ASD 「人と会う約束」を交わした瞬間に“不安”が生まれるのはどうしてなのか

発達障害

親しい人と会う約束であっても必ず生まれる“不安”

ASDのわたしにはASDだと診断される前に、わたしがわたし自身を理解できなくて苦しんでいた思考や感情的な部分がありました。それは

親友であっても大好きな先輩や同僚であっても、会う約束を交わした時点で、楽しみという感情と共に“なんとなくモヤモヤと不安が生まれてしまう”というものでした

そのモヤモヤの感情の中には例えば

  • 会いたいと思っているのに、その気持ちと同時に「いつも通りの一日を過ごしたい…」と考えてしまう
  • 会う当日はどのような時間配分で一日を過ごしたらいいのかを、ひたすら考えては疲れてしまう

この様に“会う人との時間を素直に楽しむ”ということよりも、“それ以外に考えることが多過ぎて疲れてしまう”・“いつも通りの1日を過ごしたいとどこかで思っている”というものがありました。そこにはASDの特性が大きく関わっている事を、当時のわたしは知らなかったが故に

会いたい人のことをどこかで嫌だと思ってしまっているんだろうか…

こういった結論にしか辿り着けなくて、どうしたって大好きな人に変わりはないのに、会う日を心から楽しめない自分は最低だとずっとストレスを抱えていたのです。

不安を生んでいたASDにある特性とは

“親しい人であっても会う約束を交わした時点で不安が生まれてしまう”、ということに関係している、そしてASDの診断が付く前の当時、わたしが認識していなかったASDの特性というのものには

  • 「見通し」が立って初めて安心出来る
  • いつもと変わらない「安定したルーティンを好む」
  • 普段の過ごし方自体に「強いこだわり」を持ってしまっている

この3つが挙げられます。ただ、私はこの特性を知って自分のことを理解した時初めて、わたしは自分自身のそれまでの罪悪感から解放されたように感じました。親友のことを、大好きな人達のことを心のどこかで嫌だと思っていた訳ではなかった、という事実を実感できたからです。それこそ40歳の時に初めて自分自身の事を知った様な感覚でした。わたしが会いたいと思う人達に対して、心から好きだという素直な気持ちは嘘でもなんでもなく、ただ

ASDの特性が無意識的に働き、人と会う約束をしたその当日を想像した時点で「非日常へのハードルの高さ」というものがあったのです。

ASDにとっては見通しが立たない、そしていつものルーティンではない一日を受け入れる事には「勇気が必要」だからこそ、その事が“不安”として感じられていたのです。

「ASDが好む休日の過ごし方」とは

ここでは少し、ASDが「人と会う約束」を交わした瞬間に“いつも通りの1日を過ごしたい…”という不安が生まれるのはどうしてなのか、という事についてより分かりやすくお伝えするために、「ASDが好む休日の過ごし方」と、「定型発達の人たちが好む休日の過ごし方」を比べて見ていきたいと思います。例えば「定型発達の人たちが好む休日の過ごし方」の中には

敢えて予定を決めず自分が好きなように、思い付くままに何となく過ごす

という過ごし方があると思います。この様に何の予定も入れずに過ごすのが心地良い一日があって、この事で休日を満喫できたような感覚があると思います。フリーで何も決められていない、そんな時間があるからこそ日々の疲れを解消できるのかもしれません。その他にも、何となくその日に会いたいと思った人に当日連絡を取り、予定が合えば会うことをする。そういった急な約束だとしても、そこには楽しみしかないと思います。

それでは「ASDが好む休日の過ごし方」とはどういうものなのか。もちろん全てのASDがそうだとは言い切れませんが、ASD当事者であるわたしが好む休日の過ごし方で一つ言えるのは

ASDと定型発達の人達とは、感覚そのものが真逆だという事です

ASDが好む休日の過ごし方」というものは、いつも通りで何も変わらない、全てがきっちりと決められていて、その時間割までいつもと同じ。このような過ごし方が最優先であり何よりも一番に好みます。

例えば毎週日曜日、休みの過ごし方としては起きるのは8時、朝ごはんは9時に済ませ12時まではゆっくり過ごす。その後外出し用事を済ませ3時には戻る…このように予定も時間も同じ、そしてできれば一人で、このペースを崩されない1日を毎週同じように過ごしたいのです。だからこそその寸分狂わず予定していた休日に人と会う約束が入ると、いつも通りの1日ではなくなってしまうが故に、ASDにとっては不得意分野に対応しなくてはいけないというようなことが起こってしまうのです。約束を交わした瞬間から楽しみが増えただけの感情になれない、どうしたって不安が生まれてしまう。そんな自分が面倒だと思っても、その不安を努力で完全に無くそうとすることはできないのです。

