ASD 相手の冗談が「わからない」、冗談に「笑えない」のはどうして

発達障害

冗談が「わからない」のはどうしてなのか

ASD私には子供の頃から、そして大人になった今でも「苦手なタイプの人」がいます。とは言え、今になってはもうそういった苦手なタイプの人と関わる事はほとんどありませんが、この人は私にとって苦手なタイプの人なんだと自覚するまでは、何度か嫌な思いをしたこともありました。そのタイプとはどういう人なのかを一言で簡単に表現すると

からかってくる人です

関西弁で言うと「いじってくる人」なんて言いますが、とにかく面白半分にからかってくる人がとても苦手でした。ではどうして苦手だったのか。それは

相手が冗談で言っている発言を、冗談だと私自身が理解出来ないからでした

この事は私のASDの息子にも同じように見られます。実際これまでにも学校や放デイなどで、相手からのからかいが原因でトラブルになったことも何度もあります。相手は冗談のつもりだった、でも息子は本気で傷つきパニックになってしまうのです。ただ、相手からすれば、まさかそんなに本気で受け止められるとは思っていなかったのです。それ程に、言ってしまえばどうでもいいような内容だったりする事にムキになっては、傷ついてしまうのです。

ではどうして傷ついてしまうのか、どうして他の定型発達の人たちがスルーできるような冗談を冗談だと理解できないのかというと、それはASDの特性上のものが関係しています。その特性の中でも

字義通りに受け取ってしまう

というものは大きく関係していると思っています。言葉に含まれている相手の気持ちの部分、ここを十分に理解できないが故に、その言葉、その文字通りに真っ直ぐに受け取ってしまっては短絡的に考え、行動してしまうからこそ、冗談だということがわからなくなってしまうのです。

相手の冗談に「笑えない」その時どうする

私も息子と同じような経験を、子供の頃から繰り返してきたと思います。それは大人になっても、それこそ社会人になっても相手の冗談に笑えずに、特に20代の頃なんかは上司とぶつかったことも何度かありました。ヘラヘラ笑いながらからかってくる上司に向かって、愛想笑いもできずに真顔で無視してしまう程、私にとってはそれは冗談ではなく本気でムカつく、傷ついてしまうと言うものでしか受け止められなかったのです。

ただ、そういった痛い経験を重ねてやっと少しづつ、それこそずいぶんと歳を重ねてからですがやっと“なんとか上手くやり過ごす”ということが出来るようにはなりました。それがどうして出来るようになったのかというと、本来の私が変わった、と言うわけではありません。今になってもからかってくる人に対して、心からそのことを冗談だと受け止められるのかと聞かれれば、それは無理だと思います。ではASDの私はどうしたのかというと

相手は冗談なんだ、本気で言っている訳ではないからこそ、この場は受け流し、笑ってやり過ごすのがベスト

そうやってこれまで経験と情報から、それこそAIのように答えを導き出してはそのように対応していた、というだけなのです。ASDは経験にも感情の部分にも一つづつ引き出しがあるように、その場その場でインプットしたもので対応する、というところがあります。逆にその特性を利用していたのだと思います。

だとしても、先程にもお伝えしたように、本来の私自身が変わった訳ではないので、上手く笑って受け流したとしても実は、心の中では正直はらわたが煮えくり返っているような時も多々ありました。強い我慢になってはいたと思います。そのことで帰ってからフラッシュバックに襲われてストレスで眠れない、その結果体調不良に繋がる、という事もありました。

このように、理解はしていてもただ笑ってやり過ごすだけでは自分にとってダメージになってしまう、そうとわかってからは、私はある対策を取るよう心がけました。それは、冗談を言っている相手に「それはどういう意味なんですか?冗談ですか?。」と問いただす、というものではありません。というのもこの方法は相手に、そして私自身にも、ASDについての理解がない上で実行したとしても上手く説明し切れないからこそ、いい結果はもたらされなかったからです。その上、そもそも相手にとっては1分後には忘れているような会話の一つにしか過ぎない上に、これまでに深刻に受け止めない人に対して発言してきた、という経験が沢山あるからこそ、少数派である私の感覚的なものを伝えたとしても、相手にとっては理解に苦しむものだったからです。そこで私が、冗談を冗談だと受け止められずにストレスが溜まってしまった時、私自身のダメージを減らすために取った対策というものは

