ASDの子ども達にとって大切なのは”親の気づき”
そのままのその子を見ることから目を逸らしてしまう親たち
わたしが子どもの頃といえば、今のように『発達障害』という言葉も知られていない時代でした。通っていた学校にも、支援級というものはありませんでした。そういった時代の中で、唯一、当時の大人たちが障害に対して認識していたものはというと
- 自閉症
- 知的障害
- ダウン症
- 身体障害
これくらいだったと思います。そして実際、わたしが子どもの頃に、当時の大人達から感じていたものは
障害を持つ人たちに対してのマイナスなイメージと、普通が良い、という意識でした
差別意識を持っていた人も、持っていなかった人も実際、両方いたと思いますが、そのどちらにしても、障害を持つ子や大人と比べてはどこかで、「うちの子は普通でよかった…。」そう思うことはあったと思います。もちろん、親はどんな親であっても、自分の子のことを一番に想うからこそ、そういった意識はあって当たり前だということもわかります。生まれてくるときには五体満足を望み願い、その子に何事もないことを祈ります。ただ、わたしが当時の大人たちや親を見てきて問題だと感じたのは
もし自分の子が他の子と違ったと感じた時に、障害という言葉にだけ振り回され、そのままのその子を見ることから目を逸らしてしまう
というところです。
”親の思い込み”と”子どものことを信じたい”という思いから生まれる”不自由さ”
わたしの母親は、大学を卒業してから結婚するまでの間、小学校の教員として働いていました。子どもの頃からとても勉強ができた母は、教師というプライドもあったと思いますが、他の子よりもうちの子は出来ていないといけないという思いから、わたしと姉に対しては今で言う”教育ママ”的な人でした。
姉に関しては、小学生の頃は成績は普通くらいだったと思いますが、それでもたまにテストで低い点数を取ってくると、酷く怒られていました。その姿を、わたしは小さい頃から見てきました。そしてわたしに関しては、小学生の頃は成績も良かったので、特に怒られたという記憶はなかったものの
生活面では、母はよく困惑していたと思います
というのも、わたしは当時から
- 集団行動が苦手
- 朝がどうしても起きれない
- どんなことにも強いこだわりがあり、その通りにいかないと癇癪を起す
- いつも一人で遊んでいる
- あまり話さない
こういったことが目立ってあったからです。実はこういった行動パターンから、当時の母はわたしに対して
もしかしたら自閉症かもしれない…
そう思っていた、というのをわたしは40歳になって初めて母から聞かされました。
今のように『発達障害』という知識も情報も何もない時代に、母からすれば、教師であったことからも『自閉症』というものには知識があり、目の前にいるわたしにその状態が何となくでも当てはまることに気づいていたのです。そんな母は、わたしの発達の問題に気づきながらも
もしかしたら気のせいかもしれない
今だけのものであって、成長すれば大丈夫だろう
そういった”親の思い込み”から何かしらの不安を抱えながらも、わたしの娘は普通の子、というよりも逆に、成績が良いから他の子よりも出来る子、と信じて疑わなかったのだと思います。普通であってほしいという強い思いから、そう信じることを自ら選んだんだと思います。
その結果、わたしは聴覚過敏を大きな音を聞かすことで慣れさせようとされてしまったり、よくわからないストレスを抱え不登校気味になったりと、いつもどこかで不自由さと、誰にも理解されないさみしさ、というものを感じながら過ごしていたように思います。
気づいていても気づかないふりをし続けた後に待っているもの
ASDの子どもたちにとって一番つらいことは
苦手なことに対しての過度の訓練です
このことを子どもの頃から繰り返し行ってしまうと、自己肯定感は低くなり、二次障害を引き起こす原因の一つになるとも思っています。それがどうしてかというと
- 普通の子と同じような方法ではASDには通用しないということ
- 苦手なことに対しては、その子の生活に支障がない程度に出来るようにする為の手段を考える
このようにASDだという認識のもとに実践していかないと
- 努力しても思ったような成果が得られずに落ち込む
- その姿を見た親も焦りを感じ、その親の思いも子どもは受け取ってしまう
こういったことをたくさん経験してしまうからなのです。実際わたしは、親がわたしには発達に問題があると気づいていても、気づかないふりをされたまま育ちました。もちろんそのことだけが原因ではありませんが
結果的には大人になってからわたしは二次障害を発症しました
親にとっても、そしてもちろん子ども自身にとっても、望まない結果が待っていただけなのです。
どんな親であっても望むことは子どもの幸せと自立
わたしは自分自身の経験から、今を生きる子どもたちにとって大切だと感じることの一つに
わたしが子どもの頃の環境は今とは全く違います。母が若かった頃というのは、情報も簡単に手に入るものではなく、そして同居世帯も多く、個人の尊重よりも世間体を重視するようなところも多く見られました。そういった環境に、当時の母は母で、息苦しさやストレスも感じていたと思います。
どんな時代にも、その時代に生まれるストレスがあり、その中で親は親で、今のわたしと同じように未熟な人間としてどう生きていくのかを必死で探りながら、ただ
子どもの成長と幸せ、そして自立を願っていたことには、今も、そして昔も変わらないと思っています
それでも親とは違う苦しみを経験し、大人になってからASDと診断された、わたしたち世代が親になる年齢になった今、今の子どもたちに出来ることがあるとすれば
- 苦手は苦手のままでいいと、親が受け入れてあげること
- 注目すべき点は苦手や不得意ではなく、その子が得意としていること
- ASD傾向があると気づいたのなら、そのことから目を背けないこと
- その子には生きる力があるということを信じること
この思いをもって、子どもたちが自分の足で生きていけるその日まで、きっとこれからの時代はよくなっていくと信じて行動していきながら、親も子どもと共に歩みを進めていくことだと思っています。
最後に
大人になってから発達障害だと診断された方の多くは、自ら病院に向かわれた方だと思います。その理由として考えられるのは
- 自分のままでいたいのに、自分のままでは生き辛いことが多すぎる
- 誰にも言えない、誰にも理解されないと感じていることを一人で抱えている
- 自分を責め続けることにも、努力することにも疲れ果てた
もちろん他にもいろいろとあると思いますが、こういった理由の方が多いのではないかと思っています。わたしはその中の一人でした。
ただ、その状態に至ったのは決して自分の責任だけではないのです。それはずっと、それこそ純真で自分のままで生きていた子供の頃からゆっくりと時間をかけて、その頃の時代背景、親や関わってきた大人達、当時の教育、そんな複雑なものをたくさん受けながら蓄積されてしまったものだと思っています。
ただ、そういった経験は逆にとても貴重なものなのです
今のASDの子供たちにとって、その親にとって、とても役立つものだと思っています。
これからの時代は、今の発達障害の子どもたちにとって明るい未来でなくてはならないと思っています。そして、今の大人の発達障害の方たちにとっても理解のある社会に前進していく為にも、過去の辛く苦しかった経験を語り繋いでいくということが、わたしは大切だと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
コメント
初めまして、YouTubeから来ました。我が家は娘がasdでまさに今生きづらさにぶち当たり学校を休んで心を立て直しています。
YouTubeの動画を幾つか拝見させて頂きましたがとても分かりやすく、娘の気持ちに少し近づく一助となっています。ありがとうございます。今後とも参考にさせて頂きます。