ASDには暗黙の了解は通用しません
”通用しません”と言うよりも、厳密に言うと
暗黙の了解そのものがない
こちらの感じの方が近いです。
これはどんな関係性においてもそうです。例えば
- 夫婦間
- 親子間
- 家族間
などのような、どんなに親しい間柄でもASDにとって暗黙の了解、それが通用しないだけならまだしも、相手が暗黙の了解だと思ってしたことに対して
許せない時
ここも出てきます。実際、こちらの方がやっかいです。
ちょっとここで、今回の”暗黙の了解が通用しない”そしてその暗黙の了解に対して、”許せない時”これがどうして発生してしまうのかという、この部分に繋がる、ASDの特性を挙げていきます。それはというと、ASDは
自分のテリトリー
自分の所有物
とにかくこの2つには
ものすごく執着します。
そしてこの2つの安全が守られていることに、ものすごく安心感を覚えます。この部分は、定型発達の方の想像をはるかに超えるほど、強くあります。
ということは
例え家族であっても、どんなに親しい間柄であっても、ASDの場所、所有物を、確認なしに、そして勝手に入ったり触ったりするとASDは
すごく嫌がります…
なんならぶちぎれます…
子どもなら癇癪になることも…
暗黙の了解で触っていい、入ってもいい領域なんてものは、存在しないんです。
わたし自身や同じくASDの息子の場合
とにかくASDの息子の口癖ともいえる言葉がこれです。
「ぼくのもの勝手にさわらないで!。」
「ぼくの場所に入ってこないで!。」
もちろん兄弟であろうが親子であろうが、関係ありません。ちなみにそれが、息子のタブレットの中のゲームはもちろん、とにかく普通レベルを超えてしまうものとしては、息子の鉛筆一本、息子の本、ご飯中に弟が隣で食べていて、近くに寄ってくるだけで「もうちょっとそっち行って。」これくらい、嫌がります。
そしてもちろんASDのわたしの場合でも。旦那さんが、わたしの鞄の中からお財布を取ろうと、鞄を開けようとした瞬間
「え?何してんの?。」
普通にちょっとキレ気味に言ってしまったり笑。スマホはもちろん、わたしの物がしまってある引き出しや、なんでもない小物入れに関してまで(特に大事な何かが入っている訳ではありません)その瞬間、たとえ夫婦であっても、勝手に触られたり、入られると、それだけで気持ちがザワザワしてしまうのです。それは
なわばりを必死で守ろうとする動物に近いのです笑
ここまで書いていると、ASDってかなりめんどくさいんだな…と思われたと思いますが。確かにめんどくさい部分があるのは事実だと思ってます。ただ
めんどくさくなくす方法はあります
実は、こんなに自分のテリトリーや所有物に執着し、暗黙の了解なんて全く通じない、難しそうなASDでも、あるポイントさえ実践してもらったら、その難しいと思われる部分であっても、スルッと解決します。それはそいうと、単純にこれです。
確認を取る
本当にあたりまえのことなんですが、この”確認”を取るのと取らないとでは、大きく違ってきます。なので是非、この部分は覚えておいて欲しいと思っています。
というのも、定型発達の方同士が「あ、ごめん。借りていいかどうか聞くの忘れてたね。」「あ、いいよそれくらい笑。」と言った普通の会話になる、と言うことがないのがASDなので、普通の会話どころか、”確認”を取らなかったそれだけで、不穏な空気が流れ、一気にお互いが疲れ切ってしまう程の最悪な状況に陥ってしまうことも起り得るからなのです。
でも逆にASDは、確認さえとってもらえたら、とてもすんなりとOKが言えます。
まるで確認ボタンのON・OFFが付いてて、ONを押すだけでスルスルと動く。でもそのONを押さずにOFF状態のまま動かそうとしても、頑として動かない、そんな感じなのです。
ASD当事者のわたし自身、こうして書いてても、どうしてそんなに自分のテリトリーや所有物に執着するのか、正直わたしでも謎に思います。でもこういった部分は、努力でどうこう出来ない部分だと、良い意味で諦めるしかないと思っています。
だからと言ってASD自身、何もしなければ、それは酷くはなっていっても良くはならないと思っています。今回の様に、ASDの方と関係している方には”確認を取ってもらう”これが一つの方法として実践していただきたいという思いはありますが、もちろんASD側も良い方向へ行くためにはやはり
暗黙の了解という関わり方も現実にはある
自分のテリトリーや所有物に執着しすぎてしまう
ここは自覚しておきたい部分だと思います。それはどうしてかと言うと、この”自覚する”という部分は、ただそれだけで、自分自身を俯瞰することが出来るからなんです。そうすると少し冷静になり、落ち着きを取り戻し、そして毎日が過ごしやすくなったりすることもあるからです。
最後になりますが
こういう日常生活における発達障害についてのいろいろを、さも困りごとの様に書いておりますが、実際はそうではない時というのもあります。それがどういう時かと言うと
発達障害当事者間
ここです。お互いに同じような特性をもち合わせていたら、今回の内容からでもそうでですが、”確認をとる”というようなことを敢えて意識しなくても、自然に行ったりします。
このことから発達障害の特性上、困る時というのはやはり、定型発達の方が多い社会の中でなのです。
その社会の中で起こる困りごとは、決して発達障害の方側だけではなくて、関係している定型発達の方も困ったりすることはあります。ですので、その間で起こる困りごとを少しでも解消し、発達障害であろうとなかろうと、より良い関係性を、より良い時間を過ごせたらと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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