ASD的なところを理解してくれている人に話を聞いてもらう

というものです。「実は今日、こんなことがあってね…。」そうやって“話をして自分の気持ちを整理していく”ということこそが重要だと気づいたからです。

こういった取り組みは、ASDの息子に対しても効果は見られました。冗談を冗談だと理解できずにモヤモヤとした気持ちを持ち帰ってきた時、とにかくその時の気持ちを受け止めて息子が話し終えるまでただ、聞くことをします。そして、世の中には本気でそう思っていなくても、相手が面白がるだろうという気持ちからそう言った冗談を言う人もいるんだよと、一つづつ一つづつ解説していくかのように話し合うことで、自分への理解と相手の理解を深めていくのです。その事で一人で抱えるストレスが少しでも無くなれば、メンタルヘルスを守ることにも繋がっていきます。ASDにとってこういった話し合いの中で共感しあうこと、そして理解を深めることが、二次的な問題の発症を防ぐためにも大切な取り組みだと思っています。

お互いに持っているものへの理解から始まる関係性

私は今でもからかわれたり、相手の冗談を冗談として受け止めることが苦手です。相手の何気ない発言で傷ついたり、怒り心頭となってしまったりします。それはどうしてもASDの脳の構造上、成り立ってしまうものなのでその後の対策があったとしても、その瞬間にはストレスを抱えた状態になることはあってしまうのです。ただ

そうだと自分自身も理解していて、周囲にも理解があれば防げる部分でもあります

例えば息子の場合で言うと、学校の先生や放デイ(放課後等デイサービスを略してこう言います)のスタッフの方から息子と関わっている子供達に対して、冗談がわかりにくく、面白いと思っていてもその事で傷ついてしまうお友達もいる、自分とは違ういろんな考えや感じ方を持った人が世の中にはいるんだと、敢えて話す時間を持ち伝えてもらうことで未然に防ぐ、という取り組みをして頂きました。その結果、もちろんトラブルが全くなくなるわけではありませんが、やはり知識を得るというのはとても大きな効果で、からかいや冗談が原因のトラブルはかなり減っていきました。

今起こっている問題だけにフォーカスする、というよりも、その問題がどうして起こっているのか、という部分から探っていけばそこにはASDの特性が関係していた、ということもあります。だとすれば、その特性に対してどのように取り組んでいったらいいのかを考えればいいだけなので、解決策は見えやすいのです。

私はこういった事例を、大人の社会でもどんどん実践していければと思っています。対相手がASD、またはASD傾向のある人なのであれば、わかりにくい冗談は、言っても言わなくてもいい冗談は敢えて言わない、ということは出来るはずです。このようなインクルーシブな社会を実現していくことが出来れば、それぞれの能力を活かせるストレスのない環境づくりにも繋がるのではないかと考えます。ただ、今の現状ではASDの要素があると自ら伝える事は難しい、例え伝えられたとしても到底理解してくれそうもない相手だと感じている、そういった方もいると思います。そのようなどうしても難しい現状であるのであれば、なるべく距離を置く、ということも時には必要だと思います。私自身もこれまではかなり慎重に、話す人は選んできました。それ程に、まだまだ偏見も差別的な目もあると知っているからです。そして実際、繋がりを持つことは難しいと感じた人と距離を置くことで、穏やかに過ごせるようになった、という事もあります。

ただ、ASD側にも付け加えて意識しておきたいこともあります。それというのは、息子の場合でも私自身でもそうですが、ASD側はまた違った意味で相手に対して、時に失礼だと感じさせてしまう発言をしてしまうこともある、ということです。例えばその中には、相手の痛いところをストレートに伝えてしまうが故に、そのことで相手を傷つけてしまう、という事もあります。ASDの人達というのは相手をコントロールしようとはしない、悪気は全くない、というところは前提としてあります。だとしてもそのことが、相手によっては良い方に働くこともあれば、そうでない時もあるということを理解しておくというものです。このように、お互いに持っているものへの理解を深めることが大切だと思っています。お互いに理解があって始まる関係性というものは、無知から生じる無駄なストレスを防ぐことにも繋がるからです。

最後になりますが、少数派は少数派として一定数、理解し合える人たちが存在しているからこそ どこかで同じような問題を乗り越えてきた人はいます。そして少数派の人たちに歩み寄ろう、理解しようとしてくれている人たちも増えてきている、という事も事実です。だからこそ、これは人に話してもわかってもらえない、でもどうすればいいのかわからない、そうやってどうにもならないと一人で抱え込み、我慢した状態のまま諦めてしまう前に、この人ならと思う人に相談するということはASDにとって本当に必要なことだと思っています。

今回の内容でもそうですが、冗談がわからない、笑えないなんてことは、自分でもその事自体がどうなっているのか理解に苦しむということもあると思います。それでも勇気を出して話してみることで解決に向けての糸口を見いだせたり、共感し合える人に出会えたり、そのことで抱えていた問題が少し軽く感じるように思えたりもします。私自身もそうやって、本当にたくさんの人に助けられて、今があります。

私は今のASDの子供たちと関係している大人たちが築いていっている社会のように、今の大人のASDの人たちにとっても、どんな小さな困り事でも話し合い、理解し合える社会を築き上げらるように、これからもASDについての知識と理解を広めていきたいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

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