ASDはどうして叱責に弱いのか
「叱責に弱い」と言う部分に関係している特性とは
ASDは”叱責に弱い”と言われています。叱責に弱いと言っても、ASDに限らず叱責されることなんて誰でも嫌だし、多少なりともダメージを受けるものだと思います。ただ、ASDにある”叱責に弱い”というものは、もう少し複雑なもので、どうして他の人たちと比べ極端にダメージが大きいのか、という理由がわかれば納得のできるものだと思っています。
ここで早速ですが、ASDが”叱責に弱い”ということに関係している特性を挙げてみたいと思います。それというのは
- どんなことでも字義通りにしか受け取れない
- 感情的なものを受け取ると混乱しやすい
- 理屈で説明のつかないことには不安定になる
というものです。一つずつ、もう少し詳しく解説していきます。
”どんなことでも字義通りにしか受け取れない”
これは
- 相手の口から発せられたものだけが全てだと受けとる
- 表面的なものであっても、その言葉の意味だけで判断してまう
というものです。
ASDは言葉や行動の裏に隠されている心情を読み取ることがとても苦手です
自分のことを良く思ってくれている上司が、または先輩が、自分の為を思っての叱責だったとしても、その内容に加え心情的な部分の具体的な発言、ここもなければ叱責の言葉の裏にある”自分の為を思って”というところが読み取れないのです。結果的には、やっぱり自分はダメなところだらけだと、自信を失った自分が全てになってしまうのです。
”感情的なものを受け取ると混乱しやすい”
ASDは基本的に感情的に話されると思考が混乱し、相手の話を理解することが難しくなります
相手側からの「声が大きい」「威圧的」というような状況があると、自分自身のコントロールが難しくなり、話してる内容を聞く事自体が困難になってしまうのです。
ASDの人達にはそもそも“繊細で傷つきやすい”というところがあります。このことに加え、子供の頃からずっと怒られてばかりで、傷つくことに敏感になってしまっているからこそ咄嗟に心を閉ざしてしまう、というところもあったりします。この事は子供のASDであっても大人のASDであっても同じで、叱責の中に自分が処理しきれない感情を受け取ってしまうと、精神的にダメージが大きくその上、思考も混乱してしまうが故に叱責の内容どころか、相手に対する信用さえ無くしてしまうこともあります。今まで積み上げてきた信頼関係そのものが、一瞬にして終わりを迎えてしまうのは残念でしかありません。
”理屈で説明のつかないことには不安定になる”
例えば、ASDの子が忘れ物をしてしまった時に「どうして忘れたの?!」というような
理屈では説明できない、理屈ではどうにもならないところを責められてしまうと、とても不安定になります
大人のASDでも、「どうして忘れたんだ!」と言われるのも同じで、その後に叱責され続けたとしても、すでに不安定になっている上に(どうして忘れてしまったんだろう…)そうやって、理屈で説明できない部分にずっと囚われ、考え続けてしまい、その結果、話の内容はほとんと理解できていないどころか、何を言われていたのか全く覚えていない状態にまでなることもあります。
ASDに対して叱責は意味がない
叱責以外の方法を取るとしたら
とにかくASDに対して、叱責は意味がありません。混乱するだけのものです。このことは、叱責しても意味がなかったらそこから何も学べないじゃないかと、がっかりするものではなく
ASDに合わせた、少数派に通用する手段があり、その手段で解決していけばいい、というだけのものなのです
これまでにお伝えしたように、ASDは表面上の言葉や行動をそのまま受けとる、というところがあります。逆に、この特性を上手く使えば、簡単に物事が進むことも多いと思っています。
ASDに対して叱責する時に、その内容がただ単に、”ダメ出しをして終わる”と言うものでは、ASDは何も学べません。学べないどころか、自分の失敗を責め続け、どんどん自信を失っていきます。
ダメ出しの言葉だけを、そのままきれいに自分に当てはめ、相手の心情なんかは全く分からない。言葉だけその通りに受け取って完了、そうなってしまうからなのです。その結果、「あの人の気持ちに応えるために、じゃあ今後はどうしたらいいのか?」というところまで思考が向かないのです。
こういった特性から、ASDに対して叱責以外の有効な手段としてあるのは
個人主義的な思考を取り入れる
どんな人でも、子供の頃から自分と似たような感覚・思考パターンの人が周りに多ければ、いつの間にかそのことが”普通”となり、それは大人になってからもずっと、自分以外の人も当たり前に当てはまるものだと、無意識的に物事を判断してしまう材料になってしまうと思います。
特に、全体主義的な思考が強い環境で生まれ育ち、そのことに、大して違和感を覚えることもなかったとしたら、ずっと持ち続けてきた思考のパターンを、一人一人に合わせて変えていく、というところはとても難しいと思います。
それでも社会の中には、ASDのような少数派の人たちが存在するのは事実で、ASDの人たちはどちらかというと、子供の頃から個人主義的な思考で生きてきた人たちがほとんどです
叱責に関しても、叱責することによって成長する人・しない人がいる、というだけなのですが、その事実に対しての理由がわからなければ、一人一人には違いがあるとわかっていても、納得を持って実践をしていくことは難しい、というところもあると思います。
ただ、ASDにある理由や特性を知ることで、そしてASDのような少数派の人たちには個人主義的な思考を取り入れていく、ということをするだけで、お互いに求めていた関係性を築いていくことは出来ると思っています。
そして、そのことが実は難しいことでもなく、ほんの少しパターンを変えるだけ、というような簡単なものだということにも気づいていけると思っています。
最後に
ASDは子供の頃から、定型発達の子供たちと同じように育てられればそれは、ネグレクトの状態になると言われています
ネグレクトと言っても、一般的に見られる酷い虐待を意味するようなものではなく
ASDの特性を理解してもらえていない、ASDに必要な対応を取られていないまま大人になってしまうこと
というものです。
子供の頃から自分のタイプがわかっていて、出来ないところも苦手なところも理解していて、その上困った時には「相談する」ということが身についていれば、社会に出てからも周囲に伝えて協力してもらえたり、助けてもらえたり、環境を整えていけることはある程度可能になっていくと思います。ただそうではない、ASDなのに定型発達の人と同じだと思ったまま大人になると
社会に出てから沢山の生き辛さと直面してしまうことが出てきてしまうのです。最悪、二次障害を発症してしまうこともあります。
それでもまだASDの特性から来ているとは気づいていない、自覚を持てない人もいたり、関係している人も定型発達の人のように対応しているからこそ上手くいかない、どう対応すればいいのかが分からない、という現状はまだまだあると思います。
そうだとしても、少数派に適した対応があるなんて知らなかった、まだ試していない出来ることがあったと気づけたのであれば、お互い試行錯誤しながら生き辛さを少しづつでも減らしていってほしいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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