なれない自分になる必要はない
ASD自身にある才能と欠陥の凹凸を知るということ
ASD自身のわたしが思う大切な事があるとすればそれは
自分自身を知ることです
ただ、ASDが自分自身を知ることというのは、実は簡単ではないのです。実際ASDが自分自身を知ることをするには、普通に生活していても、深く自分に落とし込める程、知ることは出来ないと思っています。
何となくの自分を明確にしていく作業
”簡単ではない”ということに対しての意味付けとしては
何となく自分は他と違うのかもしれない…
という感覚はASDは感じているのです。ただその感覚の神髄に対して、理論的な意味付けが自分の中で、出来ていなければ
- ただの思い過ごし
- 他の人より少し違うというだけ
- 努力しても出来ない低い能力のせい
こういう結論に至ってしまうのです。その結論の延長線上にあるものは
自分にとって辛い努力をし続け、どうしたってなれない自分になろうと必死になる
その為に沢山の時間を使い、疲れ切り、自分自身を見失ってしまうということも起り得るのです。
欠けている部分とは上手く付き合う程度でいい
欠けている自分に折り合いをつける
ASDは発達に凹凸がある、凹凸障害です。ということは
- 標準とされているものより欠けている何かがあり
- その欠けている部分を十分に満たしてくれる何かもある
ということです。ですが残念なことに、わたしが子どもの頃の大人や教育者たちは
欠けているところを必死で標準にまで引き上げようと躍起になり、ASDが持ち合わせている満たされた才能には目もくれない
こういう大人が実際とても多くいました。欠けている部分を努力で満たそうとすることは、ASDにとってはかなりの苦痛です。その上
他の誰よりも必死で努力したとしても、さほど変わらない辛い現実を目の当たりにするのも、ASD自身です
ASDにとって大事なのは
欠けている部分に対しての”努力”ではなく”折り合い”なのです
チームワークが苦手だったわたし自身の辛い経験
わたしは保育園生の頃から、集団やチームワークというものが本当に嫌いでした。それは年齢が上がり、学生になっても変わりませんでしたが、学生の頃は親友や、あまりいませんでしたが、わたしのことを理解してくれている先生に支えられ、何とか過ごせていました。ただ、就職してからが地獄でした。
わたしはパティシエのお仕事に就いたのですが、職場は体育会系のチームワークがメインで稼働していました。その職場でも、支えてくれ、尊敬できる先輩には恵まれたものの、学生の頃とは違い、よくしてくれる先輩といつもいられるわけではありません。当時はかなり激務だったこともあり、チームワークの中で毎日12時間以上働くことになってしまったのです。
当時、親元を離れて一人暮らしをしていたわたしは、両親には専門学校まで出してもらったという思いもあり、勝手に辞めてしまうことは許されないと考え、毎日のように実家に電話をしては、辞めさせて欲しいと何度も親に訴えました。
ストレスでまともに食事も摂れず、人と話すこともほぼなくなり、体調を壊していても親から返ってくる返事は
「もう少し頑張りなさい。」
「頑張って乗り越えたら自分の強みになるから。」
これだけでした。その結果、辞めるころには心身共にぼろぼろになり、気づけば二次障害を発症していまいた。
努力はしたと思います。ただ、わたしの強みにはなっていません。それが結果でした。
なれない自分よりも、なれる自分の為に時間を使う
ASDにとっての努力とは努力だと感じさせないもの
チームワークの中で何かが出来るということに関して、わたしは欠けています。それを努力で何とかしようとした結果、チームワークが出来るようになったかと言えば、チームワークの中でやれと言われれば、何とかやりきる精神力はついたかもしれませんが、ずっとやり続けられるかと聞かれれば、今でも出来ないと即答できますし、やりたくないのが本音です。このことからも
ASDは欠けている部分を努力で何とかしようとしても、想像以上に出来ない自分がいるのを思い知ります
そして自信を無くしていきます。だとしたら、その時間は勿体ないだけだと思っています。
それにASDにとっての努力というものがあるとすれば
- やっていて疲れたとしても止めることは考えない
- 頑張っている自分というものを、自分の意思で継続させられる
こういうものだと思っています。
わたしの子どもの頃と比べて、今は発達障害に関して情報も増えてきています。だとしたら、その情報からASD自身が自ら知識を得て、ASD自身に落とし込み、自分の為の時間をどう使うかを、見つけていって欲しいと思っています。
最後に
わたしはずっと長い間、なろうとしてもなれない自分との戦いだったような気がします。自分の生き辛い世界の中で生きて、理解されない自分を隠し、孤独にいられる時間に救いを求めていました。
過去の経験は、辛いことが多かったのは事実です。ただ、そういった究極の逆境というものがあったからこそわたしの中で反動が起き、自分というものを押し込めてしまうのではなく、世の中に出してしまえ、そうやってある日、吹っ切れた何かがわたしの中で起こったのだと思います。
実際”わたしはASDなんだ”という自覚をもって動き出した途端、楽しく、深く、話が出来る人たちが集まってきてくれているように感じます。それはただ単なる思い込みに過ぎないかもしれませんが、もしかしたら
ASDがASDらしく生きることをすれば、同じ感覚を持った人たちが集まってくる
このことは、わたし以外のASDにも起こることではないかと思っています。そしてそれは、ASDにとって、自分に与えられた人生の始まりでもある気がしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
コメント