ASDは時間の感覚が分かりにくい
いつも遅刻する人と全く遅刻をしない人にある共通点とは
発達障害にあるのイメージの中でも、時間に関してはどちらかというと
時間を守れず、いつも遅刻してしまう
というものが強いのではないかと思います。確かに間違いではありませんが。というのもASDの特性上、興味のあることに集中してしまうとそれだけで、時計を見ることをしなくなります。その結果、いつの間にか約束の時間ギリギリになっていた、ということがあったり、興味のない人との集まりにはなかなか体が言うことを聞かず、どうしても準備が間に合わなくなる、という事もあったりします。
ただ、実はあまり知られていない事実もあります。それと言うのは、ASDの人たちの中には、全く真逆の
時間をしっかり守り、遅刻することもほとんどない
という人も存在する、というものです。実際わたしも後者です。ただ、全く真逆だと感じられるASDの行動には、共通するものがあるのです。それというのが
時間の感覚が分かりにくい
時間のイメージが捉えにくい
というものなのです。
時間の感覚が分かりにくいことで起こる困りごと
ASDのわたしは学生の頃からほとんど遅刻することはなく、あったとしても興味が持てないどうしても受けたくない授業をわざとサボって遅れて行った、というくらいでしか遅れたことはありませんでした。専門学校に通っていた頃も、一回の遅刻も休むこともなく通ったことで“努力皆勤賞”というものまで頂きました。
もちろん社会人になってからも遅刻した記憶というのは、セットしておいたアラームが鳴らなかった時の1回くらいだと思います。これまでの内容で言うと
「遅刻もしないし時間も守れるなら、特に困りごとなんてないんじゃない?。」
と思われるかもしれません。実はそうでもないのです。時間は守れても
時間の感覚がない・時間の予測が甘い
ということで、ある困りごとが起こってしまうのです。その困りごとというのが
予定されている時間よりも恐ろしく早く準備をし始めたり、あり得ないほど早く到着してしまったりするのです
もう少し詳しく言うと、例えば時間を守れる人の行動パターンとして多くみられるのは、予定の時間の大体5分〜10分前には到着している、というものだと思います。その行動に伴う思考には
大体この時間くらいに起きて準備をすれば、予定した時間の少し前には着くだろう
そう思いながら行動すると思います。もちろんASDであっても、同じような思考で動きます。ただ、ここで大きく違ってくるのがその時の“時間の感覚”なのです。ではASDのわたしの場合だと、どういう結果になってしまうかというと
予定した時間の1時間前には着いてしまうのです
もちろんわざと1時間前に着こうと思っていたのではありません。着いてみたら予定の時間よりも1時間も早い…ということが毎回なのです。このことでいつも困ってしまうことというのが
「どうやって時間を潰そう…」ということを考えなくてはいけない
ということなのです。
「お店を探してお茶をするには時間的に少ない気がする…。だからと言って、ざわざわする街中をうろうろするのも疲れる…。さて、どうしようか。」
ということを考えなくてはいけないことで、疲れてしまうのです。しかも感覚過敏もあれば、聴覚過敏からうるさい場所は無理、嗅覚過敏から苦手なにおいがある場所は長くいられない、ということが発生してしまい、場所も限られてしまうのです。
“時間の感覚が分かりにくい”という自覚がなかった頃の失敗
行き慣れた場所や、いつもの予定にある慣れた時間帯にも、時間の感覚を意識していないと早く着きすぎる傾向があるのですが、特に予定した時間よりも恐ろしく早く着いてしまう場面、というものがあります。その場面というのが
- 約束された場所が行き慣れていない初めての場所
- これまでにはなかった初めて組み込まれた予定の時間
この2つが重なる時には特に酷くなります。もともとASDの特性として
- 見通しがないと不安が大きくなりやい
- どんなことにも真面目に取り組む
- こだわりが強い
というものがあるのですが、この特性も関係して時間の感覚的なコントロールがさらに難しくなってしまうのです。
この“時間の感覚が分かりにくい”というところで、一人暮らしの頃は、わたしだけの我慢で何とかすればよかったのですが、実は子供ができてからはそうはいかず、子供たちまで巻き込んでしまったことがあったのです。その巻き込んでしまった出来事というのは
“子供たちの送迎の時”に起きました。
放デイ(放課後等デイサービス)のスタッフの方との待ち合わせに子供たちと一緒に行く時や、療育に送っていく時、恐ろしく早く着きすぎて子供たちが退屈し、イライラし始め軽くパニックになってしまったのです。
