ASDに大切なことを伝えたい時の話し方とは
話すことに労力を費やすことは無駄
ASDにはいろんな特性があり、その特性というものがその人の性格や日常的な行動にまで、深く関わっています。ただ
そのほとんどが一般的ではないマイノリティなところに位置しています
その中の一つに
ASDに何か大切なことを伝えたいと思った時
この時に、一般的な伝え方をしても伝わらない、という結果に終わる時があるのです。
では、大多数の方が相手に大切なことを伝えたいと思った時、どういう話し方をするでしょうか。ほとんどの方が
時間をかけてじっくりと、なるべく詳しく話をする
こういう話し方をすると思います。その理由としては
大切だと思っているからこそ、相手にしっかりと理解してほしいと思っているからこそ、正直、少々疲れることだと思っていても、ここは時間をかけないといけない
というものだと思います。もちろんそういう話し方のスタイルも、その思いも、間違っているものではないし、結果的に相手にしっかりと理解を得れる、ということになります。ただそのスタイルは、ASDには通用しない時があるのです。通用しないどころか
時間をかけてじっくりと話してきたその労力が無駄になってしまう
こういったことは起こり得るのです。
話が長ければ長いほど伝わらない
ASDの頭の中は、常にたくさんの情報であふれていることが多くあります。その理由としては
- 感覚過敏から
- 興味・関心が偏っていることから
- 完璧主義から
- こだわりの強さから
もちろん他に要因となるものはASD一人一人の中にありますが、こういった特性からも常に頭の中は忙しく、普通に生活を送っているだけでも疲れてしまいます。ではASDの特性があってさらにそのことがどうして日常的な”疲れ”へと結びついてしまうのかというと
たくさんの情報をさっさと処理することが難しく、残ったままの処理しきれない情報を抱えた状態で次の情報がどんどん入ってくる
こういった現象が常に起こるからだと思っています。
ASDは情報が多ければ多いほど混乱してしまいます
それは”話の長さ”に繋がります。相手がASDのことを思い、より詳しく、いつもより時間をかけて話せば話すほど、その情報の多さにASDは混乱し、最終的には何を言いたかったのかが全く理解できていないということになってしまいます。
情報の処理が追い付かず、大切な内容が話の前の方にあったとしても、そのことをちゃんと聞いていたとしても、その後の情報とごちゃまぜになってしまうのです
このことからも、ASDに大切なことを伝えたいと思った時、一番やってはいけないのが
じっくりと時間をかけて、たくさんの情報を織り込みながら伝える
というものなのです。ASDの子供に対しても”言い聞かせる”この方法では、ほとんど効果がないと思っておいていただいてもいいと思います。
ASDは耳からの情報が多いことに対しては、苦痛を感じてしまうからです。
子どもの頃から、そして社会人になってからも感じていた”長く話されることが苦手”
わたしは子どもの頃から、じっくりと時間をかけて話されることが苦手です。それがどうしてかというと、その時間が長ければ長いほど
”頭が疲れる”という感覚になるからです
自分の為に時間をかけて話してくれていることでも、長ければ長いほど情報の処理が追い付かず
ただの話が長い人
という残念な印象だけで終わってしまうこともあるのです。その結果
- 相手が伝えたいと思っていたことを理解できずに、相手を落胆させてしまう
- 落胆した相手の思いを受け止め自分自身も辛くなる
こういうことも感じているのです。このことは、わたしが社会人になってからもそうでした。上司の話を聞く時間が長ければ長いほど、わたしが最終的に記憶しているのは
あぁ長かった…
というだけの時がほとんどでした。このことからも言えるのは
ASDに対しては、話せば話すほど、労力を使えば使うほど逆効果
ということなのです。このことをお伝えしたいのはどうしてかというと、ASD側も
- 大切なことを伝えようとしてくれている相手をがっかりさせたくない
- しっかりと相手の伝えようとしていることを理解したい
この思いがあるからこそなのです。
ASDに大切なことを伝えたい時の話し方
これまでもお伝えしてきたように、ASDに対して、大切なことを伝えたい時は一般的な意識からの話し方では伝えられません。それでも、ASDに対して大切なことを伝えられる話し方というものはあるのです。それがどういうものかというと
一般的な感覚や、当たり前のことだと思っているものをASDに当てはめては、お互いにとって残念な結果に終わってしまいやすいのです。
ASDは少数派であり、大多数の人には無い”違いを持っている人”という理解と、そしてASD側は自覚を、そのうえでASDに合った手段をとっていくことで、お互いが受け入れ合える関係性が広がればと思っています。
最後に
わたしは子どもの頃からよく言われていたのが
ちょっと変わった子
そして大人になってからは、自分自身のことを
社会不適合者
こう思いながら生きていました。そう思ってしまうような自分になっていったのは、今だからこそわかる気がします。それというのは
ASDでありながらASDだということを知らないまま、得意なことも、そして苦手なことにも、そして自分自身にはどういうところがあるのか、そのことに目を向けるということが重要だとは思わずに、生きてきたからだと思っています
ASDにとって
得意・不得意、そして自分にある特性に目を向けることはとても大切です
そのことをしないままのわたしは2次障害を発症し、生きているのか死んでいるのか、というよりも死んでしまいたいと思うことの方が多かった人生の中で、それでも生きることに必死になっていた頃に、親よりも理解ある人と出会い、子どもにも恵まれ、幸せだと感じられることが増えた人生を歩めるようになったと、今は思っています。
わたしは自分が生きてきた道を振り返りながら、ASDでありながら突出した才能や能力に恵まれなくても、平凡ながらも幸せな人生を送れることは出来ると思っています
大人のASDで苦しんでいる方にも、そして今を生きるASDの子どもたちにもどうか、諦めずに希望をもって生きていって欲しいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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