ASD 嫌な記憶ばかりが残る”記憶の貯蔵庫”

発達障害

ASDには嫌な記憶ばかりが残る”記憶の貯蔵庫”がある

嫌な記憶が薄れていくことはない

わたしは何か数字や言葉を暗記をしなさいと言われれば、耳からだけ聴いて覚えるという記憶力は全く無いと言ってもいいくらいです。ただ、映像として残る記憶は、数年前であっても、数十年前であっても、それこそ子供の頃のことでも、いつでも鮮明に取り出すことが出来ます。

基本的にASDは記憶の仕方や記憶出来るものの種類が独特だと思っています

実は、わたしにある映像で残っている記憶、いつでも取り出し可能な記憶のほとんどは、深く傷ついた場面なのです。もちろん、楽しかった記憶や幸せを感じた記憶が、無くなっている訳ではありません。無くなってはいませんが、一番はじめに取り出されてしまうのは、辛かった時の記憶なのです。

記憶のほとんどは、被害的でネガティブなものなのです

もちろん、ASDではない人にとっても、深く傷ついた記憶というものは、なかなか消えないと思います。ではASDと、そうではない人ではどう違うのかというと

ASDではない人にとっての嫌な記憶が、強烈に傷ついたもの=数えられる程度のもの

だとしたら

ASDはとにかく、どんな小さな嫌な記憶、傷ついた記憶でも、その一つ一つのほとんど全て=数え切れないほどの量であり、しかもそのどれもがしっかりと薄れることなく記憶されている

というものです。消したくても消えることはなく、思い出したくなくても思い出してしまうものであって、数十年経っても、その時の状況、吐かれた一言、心の痛み、中にはその時の匂いまで感じられる人もいる程、ASDに残る”嫌な記憶”は、全く薄れることはないのです。

”記憶の貯蔵庫”とは、ASDのわたしにとってどういうものなのか

実は今回の主題でもある”記憶の貯蔵庫”という言葉は、発達障害では有名な、本田秀夫先生の言葉なのです。この言葉を聞いた瞬間、わたしは強く共感しました。というのも、その”記憶の貯蔵庫”が原因で、とても苦しい経験をしてきたからなのです。

ASDの嫌な記憶は、いつまで経っても薄れることなく記憶されている、とお伝えしましたが、その記憶が入る”記憶の貯蔵庫”があるのです。そして

ASDにある”記憶の貯蔵庫”には、嫌な記憶ばかりが入っていきます

その貯蔵庫は、いつでも勝手に開いては、その時の場面に一瞬で戻されるかのような状況になる時があります。この時というのは、何かきっかけがある時もそうですが、何のきっかけもなくてもふと、開いては鮮明に蘇ることもあります。

これはASDにはある方も多いのですが、フラッシュバックとして襲われる、というものでもあります

わたしの場合、フラッシュバックは精神的に不安定な時は、特に多くなります。何か記憶と関連するようなきっかけがなくても、例えば車を運転している時、街中を歩いている時、家事をしている時、このように何気ない日常を過ごしているだけでも、突然、数年前から数十年前でも、そのことが嫌というほど鮮明に浮かび上がり、気持ちまでその頃と同じところまで持っていかれます。

それは”記憶の貯蔵庫”に入っている数が、多ければ多いほど苦しいものなのです

その度に、やはり正直、苦しいのです。辛すぎて泣けてくることもある程です。それは例えば、映画のように、見ているその時に悲しい場面で泣く、ということがあっても

数十年前に見た映画をふと思い出して、その時と同じように泣けてきたりはしないと思います

それが、ASDにはあるのです

常に、最悪な記憶に、その時と同じ感情がしっかりと蘇ってきては、その時と同じように泣けしまうことがあります。もちろんいつもそういう訳ではありませんが、それほどのストレスになる、ということなのです。数が多ければ多いほど大変なのは、それほど鮮明すぎるからなのです。

ASDの子供たちには特に気をつけたいこと

ASDの子供たちであっても、”記憶の貯蔵庫”はあります。

ASDは基本的に、とても繊細で傷つきやすく、不安になりやすい人です。それはASDの子供たちでもそうであって、そのことで深く傷ついては、その度に’記憶の貯蔵庫’に、傷ついた、嫌な記憶を入れていってしまいます。

