ASDにとって「他のみんなも頑張ってるから…」は“危険なサイン”
ASDのわたしが、みんなと同じ行動を取るべきだと思っていたその理由とは
ASDのわたしは小学生の頃くらいから、とにかく他の子に合わせて行動することが多くありました。それはどちらかというと自主的なものではなかったと思います。ただ、そのことは幼い頃はそれ程でもなく、成長とともに増えていったという感じです。
保育園くらいから小学校低学年くらいまでは、どちらかというと平気で一人で遊んでいたり、放課後も同級生と遊ぶことはほとんどなく、一人で真っ直ぐ家に帰っていました。そしてそのまま、一番慕っていた2つ上の従姉妹の家に遊びにいくことの方が多いくらいでした。
今思えばその頃まではマイペースに毎日を過ごせていたと言えると思います
ただ、そのわたしにとっては一番と言っていいほど大事な部分でもある
- マイペースに一日を過ごす
- 自分で決めて納得してから行動する
というところが成長と共に難しくなっていったのです。中学生位にもなれば、マイペースに一人で過ごすというよりも
- 同級生がたくさん通う塾に行きたくないと思っていても、辞めたいと言えずに頑張ってしまったり
- それほど行きたいと思っていない誘いでも、断る理由も見つからないのでそのまま友達の家に集まったり
このように、どちらかというとマイペースではないところで過ごしていました。こういったわたしの行動はどれもこれも
(あんまり行きたくないし、本当はやりたくないけど。みんなそうしてるし、親もその方がいいって言うからそうしよう…。)
という、とても曖昧で自分の意思ではないところのものでした。それがどうしてかというと、子供の頃からわたしの中にあった酷い感覚過敏や集団に馴染めなかったというような、“他の子とは何かが違う…という感覚”があるのを自分で分かっていたからなのです。
分かっていたらからこそ、その事がおかしいんだと思い、自分以外の子をお手本にするようにして行動を合わせてしまっていたんだと思います
常に限界を超えている自分が普通になってしまう
他の子供たち、または成人してからも周囲の大人に、自分を無くしてまで合わせてしまうことが当たり前になりすぎると、ASDである自分ではなくなっていきます。その結果、どういう自分になるのかというと
常に限界を超えている自分が普通になってしまうのです
このことはわたし自身、社会人になってから顕著に現れました。それがどういうものだったかというと、どんなに身体が疲れ切っていても、仕事に向かうことが精神的にかなりキツい状態にあっても
「他のみんなも頑張ってるから…」
という、このたった一つの思考で動くのです。その上
- 自分はまだそれほど疲れていない…
- もうちょっと頑張れるはずだ…
という謎の思考までがセットで思い浮かび、本心はかき消されていきます。実はこの時点で本当はかなり危険なのです。既に自分の限界を超えていて、実は思っている以上に体は疲れてる、かなり余裕もなくなっているのです。それでもそのことよりも、みんなが頑張っているから頑張れるはずだという、明らかにおかしな行動と思考を優先してしまうのです。当時のわたしは
自分のやりたいことや都合を過剰に我慢しすぎて、周囲に合わせることを無理に頑張りすぎている、完全に“過剰適応”の状態でした
実はこういった状態の時に、自分の限界を超えているかどうかの目安となるものがあります。それは
“休日の過ごし方”を思い返してみることです
・休日にただ寝ているだけ
・疲れ切って何をする気も起きない
という状態になっていれば、もうすでに自分に合っていない生活スタイルで頑張り過ぎている、ということなのです。
休日の過ごし方が、ただ体を休めるということで潰れているようだったら、自分には無理だと思っていること、その本心を自己主張することも自分が許していない、辛すぎる毎日の限界がどこなのかわからない、という状態になっているかもしれません。
「他のみんなも頑張っているから…」を自分を取り戻すための“サイン”にする
ASDは頑張り過ぎてしまう人が多いと思っています。その頑張りすぎている状態というのは周囲から見ればわかりにくいものが多くあります。それでもASDの内側を覗いてみると
- そんなにやりたくない何かを自ら義務化してしまっていたり
- 周囲に合わせ過ぎてしまっていたり
というところで想像以上に辛く我慢していた、というものもあったりします。そしてこの状態に加え
「他のみんなも頑張っているから…」
という考えが既にあるのであれば、それは
ちなみにその他にも簡単に出来ることで、実際わたしが取り組んでいることがあります。それと言うのは
- こなさないといけない予定がいくつかあったとしても、予定は一日に一つだけ
- 用事と用事の間をタイトに動くのではなく、ほんの少しでも休憩を挟む
というものです。「ちょっと休憩…」と実際口に出してもいいですし、心の中で思ってもいいのですが、そういう意識を一日の中にいくつも挟み込んでしまうというものです。
ASDの自分にあった働き方や時間の過ごし方を見直すこと、そして自分の中にある「好きや嫌い」といった単純でわかりやすい感覚にこそ正直に、そして素直に行動することは、ASDにとってとても大切だと思っています
そのことを忘れて、他の人たちに合わせ過ぎていると、体調やメンタルがやられてしまうこともあります。ASDやASD傾向のある方が、他のみんなも頑張っているからと思いながら、どこかで不調を来たしているのであれば、もう十分すぎるほど頑張っているということなのです。そういった状態にあると気づけた時には、生活スタイルを見直し、自分自身と向き合い、毎日を楽しめる自分を取り戻しいって欲しいと思っています。
最後に
わたしはずっと長い間、他の人と同じようには動けないし体力もそれほどない、ストレスを上手くかわしながら仕事をこなすことは難しいのが自分なんだ、ということを全く理解していませんでした。
頑張れば他の人と同じように出来るはず、という意識だったASDのわたしの感覚というものは、例えば会社の中で体の大きさもわたしとは全然違う、もちろん体力も全然違う男性とわたしを比べては
きっとあの人も疲れていても、休みたいと思っていても頑張っているんだ…わたしと同じなんだからわたしも頑張らないといけない…
このようなとんでもない見当違いをそうだと理解できず、当たり前に普通だと思い込んでしまっていたのです。平気で10時間くらい働ける男性と、8時間でも必死で、しかもギリギリの体力で働くわたしと同じだと思っていたのです。周囲に合わせすぎるとこんなにわかりやすい違いさえも、気づきにくいのです。
自分の価値観が壊れてしまった状態では、自分への理解も進みません。そんな状態から離れる為にも、必要のない我慢と無理は手放して得意なことや好きなことに時間を使い、毎日をゆるく、自分にもゆるく、子供の頃に好きだった道をゆっくりと歩くような感覚で過ごせれば、ASDである自分のペースや生き方が少しづつでも、見えてくるのではないかと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
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