ASD ストイックな程に“ひとり反省会”をしてしまう

発達障害

ASDはストイックな程に“ひとり反省会”をしてしまう

常に“ひとり反省会”の人

ASDのわたしは子供の頃から人に相談する、悩みを聞いてもらう、ということが苦手でした。このことだけが原因ではありませんが、大人になってからも仕事で失敗してしまった時や、対人関係の拗れがあった時には必ず

“ひとり反省会”を開催していました

自ら親友や上司にタイムリーに、「ちょっと話を聞いてもらおう…」そう思い、行動することはほとんどありませんでした。あるとすれば、ひとり反省会をしていたこと自体がとうの昔の出来事になっていて、話のネタとして「実は前にこういう事があって…」というように事後報告として話すくらいでした。

もちろんASDではなくても定型発達の人の中には

これくらいの事なら人に話を聞いてもらうほどでもないだろう…

そう考えて“ひとり反省会”で気持ちを切り替えていく人もいると思います。ただ、定型発達の人とASDの違いがあるとすれば

これくらいの事ならと判断する反省材料となる悩みのほとんどが、人に聞いてもらうほどではないと思っているのです

かなり深刻で、自分一人ではどうにも抱えきれない、悩んでいること自体が既に苦しいという状態であっても、どこか頭の中で(これくらいの事なら…)と思ってしまうことの方が多いのです。

ストイックな“ひとり反省会”で起こる問題

深く反省するようなショックな出来事があっても、人に打ち明けたりすることなく“ひとり反省会”を開催することでなんとか気持ちを切り替えようと思っても、実はそうはいかないのがASDです。

ASDが自分だけで開催する“ひとり反省会”の時というのは

  • やってしまったことは仕方がない、過去の事なんだから
  • それよりも次、同じことをしてしまわないように気をつけたらいいんだ

このようにポジティブな意識も、もちろんあります。ただ、このポジティブな意識よりもはるかに大きいのが、ネガティブな思考です。

  • どうしてあの時、あんな事をしてしまったんだろう…
  • どうして自分はいつまで経っても成長できないんだろう…
  • 済んだことだとしてもきっともう取り返しがつかないに決まっている…

このようなどちらかというと、強いネガティブ思考に支配されてしまうのです。ポジティブな自分とネガティブな自分とを行ったり来たりしては、結果的に残るのはネガティブな自分が80%くらいで勝利してしまうことがの方が多いのです。

もともと不安になりやすい特性を持っているASDは、一度不安に意識が向きすぎると、その不安が原型を無くして雪だるましきに大きくなっていってしまうこともあります。その結果、ストイックなほどに“ひとり反省会”を行い、過去の失敗と向き合い続け、そして失敗した自分を責め続けてしまうのです。

そしてその悪循環の先にあるのがフラッシュバックです

ASDの中には強いフラッシュバックに悩まさせる人も少なくありません。わたしも長年、フラッシュバックは一番の悩みの種でした。フラッシュバックが強いと、どうなってしまうのかというと

ポジティブな思考を取り戻し、いつまでもクヨクヨしていても仕方がない、そう気持ちを切り替えれそうになった時、再び最悪に辛かった瞬間が鮮明な映像として浮かび上がってはネガティブだった自分に引き戻されるのです

このことで、“ひとり反省会”をしても気持ちを切り替えられないまま、また“ひとり反省会”を開催するような出来事が起こったりもします。この状態が続いてしまうと

  • もうどこから気持ちを整理していったらいいのか…
  • どの自分でポジティブに過ごせばいいのか…

こういった新たな問題にまで発展しては“ひとり反省会”が終わることなく、ずっと考え込んでしまうこともあるのです。

“ひとり反省会”を早めに終わらせる為の方法とは

わたしは“ひとり反省会”を開催しても、結果的には反省会で終わらずに自分に自信を無くしていくことの方が多くありました。もちろん今でも、ついつい癖のような感覚で“ひとり反省会”をしてしまうこともあるのですが、昔のわたしほど自分を責めたり、ずっと引きずってしまうということは減ったと思います。

実はそのことが出来るようになったのは、ある方法を取るようにしたからなのです。その方法というのは

サラッと助言をしてくれる人に、なるべく早いうちに出来事を話す

というものです。その対象となる人はそれぞれ違うと思いますが、わたしの場合でいうと、ど言うタイプの人を対象としているかと言うと

ASDのわたしとは真逆の思考を持ったADHD気質のさっぱりとした思考の人、そして信頼出来る人です

ちなみにわたしの一番身近な人で言うと、パートナーです。最初は意識して反省会の内容を話した、という訳ではないのですが、なんとなく聞いてもらおうかな…そう思って話した時に、自分ではもの凄く重く捉えていたことに対して

「まぁ終わったことだし。大丈夫大丈夫。」

これくらいあっさりと答えてくれたことが、わたしにとっては救いになったのです。他にも20年以上の付き合いになる5つ年上の親友がいるのですが、その親友にもわたしはいつも助言を求めます。というのもパートナーと同じで、わたしのことをとてもよく理解してくれている上に、返ってくる助言の内容というのが

ストレートで分かりやすい、そしてわたし自身を肯定してくれる

というものだからです。ですので話すと大体は、一瞬で気持ちを切り替えさせてくれます。ただ、中には助言を求める人が身近にいない、という人もいると思います。そういう人は医療機関を頼ってもいいと思います。実際わたしも、発達障害で受診している先の主治医の先生にも助言をいただいています。

助言をもらうことで、“ひとり反省会”で落ちてしまった気持ちを切り替えるスピードというのは早くなっていきます。ただこの事は、助言をもらわないままのわたし一人の力ではどうにも出来なかったことだと思っています。

出来ないことは出来ないと認め、人を頼ることで自分を大切にしていってもいいのです

自分を大切にするということは、ネガティブで余裕のない自分から、ポジティブとまではいかなくても、フラットな自分のままで気持ちにも余裕がでてくる、ということだと思います。

その事で結果的には自分が楽になるだけではなく、周りの人たちにも優しくなれる自分になっていけると思っています。

最後に

わたしは“ひとり反省会”をしていた期間は本当に長くありました。今思えば、どの出来事に対しても結果的に“反省”という形で終わることはほとんどなく

自分はなんてダメな人間なんだろう…

そうやって落ち込むだけ落ち込み、暗い気持ちのまま過ごすというものが“ひとり反省会”の後に残るものでした。ただ、社会に出てから自分と合う人・合わない人とたくさん出会う中で、今回の内容にもありますが、助言をもらえる人が出来たのはある行動を取ったからだと思います。それというのが

プライベートは自分と合う人とだけ関係性を持つことにした

という行動だと思っています。仕事では仕方がないにしても、信頼できる友人や上司、そしてパートナーのように、少なくても心許せる人たちの中だけで時間を過ごすことを増やしていったのです。

ある意味、自分勝手に、そして自分に正直に生きようとしたことで出来たことだと思っています

大人のASDの方の中には、子供の頃から人と違うということを意識しすぎて生きてきた事で、他人の目を気にしすぎたり、周りに合わせすぎたりしてしまう人も多いと思います。ただ、そんな自分で苦しいと感じているのであれば、もっと自分に素直に、そして人を頼ることをしながらでもいいから、自分を大切に生きていって欲しいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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