ASDが計画性を発揮できるのは”興味のあること”だけ
ASDの計画性には落とし穴がある?
ASDは基本的に“真面目にコツコツと取り組む”というところがあります。こういった特性からも、ASDには計画性があると見えると思います。他にも
常にパターン化やルーティン化を好む
というところを見ても、そう感じられると思います。ただ
ASDの計画性には落とし穴があるのです
その落とし穴というものがどういったものなのかを、実際わたしの小学生の頃の経験から詳しくお伝えしていきたいと思います。
小学生の6年間ずっと悩まされ続けた夏休みの宿題
わたしは小学生の頃の6年間ずっと、夏休みの宿題には悩まされ続けていました。といっても
実は毎年わたしなりにしっかりと計画を立てていたのです
今思えばその頃からASDの特性がしっかりと現れていたわたしは、同じルーティンで過ごしてきた日常から、夏休みという違うルーティンに変わることには、いつも少しのストレスを感じていました。その為に、とりあえず沢山ある宿題だけでも終わらせてマイペースに過ごせるようにしようと思い
一日の中の何時に、どれくらいやるのか
ということを決めては、毎日それこそ計画通りにコツコツと取り組み、夏休みを半分以上残したくらいで、宿題を終わらせていました。ただ
終わらせていたと思っていたのは、わたしの思い込みにしか過ぎなかったのです
それは毎年、夏休みも終わる8月の31日の最終日に発覚していました。次の日から始まる学校の準備をしている時に、母親が宿題などの提出物を一緒に確認してくれていました。その時に、毎年のように
「天気のチェックは?計算ドリルは?読書感想文は?」
このように
興味のない宿題は計画の中に全く入っていなかったのです
興味のある好きな教科の宿題は計画通りに進み、コツコツと真面目に終わらせます。ただ、興味のない教科は、そのことに取り組むというよりも、記憶になかったほど見向きもせずに、残されたままなのです。
ですので毎年のように、夏休みの最終日には家族総出で宿題を手伝ってもらっていました。今だから言えますが、本が好きだった母親には読書感想文を小学生レベルで書いてもらい、姉には8月の31日の新聞の下のほうに載っていた1ヵ月分の天気を、1日で書き写してもらい、その横でわたしは、計算機を使って計算ドリルの答えを埋めていました。実はこのことが見事に6年間続きました。
このことからもASDのわたしにあった、計画性の落とし穴とは
”興味の無いことも含めての、全体を見ての計画を立てられない”
というものだったのです。
ASDが計画性を発揮でいるのは”興味のあること”に偏ってしまう
偏りのない計画を立てるために取っていた方法とは
このようにASDの計画性には
- 好きな分野は計画通り
- 興味のない分野は完全に無視
このように”独りよがりな計画”になってしまいがちです。そのことが、自分だけのものなら問題ないのですが、わたしが困ったのは仕事をしだしてからでした。仕事上で、興味のあることにだけ無意識的に目を向け、段取りを組んでしまうと、それこそ後になって
やるべき仕事をし忘れて、帰る間際に気づいて焦る
という経験を繰り返してしまっていました。そういった痛い経験からわたしは
常に”段取り命”だと自分に言い聞かせ、見落としがないように注意を払うことをしました
そして必ず仕事が終わってから、次の日にやるべきことをしっかりと紙に箇条書きにして、目に付くところに張ってから仕事を終えていました。短期記憶が苦手ということと、計画が独りよがりになってしまうわたしにとって
- 少し時間をかけてでも、計画する時は”抜け”がないか確認しながら箇条書きにする
- そのメモを、見て確認しながら作業出来るところに張っておく
このことをするようになってからは、仕事上での見落としはほとんどなくなりました。
特性を自覚し、手段で解決していく
ASDにとって計画性がないと見られたり、ミスや抜けが多いと感じられるのは、ADHDのような注意欠陥的に発生するものとは違い
自分には計画性がない、努力しても出来ない…
こう思ってしまうことがあれば、実は半分はその通りなのです。半分がその通りということの中には
- 努力の仕方を間違っている
- 根性論で何とかしようとしているからこそ、結果の出ない自分と向き合いすぎて自信を無くしていってしまっている
ということから、出来ない…という結論に至ってしまっているのです。では、その半分を改善する為にはどうしたらいいのか、ということなのです。それは
自分にあった手段で、自分に無理のない努力で解決していけばいいということなのです
ASDには計画性が無いわけではありません。ただ、その計画性には偏りがあるということを自覚した上で、自分に合った方法を駆使していけばいいというだけなのです。
わたしは小学生の6年間、落とし穴のある計画性に自覚がなかったからこそ、全く進歩もなく、同じ失敗を繰り返していました。それは、家族になんとか助けられていたから、ということも大きかったと思います。
それが社会人になり、全ての責任が自分に降りかかってくれば、そうはいきません。だからこそ、ASDの特性を自分自身が理解して自覚し、その自分に合った手段で、完璧とまではいかなくても少しづつ改善策を試してみる、ということが大切だと思っています。
最後に
わたしの小学生の頃の夏休みの宿題に関して当時を振り返ると、その時のわたしの親は
「またやってないの?。」
という意識レベルでした。もちろんそのことが、わたしのASDの障害からとは思ってもなかったのです。だからこそ
場当たり的になんとかやり過ごしてしまえばいい
そう思ったのは当然のことだと思います。ただ、その事実はわたしが社会人になってから苦しむことに繋がった原因の一つではあったと思います。当時の親がどうとかという話ではありません。
自分の特性を知らずに、何故そうなってしまうのかということに目を向けないということが、自分自身を苦しめてしまう結果を導いてしまう
ということだと思っています。このことに気づきがないと、何度も自分自身を責めるだけで終わってしまうのです。
わたしにはいつまでたっても上手く計画が立てられない…
そうやって自尊心の低い自分を確立していってしまうだけなのです。それが子どもの頃なら、自分自身の力だけでそのことに気づくのはほぼ無理だと思います。だからこそ
親が、関係している大人が、気づいてあげるのは大切だと思っています
もちろんASDの大人であっても同じです。
気づきと自己理解で何とかしていけることは沢山あります
だからこそ、これほどまでに情報が得れる時代になったのなら学び、知識を得て、生き辛さに理由を発見しながら、自分自身のままで生きる道に繋げていって欲しと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
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