それこそ約束の当日までずっとその日の過ごし方を頭の中で考えシミュレーションし、見通しを立ててまずは受け入れる、という作業が必要になります。大袈裟に聞こえるかも知れませんが、覚悟を決めて立ち向かうといったような状態になってしまうのです。ASDにとって見通しの立った安定した日常というものは、定型発達の人達が思うよりも遥かに安心感があるからこそ、そこからなるべく外れないようにと考えてしまいます。ですので約束があったとしても「これだけはやっておきたい…。」といういつも通りの予定を一つだけでも無理に入れ込んだりしては時間がいっぱいになり、疲れてしまうこともあります。ただ、疲れてしまうのは約束をした人に会いたくないわけではなくて、自分にある特性がそうさせてしまっているだけなのです。

会いたいと思っている人に対する気持ちはASDの特性とは別の所にあって、素直に会いたいと思っているのが本当なのです

自分の中にある強いこだわりや、安定したルーティンを好んでいたとしても、そのハードルを思い切って超えてまで会おうとすることも、もちろんあります。そこにはASDという障害からくる多少の苦痛を伴うことがわかっていたとしても、それを乗り越えて経験してきた

会いたい人と会えた時間には楽しみや幸せもある、という事実も知っているからなのです

ASDにとって“経験”とは

ASDには“経験の積み重ね”というものがあって初めて理解できる事があり、そのことが身についていくまでの時間は、定型発達の人達が思うよりも遥かに長くかかるものが多くあります

人と会う約束を交わした時もそう。いつも通りの1日がいい、いつものルーティンとは違うから不安だ…そう思ったとしても会うという事を前提に見通しを立てて、非日常を過ごしてみる。その経験を何度も積み重ねて初めて不安を最小限にして会いに行ける、ということができるようになったりするのです。このように、ASDにとって“前向きな一歩”として行動できるようにしていく為には、不安で怖いと思うかもしれないことにほんの少しの勇気を持って経験を重ねていく、という事も時には必要ではないかと思っています。

ただ、ここで大切なのは、まずは経験してみるという事であって、その結果が苦痛で無理だと感じたのであれば、周囲に合わせ過ぎて“こだわって続けようとしない”ここを見極めていくことも大切だと思っています。会う約束をして会ってみたとしても、もう次は行きたくないなと思えば次回誘われても断る、一緒にいて楽しいと思える人なのであれば行く。そうやって過剰適応にならないように気をつけておくという事です。ただこういったことも、経験があって初めてわかる事だったりします。ただ口頭で説明されただけでは、その通りに行動に移せないことも多いからです。

ASDにとって“経験”とは「自分の引き出しを増やしていく」というものです。その数が多ければ多いほど、生きづらい社会の中での対応策が増えていくというものなのです。

「人と会う約束」を交わした瞬間に“不安”が生まれるのがASD

わたしはASDだと診断がつくまで、大好きな親友なのに、大好きな先輩や同僚なのに、会う日のことを考えるとよくわからないストレスがあることに、ずっと悩まされてきました。約束を交わした瞬間に、どうしたって引きつった笑顔になってしまう。酷ければ「あ〜…行けるかな…。」なんて、何の予定もないのにやんわりと断るような雰囲気まで出してしまう。結果的にそのことで、相手に残念な思いをさせてしまったり、「嫌なのかな…?。」とがっかりした気持ちにさせてしまうこともあります。ただ、そうなってしまう理由がわからないままでも、思い切って会うことをしてみると

「会えて本当に良かった…。」

そう思えることがほとんどでした。だからこそ、その当時ASDの診断がなくても、会いたい人には会いにいくように行動していたのは

会えると幸せだと感じられた経験があったからだと思っています

その経験がなければASDの特性が全面的に出てしまい、どんな人とでも会うことを拒んでいたかもしれません。ただ、そんなわたしを更に後押しするように意識が変わったのは、ASDについて知ることをしたからだと思います。会う約束をした時には不安が生まれる、ただそのことが決して悪いものではないという事。不安を抱えながらも勇気を出して会ってみると楽しいこともある。この両方の経験とASDに対しての知識があるからこそ、今となっては

「人と会う約束」を交わした瞬間に“不安”が生まれるのがASDであり、それがわたし自身なんだと受け入れているからこそ昔ほど悩まず、非日常であっても会いたい人には会いに行けるようになったのです。

 知識を得て自分自身を理解できたからこそ、不安がどこからきているのかが分かったのです。だからこそ、その不安を否定せずに行動に移せるようになったと感じています。

昔のわたしと同じような感覚を持って苦しんでいるASDの人がいるのであれば、自分にある特性を知って受け入れていけば、少しづつでも生きづらさを減らせることはできるという事を、わたしは伝えたいです。いろんな細かいところが、多数派の人たちと同じような感覚でいられないのは当然なのです。

「人と会う約束」を交わすというだけでも、楽しみでしかない人と不安が生まれる人がいます。不安になるなんて理解できない、そう思うのであればその前にASDのメカニズムを知っていただければと思います。そしてASD自身も、そのことを自覚した上で多数派の人たちと向き合う、ということも必要だと思っています。知識を得て受け入れあうことで関係性が前向きなものになる、そういった経験を一つづつ積み重ねていってほしいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

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