このことからもASD、またはASD傾向のあるお子さんに対して、気をつけたいことがあるとすれば

  • からかいや、バカにされたと本人が感じてしまうような冗談
  • 自己否定してしまうような発言

こういったことを出来るだけしない、ということです。ただ、もし傷ついてしまった時にはそのままにせずにとにかく

その子自身を肯定し、時間をかけてでも事実はどうなのか、という本人が納得するところまで親子で話し合ってほしいと思います

”記憶の貯蔵庫”には、子供の頃からの嫌な記憶が溜まれば溜まるほど、大人になってからも引っ張り出してしまったり、無視したくても出てくる回数が増える、ということになります。

このことからも、親がある程度守ってあげられる子供の頃であれば、”記憶の貯蔵庫”には少しでも溜めていかないことが大事だと思っています。

”記憶の貯蔵庫”の蓋が開いてしまった時

わたし自身、”記憶の貯蔵庫”があるために、何度も苦しい思いをしてきました。その経験があったおかげ、といってはおかしいかもしれませんが、その状態になりたくないが為に

”記憶の貯蔵庫”の蓋が開いてしまった時にはどうしたらいいのか

ということを考え、実践するようになりました。実践した内容は、物理的なことではなく、思考に働きかけていくものなので、最初は練習が必要でしたが、その方法でかなり、落ちるところまで落ちてしまうことは、防げるようになりました。その方法というのは

嫌な記憶に支配されそうになった時、同時に、自分にとって励まされたと感じた言葉、救われた人のことを無理矢理にでも思い出す

 というものです。嫌な記憶だけが、傷つけられた人だけが自分にとっての全てではない、ということを思い出すのです。どこかにメモしておいて、目で見て確認することをして、思い出してもいいです。こうすることで本当にふっと、気持ちが軽くなります。そして、また記憶の貯蔵庫が開いたなと自覚でき、その場の嫌な記憶に囚われてる自分から、離れることもできるようになってきます。

ASDにとって、どうしてもASDの特性から自己コントロールが難しく、放っておけば二次的な問題に発展してしまうこともあります。ただ、特性のことを自覚していれば、ある程度、防げるところもあると思っています。

自分には”記憶の貯蔵庫”があって、すぐに嫌な記憶が戻ってきてしまうんだと、そんな自分を受け入れ、また始まってしまったか、そうやってある程度、楽観的に捉えられれば、生きづらさは減らせていけるのではないかとも思っています。

最後に

ASDにある”記憶の貯蔵庫”というものは

実は何か問題が起こった時、一つを引っ張り出してしまうと、芋づる式にズルズルと他の嫌な記憶まで思い出してしまうこともあります

そうなってしまった時、特にASDの子供たちはわかりやすくて、今、起こっていることだけではなく

  • あの時もこんな嫌な思いをした
  • この時にはこういう言い方をされて傷ついた

そうやってどんどん出てきてしまっては、自分を追い込み、今ある事実に目を向けられなくなることもあります。実際、わたしの子供の頃を振り返ってみてもそうでした。もちろん、こういう部分は、大人になれば消えるものなのかというと、そうではありません。

ただ、大人になれば我慢でなんとかして、そんな自分に対応するということをしてしまいがちです

ASDにとって、”記憶の貯蔵庫”は常にあるものだけに、咄嗟に起こってしまうことに毎回、我慢で乗り切ることは、心身にとてもダメージを与えると思っています。それでも

ASD的なところから自分はこういう状態になっているんだ…

こうして、その事実を自覚できるだけでも、かなりダメージは和らぐと思っています。その瞬間に思えなくても、後で出来てもです。そして

ASDにとって自分への理解は、子供の頃から出来ていれば、尚いいと思っています

このことからもASD、またはASD傾向があるお子さんに対しては

「そうやってたくさん嫌な記憶が出てきちゃうんだよね、辛いよね。でも今は起こってないことだから、今、起こってることを見てみようね。」

そうやって伝えてあげることも、わたしは大切だと思っています。

もちろん大人のASD、またはASD傾向のある方にも、こうしてゆっくりと話をすることで問題点を見つめることは、少しづつでも、少しだけであっても出来ていくと思っています。

このことからも、今回、最後にお伝えしたように、ASDにとっての対策方法や自覚というものは、生きづらさを減らしていく為にも、コミニュケーションを取りやすくしていく為にも必要なものだと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。

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