外に出ても退屈な時間を潰せるものは何もなく、車の中は最悪な状況になってしまいました。この時にやっとどうにかしないといけないと思い、乗り切る方法を考えたのです。
ASDの特性を活かして乗り切る方法とは
ゴールの時間だけを設定して、特に難しく考えなくても予定通りに行動できる人は本当に凄いと思います。多数派の人達の中には、そういう方も多いと思います。ただ、ASDは同じように真似をしてみても上手くいかないことがあったりします。だからといって難しく考えるのではなく、ASDにあった行動パターンを作ってしまえばいいだけなのです。その行動パターンとは
細かい時間設定をしていない時は、6時に待ち合わせだと分かっていても、4時半頃に出発して5時前には着いてしまった、ということもありました。(さて1時間もある、どうしよう…)ということがよくあったのです。
ゴールの時間設定だけで動ける人からすれば面倒だと感じられるかもしれませんが、ASDにとってはこちらの方が結果的にスムーズにいく方法だと思っています。実際、細かく時間設定をすることで恐ろしく早く着くことは減っていきました。
ちなみに、ASDの人の中にはわざと予定時間の1時間前には到着しておく、という人もいます。それは、「どうしても約束の時間に遅れたくない」という思いから「1時間前に到着しておくほうが安心できる」というものだったりします。その意識の中には先程あげた特性のものと同じ
予定通りに物事を進めたいという「こだわり」
絶対失敗したくないという「不安」
遅刻することは許されないという「正義感・完璧主義」
というものがあっての行動になります。この部分はもちろんわたしにもあります。ただ、どちらにしても大変なことには変わりはないんですが、同じ1時間前だとしても、自分にはどこにストレスがかかっているのかを考えることは大切だと思っています。私の場合は「そんなつもりでは無かったのに到着してしまった…」というところにストレスがかかっていたからこそ、その部分をどうすればいいのかという方法を考えました。そして実践したその方法で同じような困り事がある人一人にでも役立ててもらえればと思ったのです。
ASDの自分として生きていく上で大切なのは、多数派の人たちの真似をしてそのことを努力でなんとかしようとするのではなく
日常の細かなところにまで自分だけのオリジナルを作ってしまうことだと思っています
そして必要であれば、関係している人たちに“自分だけの方法”を伝えて協力してもらえるところがあれば助けてもらう、ということもあっていいと思います。
時間の感覚一つとっても、ASDと定型発達の人とでは違いがあります。このことをASDやASD傾向のある人自身が自覚することで、そして周囲に理解が生まれることで、仕事や生活面での困りごとを少しづつでも減らしていくことは出来ると思っています。
最後に
今回の“時間の感覚が分かりにくい”というところで、息子たちの送迎の時の出来事以外にも「あれは時間の感覚が完全にコントロール不能になっていたな..」ということが実際ありました。それというのが、早く着きすぎることとはまた違うもので
約束の時間にこなかった知人を4時間待っていた
というものです。この時の原因は約束していた人が完全に寝てしまっていた、というものでした。1時間も待たない、という人もいると思いますが、中には1時間以上待っても連絡がつかなければ、いいかげん帰る、という人は多いと思います。わたしの場合はその4倍の時間、4時間は待ってしまったりするのです。「待つ」ということ自体に無意識的に強くこだわってしまった、ということと、もしかしたらもう少し待てば来るんじゃないかという「不安の強さ」、このような特性が原因で時間の感覚を失った、というものだったと思います。その後はもちろん、物凄く疲れ切ってしまいます。早く着きすぎてしまうのも待ちすぎてしまうのも、そこにある時間の感覚というものを意識しておかないと、そして自分にある特性も自覚しておかないと、一日がとんでもない時間配分になってしまうのです。
このような生き辛さを一つでも減らしていけるように、ASD自身にとっても関係している人にとっても、少数派と呼ばれている人達がどういう人なのか、どういう手段を使って乗り切っていけばいいのか、という情報をわたしはこれからも発信していきたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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