方へ持っていける、そして結果的には疲れも取れたりするからです
「現実逃避」と言える様な時間であっても、その時間が必要だからこそポジティブに使い、少しでもストレスを抱えない自分を保つことで関係している人にイライラをぶつけなくて済む、人に優しくなれる、ということに繋がることもあると思っています。
ASDにとってストレスや疲れを多く感じる日常があっても、そのことを軽減するにはどうしたらいいのかが分からない、という事があったりします。ただただ我慢してしまったり、必死で頑張り過ぎてしまったり。だからこそそんな日常にたった一つでも、一日をリセットできるASDに合った良い方法を見つけていくことは大切だと思っています。それは結果的に、ASDにとって生きやすさに繋がるものであり、自分を知る事にも繋がるものだと思っているからです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
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